ヒトラーが盗んだ名画を奪還せよ!ミケランジェロ・プロジェクト/名画守護戦士#338

雑学・豆知識

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ヒトラーから名画を守った、映画「ミケランジェロ・プロジェクト」のモニュメンツ・メン

実在した戦争経験ゼロの特殊部隊
名画を守った芸術戦士とは?

モニュメンツ・メン

ゴッホのひまわり、ミケランジェロの聖母子像、これらの世界的な芸術作品は、誰もが知っているある人物によって奪われていました。
それは、アドルフ・ヒトラー。
ヒトラーは、第二次世界大戦中、侵略したヨーロッパの国から、名画や彫刻の略奪を繰り返していました。そんな略奪された芸術品を、命をかけて奪い返そうと活躍した特殊部隊がいます。

それが、モニュメンツ・メン。人呼んで、芸術戦士。
その実話を元に作られたのが、「ミケランジェロ・プロジェクト」
監督・主演を務めるのは、ジョージ・クルーニー。

そんな芸術戦士たちの命がけの活動を教えてくれるのが、この映画の原作者、ロバート・M・エドゼル先生。ヒトラーが美術品の略奪を繰り返した驚きの理由とは?

最近の歴史的発見!

彼ら(モニュメンツ・メン)がいなければ、ゴッホのひまわりやフェルメールの天文学者などの名画も、見ることができなかったということです。

2013年11月、ドイツ南部のミュンヘンにある、ごく普通のアパートの一室から、1500点の世界的名画が発見されました。シャガールの未発表作品や、アンリ・マティスの座る女など。
絵の持ち主の父親は、当時ナチス幹部と親交が深かった美術商でした。

これらは、ヒトラーがユダヤ人から略奪した一部と見られ、その総額は1300億円にものぼりました。

映画「ミケランジェロ・プロジェクト」

1943年のアメリカ、ナチスに奪われた美術品を奪い返す、この世界で初めてのミッションに、ある一人の男が立ち上がりました。ジョージ・クルーニー演じる、ハーバード大学付属美術館の館長、ストークスです。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(1)

彼は芸術を守るためルーズベルト大統領を説得し、美術品を奪還する特殊部隊、モニュメンツ・メンを招集。
メンバーは、マット・ディモン演じる、ニューヨーク・メトロポリタン美術館学芸員、フランスの美術学校主任、シカゴの建築家、イギリスの歴史学者、舞台演出家、有名な彫刻家の7人です。

モニュメンツ・メンは、みんな戦争経験ゼロの中年男ばかり。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(2)

そこで、彼らがまずしたことは、なんと新兵訓練です。
若者たちと一緒に一から体を鍛え、初めての戦地に向かいました。
彼らは報酬もないボランティアです。
彼らを動かしたのは、美術品を守りたいという純粋な気持ちです。

戦地に飛んだモニュメンツ・メン

1944年、第二次世界大戦中、モニュメンツ・メンはヨーロッパ各地に飛びました。
フランス・ノルマンディーで、早くも驚きの事態に遭遇します。
アメリカ兵が押収したナチスのトラックに、たくさんの名画が。
フェルメールの「天文学者」をはじめ、およそ400枚の名画を押収しました。

彼らは、奪い返した美術品の修理、梱包、そして、各国の持ち主に返却していきます。
しかし、押収できたのはごく一部。
多くの美術品が、すでにナチスに略奪されていました。

ナチスは、ユダヤ人が収集していた名画はもちろん、有名な教会や美術館を襲い、あらゆる芸術品を略奪したのです。

ヒトラーはなぜ美術品の略奪を繰り返したのか?

「ミケランジェロ・プロジェクト」(3)

ヒトラーは画家になりたかったのです。

世界中から略奪した美術品でヒトラーの故郷であるオーストリアに世界最大級の総合美術館をつくる野望を持っていました。
学生時代は美大を目指すほどでしたが、2度受験に失敗しています。
26歳の時に描いた水彩画を見ますと、上手に描いていますが、人や生き物の気配が全くありません。
すごく孤独で悲しい印象で独創性に欠けると評されていました。

戦争経験ゼロのモニュメンツ・メンはどうやって奪還したのか?

実は、モニュメンツ・メンに協力してくれるスパイがいました。
ドイツ占領下のフランス、ナチスが奪った美術品の保管庫として使用されたジュ・ド・ポーム国立美術館、その女性職員のクレール、地味でおとなしい感じの彼女は、美術館の館長が送り込んだスパイです。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(4)

彼女はモニュメンツ・メンのメンバーに、ヒトラーの極秘情報を伝えます。クレールは危険を承知で、4年間も、ナチスの美術館に潜入し、ヒトラーの略奪品をノートに細かく記録しました。
誰が、何処で、何を奪ったか。そして隠し場所まで記されていました。
クレールの情報を元に、モニュメンツ・メンは、美術品の隠し場所にたどり着きます。
ドイツ南部の、ノイシュヴァンシュタイン城には、ロダンの有名な彫刻「カレーの市民」や世界的に有名な美術品6000点があり、全て運び出すのに6週間かかりました。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(5)

さらに、惨殺したユダヤ人数万人分の金歯まで。金目の物なら何でも奪うナチス。
モニュメンツ・メンの中には、ナチスの攻撃に遭い、命を落とす者もいました。

モニュメンツ・メンに最大の試練が!?

ドイツが敗戦濃厚になると、ヒトラーが敵国に財産を渡すなと命令し、ナチスが早まって、奪った美術品を焼き尽くそうとし、名画まで燃やしてしまいました。

1945年5月、ついに終戦を迎えましたが、戦争が終わっても安心はできません。
ナチスの残党たちが美術品を焼き尽くす可能性があるのです。
そんななか、モニュメンツ・メンは最大の隠し場所にたどり着きます。

オーストリアにある、岩塩を取るための鉱山です。既に鉱山の入り口は爆破され中に入れません。実はこのとき、戦後の取りきめで、鉱山の権利はソ連が引き継ぐことになっていました。

そこで一か八か、モニュメンツ・メンは塞がれた入り口を爆破します。ソ連軍が爆破音を聞きつけ、駆けつけてきます。モニュメンツ・メンは鉱山に突入していきました。

果たして、美術品は無事だったのか?

鉱山の奥深くに潜入してみると、美術品は無事でした。
岩塩の鉱山は、絵の保管場所として最適でした。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(6)

塩が余分な水分を吸い取り、常に湿度は65%、この最適な場所に保管されていたのは、人類最古の油絵と言われる「ヘントの祭壇画」、そして、ミケランジェロの「聖母子像」が、痛むことなく良い状態で保存されていました。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(9) 「ミケランジェロ・プロジェクト」(8)

ソ連軍が今にもやってくる時間との闘いの中、なんと3000点の美術品を、鉱山から救出したのです。

今も続く文化財の破壊……

とても悲しいことですが、現在も、文化財の破壊が行われています。
イスラム国の兵士が、イラクの世界遺産 ハトラ遺跡や、紀元前9世紀頃のメソポタミア文明を知る貴重な遺跡・ニムルド遺跡を破壊しています。

「ミケランジェロ・プロジェクト」(10) 「ミケランジェロ・プロジェクト」(11) 「ミケランジェロ・プロジェクト」(12)

イスラム国は、自らが信仰する神以外は一切認めません。貴重な文明遺産であろうと、跡形もなく粉々に破壊してしまいます。

こんなことが一日も早く終わって、平和な社会になってほしいものです。(祈)

[出典:2015年10月24日放送の「世界一受けたい授業」より]

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