【感動実話】母へ贈る病室でのサプライズ結婚式
2017/06/30
余命少ない母へ贈る奇跡の結婚式 最期まで娘想う母の愛
愛に満ちたストーリー
結婚式は、夫婦が永遠の愛を誓うだけでありません。
両親や家族に、感謝の気持ちを表す場でもあります。
今から2年前に、広島県で行われたある結婚式には、新郎新婦が、どうしても出席してほしかった人の姿がありませんでした。
それは、新婦・望さんの母、徳永 泉さんです。
彼女は、結婚式の2ヶ月前に亡くなっていました。
「あの時できることは、できたかなと思っています。親孝行が出来たなって・・・」(岡本 望さん)
母親が出席できなかった結婚式で、最高の親孝行が出来たという望さん。
そこには、母と娘、それを取り巻く人々の、愛に満ちたストーリーがありました。
母親そっくりのヤンチャ娘
今から28年前の1987年に、3人兄弟の真ん中に生まれた長女の望さん。
明るくたくましい母親そっくりで、負けず嫌いのヤンチャ娘だったといいます。
望さんは、高校を卒業すると、親元を離れて、リハビリ治療の専門家・作業療法士の資格をとるために、
県外の専門学校に進学しました。
そして猛勉強の末、見事、国家試験に合格すると、2010年、兵庫県内の病院で、社会人生活をスタートさせました。
その翌年には、専門学校時代の同級生で、同じ広島出身だった岡本淳志さんと交際をスタート。
仕事もプライベートも、充実した日々を送っていました。
子宮がん
しかし、2012年3月、母の泉さんに、子宮がんが見つかったのです。
正式な病名は、子宮平滑筋肉腫で、非常に悪性度が高く、早期発見も困難な病気で、手術をしたときには、既に転移が認められていました。
転移した場合の、5年後の生存率は、10%以下だと言われていました。
子どものころからずっと、優しくて、仲良しで、大好きだった母。
「私、まだちゃんと謝っとらんのに・・・」
彼女には、ずっと心に引っかかっていた出来事がありました。
卒業を祝うケーキ
それは6年前、2006年3月、高校を卒業した日のことです。
友達の家に泊まることになったと、家に電話した望さん。
母・泉さんは、帰ってくるように言いましたが、望さんは、無理矢理話しを切り上げて、電話を切ってしまいました。
翌朝、家に帰ると、そこには、卒業を祝うためのケーキが置いてありました。
あと一週間もすれば、進学して、1人暮らしを始める娘との、残り少ない時間。
母の泉さんが、この日をどれだけ大切に思っていたことか・・・
望さんはその後、母に謝ることができずにいました。
広島に帰郷
望さんは、広島に帰ることを決意しました。
そして、実家に戻った望さんは、毎朝5時半に起きて、洗濯をし、家族全員の弁当を用意。
地元の病院で、作業療法士の仕事もこなしながら、母・泉さんを支え続けました。
しかし、泉さんの容態は、日に日に悪化するばかりでした。
「母の調子が悪くなっていく姿が、見てて、一番つらかったですね。」
決意のプロポーズ
望さんが広島に戻ってから半年後、2012年の冬。
淳志さんが、広島県の病院に移ろうと、兵庫県の病院を突然辞め、帰郷。
そして、「お願いします! 娘さんを、ボクにください!」
「えっ?」
望さん本人にさえ伝えていなかった、決意のプロポーズでした。
「ちょっとでも彼女を安心させてあげたいのもあるし、娘さんの花嫁姿を見せてあげたいと思って・・・」(淳志さん)
「淳志くん。ありがとう。」(泉さん)
夏まで持たないかもしれない
2013年4月に、2人は婚約しました。
しかし、婚約からわずか数週間後に、母・泉さんの容態が急変し、緊急入院することに。
しかも、これ以上の手術は出来ず、夏まで持たないかもしれないと、宣告されてしまったのです。
母に花嫁姿を見せるため、結婚式場を探し始めていたさなかの、突然の宣告でした。
そもそも、友人や仕事の関係者を集めた披露宴は、最低でも準備に数ヶ月はかかります。
仮に、そこまで命が持ったとしても、絶対安静が必要な泉さんが、そこに出席することは、現実的に不可能でした。
母に見せるために・・・
結婚式を母に見せることは、無理かもしれない・・・
そう思っていた時、2人は、広島県内にある結婚式場のホームページを見つけ、そこに相談してみることにしました。
2人から直接相談をうけた、アーククラブ迎賓館 福山、ウェディングプランナーの林さんに聞いた、彼らから受けた相談とは・・・
「病院で、結婚式を行いたいという相談を受けました。」
病院内での結婚式
実は2人は、入院して動けない泉さんのために、病院内での結婚式を考えていたのです。
そんなとき、林さんが勤める式場が、以前、病院内での結婚式を行ったことがあることを知りました。
その後、3人が病院に掛け合うと、病院側も快く 式を行う許可を出してくれました。
さらに、望さんの提案で、式は、泉さんに内緒のサプライズで行うことになり、急ピッチで準備が進められました。
忘れられない10分間
そして、2013年7月12日。
看護師が、泉さんを散歩と称して連れ出しました。
その時、すぐ近くの部屋には、ウエディングドレスに身を包んだ、望さんの姿がありました。
こうして、病室でのサプライズ結婚式は幕を開けました。
時間にすれば、わずか10分にも満たない、短い式でした。
しかし、母と娘にとっては、これまで過ごしてきた26年間が凝縮された、忘れられない10分間になったのです。
最後の親孝行
1ヶ月後の2013年8月16日、
母・泉さんは、静かに旅立ちました。(享年53歳)
望さん・・・
「最期に、本当は見られなかった結婚式が見せてあげられて・・・
やる前に、悩んだりもしたんですけど。
母に間接的に、もう(正式な結婚式には)出られないからということを、言うような気がして・・・
無事に見せてあげる事ができたので、良かったなと・・・」
母からのサプライズ
しかし、彼らのサプライズ結婚式には、続きがありました。
それは、泉さんの死から2ヶ月後、2013年10月12日、友人や仕事の関係者も招いた、結婚式でのこと・・・
「実は今日は、お2人に、ある方から、メッセージが届いています。」
モニターに映し出されたのは、3ヶ月前のあの日、密かに撮影されていた、
泉さんの姿でした。
「あつしくん、のんちゃん、今日は本当にありがとう。
こんなに早く、2人の結婚式が見られるなんて、思ってもみなくて、とっても嬉しいです。
2人できっと、いろんなことを支え合って生きていくんでしょうけれども、決して2人だけじゃないし、周りの人が、助けてくれてるから、いつでも甘えていいんだよ。
そういうときに、いっぱい感謝してください。『ありがとう』と言う言葉が、家庭の中であふれるようにしてください。
『ありがとう』という言葉をいっぱい言える、幸せな家庭が出来るんじゃないかなって思います。
私は今、本当感謝でいっぱいです。本当にありがとう。すごく幸せです。」
母のために、結婚式をした娘・・・
そんな娘を想い続けた母の言葉は、愛で溢れていました。
さらなる変化
感動の結婚式から1年半後。
2人の人生には、さらなる変化がありました。
それは、待望の長女、優衣ちゃんの誕生です。
さらに、母になったことで、望さんの心境にもある変化があったといいます。
「周りに感謝を感じる事が、すごく強くなったと思います。こんな風に自分の親が、一生懸命やってくれたんだとか、周りがサポートしてくれてたんだと思うことが、いっぱいありますね。」
お母さんの分まで、幸せになってください。(S.A.)
[出典:2015年6月18日(木)「奇跡体験!アンビリーバボー」]
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