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【感動実話】トムワトソン キャディ ブルースエドワーズ物語

      2017/06/17

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伝説のゴルファーが語る奇跡の友情 天国のキャディへ

 

トム・ワトソン

デビューから10年で、世界4大メジャー大会(マスターズ・全英オープン・全米オープン・全米プロ)計8回の優勝を誇り、1988年には、世界ゴルフ殿堂入りを果たした伝説のゴルファー、トム・ワトソン。

実力はさることながら、温厚で紳士的な性格に、世界中のゴルフファンが愛するワトソンですが・・・

ブルース・エドワーズ

ある年の世界最高峰の大会で、最終ホールで、観客が口々に叫んだのは、ワトソンではなく、専属キャディの「ブルース・エドワーズ」の名前でした。

通常、声援を送るなら、世界的スター選手や、その日 好成績を収めた選手のはずですが・・・

この日はなぜか、キャディの名前が響き渡りました。

その声援の裏には、ワトソンを支え続けた男の、命をかけた戦いがあったと言うのです。

あなたのキャディーにしてくれませんか?

今から42年前の1973年。

当時23歳、プロ2年目だったワトソンは、練習場で1人の青年に声をかけられました。

「僕を、あなたのキャディーにしてくれませんか?」

それは、18歳のブルース・エドワーズでした。

ブルースは、高校時代にアルバイトでキャディを経験し、間近で見るプレーの迫力に酔いしれて、高校卒業後は、プロのキャディとして仕事を探していました。

その熱意に押され、ワトソンは専属キャディとして採用しました。

キャディとしては若いブルースでしたが、彼の手帳には、細かいメモがびっしり書き込まれていて、パットの際のアドバイスも的確だったそうです。

今でこそ、キャディが戦略的アドバイスをするのは当たり前になりましたが、当時は、バックを担ぎ、クラブを渡せばそれで充分だったのです。

ブルースは、近代キャディの草分け的存在でした。

自信を持て!

あるとき、グリーン手前に池のあるコースで、3番ウッドで池越えを提案するブルースに対し、池を避け、6番アイアンで刻むルートを選ぶワトソン。

そんなワトソンにブルースは、

「ミスが続いたから諦めるのか?」

「らしくない・・・自信を持て!」

しかし、意見を譲らないワトソンに、3番ウッドと6番アイアンを置き、「好きにすればいい」と 行ってしまいました。

2本のうち、ワトソンが選んだのは、3番ウッドでした。

打ったボールは池を超え、見事グリーンに乗りました。

こうして彼らは、信頼を深めていったのです。

『やってやろう!道を見つけよう!』

どんなピンチでもそう言ってたよ

彼はいつもポジティブだった(ワトソン)

その後、ワトソンとブルースは快進撃を続け、世界最高峰のアメリカのゴルフツアーで、1977年から4年連続賞金王に輝いたのです。

そして、タッグを組んでから9年の1982年、世界4大大会の1つ、全米オープンで見事 優勝を果たしました。

コンビ解消

しかし、その後のワトソンは、スランプに陥ってしまいます。

優勝からは遠ざかり、賞金ランキングは39位にまで転落しました。

思い通りのショットが打てないことから、出場を見合わせる試合が増え、試合に出なければ、キャディであるブルースの仕事もない、才能溢れるキャディを、飼い殺しにしているようなものでした。

そして、ワトソンは、ブルースのためを思い、他のプレーヤーにつくことを提案しました。

昔のようなプレーはできないと弱気な発言を聞き、「失望したよ」と言い残したブルースは、ワトソンの元を去って行きました。

当時、世界ナンバーワンだったグレッグ・ノーマンからのオファーを受け、ブルースは彼のキャディになりました。

ノーマンは、世界中で様々な大会に出場し、好成績を収め、獲得した賞金も多く、ワトソンについていた時に比べて、ブルースのギャラはおよそ2倍になりました。

ブルースは、キャディとして華々しい活躍を見せていきました。

コンビ復活

一方のワトソンは、相変わらず、スランプから抜け出せていませんでした。

2年後のこと

「トム、誕生日おめでとう」

それはブルースからでした。

そして、その電話でブルースは、ノーマンのキャディを辞めることをワトソンに告げます。

キャディとして最高の舞台に立っている今の生活を捨てるのかとワトソン。

「ああ、立ってるよ!」

「でも、どうせ立つなら、君と立っていたいんだ。」

「2人で乗り切ろう」

いいのかと言うワトソンに、

「当たり前じゃないか!不調の時こそ一緒にいるべきだろ。」

「頼むよ、ボス!」

ブルースは、苦しみ続けるワトソンの元に戻り、再び二人三脚が始まりました。

ノーマンは当時世界ナンバー1だったから、まさかと思ったよ。

私はとても嬉しかった。(ワトソン)

ブルースは、今まで以上にワトソンを支えました。

コンビ復活から4年後の1996年、ワトソンはスランプを抜け、世界最高峰のツアーで、9年ぶりの優勝を果たしたのです。

一方、ブルースも結婚を決め、全てが充実した日々が続いていました。

しかし、想像をしなかった悲劇が・・・

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筋萎縮性側索硬化症

ある日のこと、ワトソンからボールを渡されたブルースの手からボールが落ち、その落としたボールを、つかもうとしてもうまくつかめません。

さらに、ろれつが回らないブルースを心配したワトソンは、ブルースに検査を受けさせ、その結果、ALSだと判明。

ALS、筋萎縮性側索硬化症とは、脳の命令を筋肉に伝えるニューロンという神経細胞が侵される病気で、脳からの命令が伝わらないと、筋肉は動かなくなり、徐々に衰えていきます。

最終的には、手足を動かすことはおろか、呼吸さえも自力でできなくなる、原因不明の難病で、治療法は未だ存在していません。

ブルースは、ワトソンに電話をかけ、「まいったよ。ALSって病気らしい。」

「あと、3年生きられるかどうかだってさ・・・」

迷惑をかけまいと、キャディを辞めることを告げるブルースに、

「諦めるのか!」

「僕はゴルファーとして、これからも世界の舞台に立ち続ける!」

「でもどうせ立つなら、君と立っていたいんだ。」

私がはじめにやったことは、ALSがどんな病気かを勉強することでした。

解決の道があるのではと必死に探しました。(ワトソン)

ワトソンは、かつて自分が不調だった時に、「共に乗り切ろうと」言ってくれたブルースに応えたかったのです。

ブルースの体力に合わせて、練習時間を軽減したり、バックの重量も軽減。

さらに、病気のことを調べて、最新の治療を行い、治療費も全て支払いました。

ブルースのためにできることを全てやりました。

最後の大舞台

しかし、病気の進行は恐ろしいほど早く、2人の時間はどんどん短くなってきます。

残された命を振り絞るようにして、彼らは最後の大舞台に立ちました。

それは、2003年の全米オープン。

招待選手としての特別参加で、カートの使用も認められたのですが、ブルースは、自分の足で歩くことを決めました。

かつてそうした様に、自分の足で、ワトソンと共にコースを確かめ、風を感じたかったのです。

2人は思っていました。

もしかしたら、これが最後の全米オープンになるかも知れないという事を。

例え終わりが見えていたとしても、決して諦めない、次の瞬間ベストを尽くす。

それが2人のゴルフでした。

そして、会場の全てが、そんな2人を歓迎しました。

ゴルフの神様が、また僕たちを見守ってくれたんだよ。(ブルース)

ブルースは、立っているのもやっとの状況。

それでも寄り添うように、2人は、穏やかな表情で戦い続けました。

ワトソンのプレーが語っていました。

僕にはブルースしかいないと・・・

僕のために、トムは頑張ってくれたんだ(ブルース)

そして、ワトソンは、トップの成績で初日を終えました。

トムの事を誇りに思うし、トムといられる人生は、胸を張れるものだった。凄い男だよ(ブルース)

最終日には、惜しくも首位から転落していましたが、2人を迎えたのは、ギャラリーの大歓声と、スタンディングオベーションでした。

「ブルース」「ブルース」

観客はスタンディングオベーションで、みんな「ブルース」と合唱したんだ。

ブーというように聞こえるのですが、あれはブルースと言ってるんです。

私は泣き出して、彼も泣いて、悲しい時でした。

観衆は、精一杯の尊敬の念を示したんです(ワトソン)

そして、翌年の2004年4月8日。

トム・ワトソンの最高のキャディ、ブルース・エドワーズは、天国に旅立ちました。

享年49歳でした。

奇しくもその日は、ブルースが最も愛した大会、マスターズの初日だったのです。

肉体的に彼はいないが、彼はそこにいるんです。

ブルースを知っている人たちとの会話で、彼はよく出てくるよ

ブルースだったら、こう言うよ

ブルースだったら、こうするよ

ブルースだったら、面白いジョークを言うよ

ブルースだったら、いいニックネームをつけるだろうな

いつもそんな感じなんだ(ワトソン)

生前、ブルースは、こう語っています。

疑う余地はない事なんだ

トムと出会ったことが、僕の人生で最高の出来事なんだ

「病気になるとしても、もう一度同じ人生を歩みますか」って聞かれたけど

「もちろんだ。毎回同じ人生を歩むよ」って答えた

僕は本当にラッキーなんだ(ブルース)

昨年、世界的に大流行したアイスバケツチャレンジは、ALSの知名度を高め、闘病を支援する目的で始まったチャリティキャンペーンです。

このチャレンジに、64歳になったトム・ワトソンさんも参加しました。

ALSが完治できる治療法をみつけるため、お役に立てることを望みます(ワトソン)

そして彼は、こう語りかけました。

This is for you! Bruce(これを君に捧げるよ!ブルース)

その死から、今年で11年、2人の絆は今も変わりません。

[出典:2015年5月7日放送「奇跡体験!アンビリーバボー」]

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