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清原和博の現在 2015 スキャンダルを超えた生々しい半生(後半)

      2016/02/03

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金スマSP「清原和博」激動の半生 後半

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巨人入団

1997年、巨人軍4番、清原誕生。
新たな戦いの場所は、子供の頃から憧れた「晴れの舞台」。
そしてそのチームには、
かつて共に戦い、あの日から別々の道を歩んだ友・桑田がいました。

開幕3日目、この日は、桑田自身も、661日ぶりの怪我からの復帰戦でした。
スコアボードには、高校以来12年ぶりに並ぶ、清原・桑田の文字。
この時までに、すべての気持ちが整理できたわけではありません。
しかし、目に飛び込んできた光景が、清原の胸のわだかまりを、一瞬で過去のものにしました。

著書『男道』より

「バッターボックスに打者が入り、キャッチャーとサインを交わした。」
「桑田が、ゆっくりと振りかぶる。観客の声が盛り上がる。」
「あの暑い夏の日、PL学園のユニフォームを着てピッチングする桑田の姿が脳裏にフラッシュバックした。」
「俺と桑田は、こうあるべきなんや。」
「ファーストにぱっとついて、マウンドを見ると、そこに桑田がいる。」
「その関係が、一番しっくりくる。」
「長い間のわだかまりは、きれいさっぱり消えていた。」
「桑田が投げていた。桑田を守ることしか、考えられなかった。」
「待ってろ、俺が一振りで楽にしてやる。」

KKコンビのヒーローインタビュー

3回裏の清原の打席、初球でした。
レフトスタンドに飛び込むホームラン。
憧れの巨人で放つ、初ホームランでした。

著書『男道』より
「新しい仲間たちが並んでいた。一番最後に桑田がいた。懐かしい表情だった。」
「その顔は、俺は打つとわかってたよと言っていた。」

2人そろってのヒーローインタビュー。
清原「今日桑田が、2年ぶりに復活すると、そういう条件がそろって、
   そういう中で移籍して、1本目のホームランが出て、忘れられない1日になりました。」

桑田「僕たちは、いろいろ言われても、やる時はやる男です。
   特に、彼はやる時はやる男ですから。絶対やってくれると思いました。
   僕も忘れられない1日になりました。」

この日の瞬間最高視聴率は42.3%。日本中がこの2人に酔いしれました。

清原に待っていた試練

この年の巨人は、成績がリーグ4位まで下降。
その責任は、全て、4番清原に向けられました。

2000年7月7日の七夕の夜、テレビの前にはこの年に結婚した妻がいました。
7回に飛び出した、妻とファンに捧げる復活の、代打3ランホームラン。

しかし、この後彼を待っていたのは、更なる試練でした。
在籍9年目の2005年、シーズン中にもかかわらず、球団幹部から呼び出しが。

著書『男道』より
「その人は言った。『来季、君とは契約しないから。で、なんかある?』」
「『いや、結構です』と僕は答えた。」
「結論は解雇でも、『9年間よくやってくれた』と、
感謝して別れるくらいの思いやりが、なせ持てないのか。」
「利用価値がなくなれば、ただのゴミだと言わんばかりだった。」

時間にしてわずか1分。
これが、子どもの頃から憧れ続けた、恋人・巨人との別れでした。

オリックスに移籍

その後、仰木監督の誘いもあり、オリックス・バファローズへ移籍。
通算12本目のサヨナラホームランを打ちました。
野村克也氏を抜き、日本記録を更新。

野村克也氏
「俺なんかより全然、数段上でしょうが、向こう(清原)の方が。」
「王の記録を抜かせるのは、清原しかいなかった。」
「天性だけでやっているから・・・惜しい。」
「”左の王””右の清原”になっていたのにね。」

この時、すでに清原40歳、持病の膝はもう限界にきていました。
グラウンドに立つためには、メスを入れるしかなかった。
2時間にも及ぶ大手術。
もうろうとする意識の中、いつまでも子どもの手を握っていました。

結局、オリックス2年目の2007年、一度も試合に出られませんでした。
「試合に出られないのなら、何のためにオリックスに来たのか?」
怒りと不安、精神のバランスは限界に来ていました。

著書『男道』より
「壁を壊せば、道が見えるとでも思ったのか、めちゃくちゃに穴があいていた。」
「壁に穴を開けたことよりも、それを自分のバットでしたことに衝撃を受けた。」

支えてくれた人たち

先の見えない暗闇、そんな清原を救ったのは、家族の存在でした。
妻は、そんな夫を責めることなく、開いた穴に子供たちの絵を貼りました。
「パパ、がんばれ」そんな無言のメッセージでした。

松坂、イチロー、岩村、海を渡ったライバルたちからも、
復帰を願うメッセージ付きのバットやグローブが届きました。

巨人に捨てられ、一度は野球に失望した清原の周りには、
応援してくれる、たくさんの人たちがいました。

著書『男道』より
「あの時期、僕のために何かをしようとしてくれた人のことをすべて書いたら、
それだけで、一冊の本になってしまうだろう。」
「そして、一軍復帰が8月3日と決まったとき、あいつがやってきた。」

この年引退した桑田が、清原のバッティングピッチャーを務めたのです。

清原「僕が頼んだんですよ。一軍に上がる、一番最後の最後に、
   桑田にポンと背中を押してもらおうと思って。」

2人だけのスタジアム

著書『男道』より
「夢のような時間だった。最後の最後に真剣勝負をした。」
「何が来るかはわかっていた。真ん中高め、ストレート。」
「桑田の会心の、そして最後の球だった。」
「最後の勝負は、空振り三振。」
「あれが、僕と桑田の引退試合だった。」

清原「それで、握手して別れたんですけど、なかなか桑田が帰ってこないんですよ。
   マウンドをずっとならして、桑田はずっと泣いてたみたいですね。
   友達として、感謝の気持ちしか出てこなかったですね。」

それから間もなく、両親と祖父母の眠る墓地へ。
節目の時はいつもお墓詣り、清原の習慣でした。

「久しぶりに、おんぶしてやるわ」と母を背負い、
「母さん。おれなあ、もう野球やめるわ。」

引退試合

2008年10月1日、現役最後の試合。相手は、王監督が率いるソフトバンク。
球場には、桑田の姿もありました。
23年前のドラフト、あの日の3人が、同じ場所にいました。
3人とも、同じ年にユニフォームを脱ぐことになりました。

試合前のセレモニー、花束を渡した王監督は、清原の耳元でこうささやきました。
「生まれ変わったら、必ず同じチームでホームラン競争しような。」

長いプロ野球の中で、清原ほどドラマチックな野球人生を送った人はいないでしょう。
だからこそ、たくさんの人に愛されたのです。

清原和博は、何を語るのか?

1年間、何をしていましたと聞く中居に、
清原「去年1年、一連の報道があり、離婚も経験したり、何もかもやる気をなくしましてね。」
  「自分自身で、『清原和博』自体を否定してしまいました。」
  「こんだけ悪く書かれるんだったら、いっそ死んでしまえと。」
  「そしたら、死んだ人間のことは悪く書かないだろうと。」

「そこまで追い詰められましたか。そういうのは慣れている人かと思ってました」と中居。

清原「さすがにきつかったですね。息子と離ればなれになったっていうのがね。」
  「息子の存在がなければ、この世になかったでしょうね。」
  「息子たちに、最後の生きざまを見せないといけないと思いまして。」
  「それが1年かかりましたね。」
  「人目を避けて、家から出ないようになりましたし。」
  「あれほどコンビニのおにぎり食ったのは初めてですね。」
  「朝6時半にコンビニに行く姿を撮られてましたね。」

「全然テレビのお仕事来なかったですか、この1年。」と中居。

清原「なかったですね。オファーすらなかったですね。」
  「現役時代は、いくらスキャンダル起こしても、
   バット1本でホームラン打てば、それでチャラですよね。」
  「引退して、戦う道具がないし、自分がどう動けばいいかわからないし。」
  「おれ殺人でもしたのかな?って」
  「おれが死んだって実家に取材にきましたからね。」
  「野球したことさえ後悔しましたから。」
  「野球さえしなかったら、こんなことになってなかったはず。」

清原は何故歩くのか?

現役引退から7年、清原は四国でお遍路の旅をしていました。
八十八か所の札所(=寺院)を拠点に、弘法大師(空海)の足跡をたどる旅です。
一番から八十八番の札所を歩いて周ると、約1200kmになります。
1日平均20km歩いても、約60日かかります。

何故、清原は歩くのかを聞くと、
「両親も八十八か所周っていますし、人生に一度、行ってみたいと思っていました。」
「自分を見つめなおす、いい時間じゃないかと思って。」
「お母さんのためとか、ガンと闘っている友人のためとか・・」
「自分のためではもう、頑張れないので・・人のことを祈りながら歩いています。」

「何か一歩踏み出さないと・・・光を・・」
「今までは、自分さえ良ければ。家族も犠牲にしてきた。それですべてを失って・・」
「自分じゃない自分がいた。自分を見失っていた。」
「今度は、人のために頑張ろう。人の役に立つ人間になろう。」

1年間で流した涙

「子供たちの手紙を読んだり、写真を見たりして、現役生活で流した涙より、
 去年1年間で流した涙の方が多かったですね。」

歩いているときは、何を考えていらっしゃったんですか?(中居)

「11番札所の藤井寺の時にヒザが痛かったんですけど・・仰木監督に会えるんじゃないかって・・」
(近鉄バファローズの本拠地だった藤井寺球場)

仰木監督との縁

巨人から三行半を突き付けられた後、突然、仰木監督から電話が。
仰木監督は、イチローや野茂を育てた名将です。
オリックスに来てくれないかとの電話でした。
何度も何度も清原を訪ねる仰監督に、
清原は、何故自分をそんなに誘ってくれるのかと聞きました。

「キヨ、お前の悔しさはわかっている。巨人に対する気持ちもようわかる。
だけど、お前はそんな風にして、自分の野球人生に幕を引いてはだめだ。大阪へ帰ってこい。」

「キヨ、お前の花道は、ワシが作ったる。」

何故、それほど自分のことを考えてくれるのかと尋ねる清原。

「お前の、男気に惚れたんや。」

この言葉から数か月後、オリックス入団を決意。
しかし、それから間もなく、仰木監督は他界。
結局、清原は、仰木監督にオリックスのユニフォーム姿を見せることはできませんでした。
それでも、引退間際の自分を獲得してくれたオリックス。
愛した野球を、最高の形で卒業させてくれた、天国の仰木監督。
監督は、引退後の自分に何をさせたかったのか?
清原はお遍路で、その答えを探しているのです。

中居正広が聞く、清原和博の現在

Q「今、なにやってるときが楽しいですか?」

「楽しいことはないですね。」
「ただ、今年に入ってから、『清原さん、応援してますよ。』とか、『頑張ってくださいね』とか、
街角のファンの皆さんが、声かけてくれるのはすごくうれしいですね。」
「この前、父子でバット振っている姿を見て、すごく練習している子だったので、
ワンポイントだけ教えてあげました。」
「今までだったら、そういうことしなかったんですけどね。」

「去年ああいうことがあって、相手の気持ちも考えるようになりました。」

Q「やっぱり、指導者とか、野球界への恩返しとかも?」

「やっぱり、いつかユニフォームを着たいなという気持ちは持ってますけど。」
「時期的に今じゃないなという・・・」

中居正広が聞く、清原和博の家族

Q「どんな状況だったんですか?」

「あのー、家帰ったら、『あれ?空気が違うな?』っていう・・」
「息子の勉強机とかランドセルがなくなってたんで・・」

Q「その前から話はしていなかったんですか?」

「いえ、まったくしてないですね。」

Q「突然お父さんと別れ別れになって、お子さんの気持ちがありますよね?」

「ええ、そうなんですよね。次に会えたのが、2ヶ月後だったんで・・」
「すごく悩みました。どうしてなのか?子供を守るために出て行ったのか?どうなのか」

「ショックでした。本当に我慢してたんだなというのを感じましたね。」
「好き放題にさせてもらってたので、報道に対する話し合いはなかったですね」

「17年くらい住んで、思い出の詰まった家を引っ越しました。」
「平日、四国に行ってるので、マンスリーマンションに」
「部屋中段ボールだらけです。」

Q「今、息子さんとはどのくらいのペースで会えるんですか?」

「決められたときしか会えないです。」
「野球をやっているんで、ちょっとした仕草が僕にそっくりな時があるんですよ。」
「父親として見ても、プロ野球OBとして見ても、(息子に)才能はある方だと思うので。」
「今は、少年野球を見ているのが楽しいですね。」
「息子の成長を目にやきつけて、体調を整えて、もう一回スタートラインに立ちたいです。」

Q「母校・PL学園の危機について」

「そういうことは、桑田さんが得意だと思うんで・・」
「僕はどっちかというと落ちこぼれだったんで・・」
「桑田さんが授業中寝てるの見たことないんです。それは、僕がずっと寝てるから」

球界唯一の友・佐々木主浩のメッセージ

天才ピッチャーと天才バッターの、誰も知らない絆。
2人は、1967年生まれの同級生。
清原に対してコンプレックスを持っていた佐々木は、
プロに入ったら、おれが一番になってやると誓いました。

2人が初めて対戦したのは、1992年のオールスター戦。
「その時に、飯代懸けたんですよ。真ん中高めに真っ直ぐ勝負だって。」
「それなら必ずホームランにする」と言った清原、
予告通りのホームランを打ちました。

初対決は清原に軍配、その後佐々木は、清原に負けたくない一心で努力しました。
オールスターのホームラン以降、清原にはヒット一本すら許さなかったのです。

その後、「ハマの大魔神」として、記録でも記憶にも残る選手になりました。
2005年に佐々木は引退しますが、それを誰よりも惜しんだのが清原でした。

引退試合、野球人生の最後に対戦したいバッターとして清原を選びました。
「清原がいたからここまで来れた。感謝を込めたラストマウンド」
打席で涙する清原。
「僕の引退試合で、なんでアイツが泣くの?」
「あれ見てわかるように、本当に熱い男なんで。情に厚いというか。」
「男気があるっていうか。だから僕は彼が大好きです。」

最後の1球は、伝家の宝刀・フォークボールで三振でした。
マウンドに向かい、佐々木と抱き合う清原。

そして、佐々木引退後の2008年、清原も引退しました。

2人再会したのは、昨年の報道のときでした。
「2人っきりでご飯食べたのは初めてでした。いろんな話をして、
彼が辛い時に何ができるかなってことで・・」
その時に、佐々木の殿堂入りパーティーに絶対来てくれよと約束しました。

「ふつう、別れる時に、「またね」って言うじゃないですか。
彼は「ありがとう」って言うんですよ。「今日はありがとうね」って言うんです。」
「みんな怖そうに思ってるけど、全然怖くないですからね。」
「めちゃくちゃいい奴ですから。」

ファンのメッセージ

「ぜひ、ライオンズのユニフォーム姿の清原選手が見たいです!」
「ファンはみんな、清原さんを待っていますんで、野球に携わってほしいです。」
「どれだけ清原さんが、多くの人に力と勇気を与えてきたか。待ってます!」
「巨人ファンはいつでも待ってます!」

「戻ってきてや!待ってるで!」
「(プロ野球界を)熱くしてほしいですね。」
「清原が頑張ってくれたら頑張れるっていうか、おれたちの夢なんだよ。」

野村克也氏のメッセージ

「自分から野球を取ったら何があるか、清原-野球=0でしょ。」
「ぜひユニフォームを着て、後輩たちの指導にあたってもらいたい。」
「代表的な天才は長嶋選手でしたけど、清原も間違いなく天才ですよ。」

「清原君しか言えないような野球論があるはずですよ。」
「残りの人生、もう一遍ユニフォームを着てもらいたい。」

清原和博の言葉

「この1年間で、応援してくれるファンのありがたさを感じましたし、
今までの自分だったら、そこまで感動しなかったと思うんですけど。」
「チャンスをもらえるような人間に、これからなっていきたいです。」

「神様がくれた1年間なんですよ。」(中居)

「去年初めて、両親に土下座して謝りました。」
「今まで、僕に意見してくれる人もいなかったんですけど、
聞く耳もだいぶ持ってきましたし、この1年を無駄にしないようにやっていきたいです。」

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