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W杯でサブになった傷心の中村俊輔を救ったのは川口能活だった

      2018/07/11

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中村俊輔にとって「中田英寿と本田圭佑」とはどんな存在なのかに続く第二弾。

エースの座からサブへ。傷心の中村俊輔を救った川口能活の存在

6/17(日) 11:35配信

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第6回
W杯で輝けなかった「エース」の本音~中村俊輔(3)

 2010年南アフリカW杯を目前にしての壮行試合、日本vs韓国が5月24日に埼玉スタジアムで行なわれた。

 スタメン出場した”エース”中村俊輔は、足首を痛めていて満足のいくプレーができず、後半18分に交代した。試合も0-2と完敗。スタンドからは激しいブーイングが飛んだ。

「春先に足首を痛めて、W杯に向けて負荷を上げていったんだけど、何だったんだろうね……。体のバランスが崩れて、フィジカルが落ちていったのかなぁ……。Jリーグでは何とかできていたけど、(相手が)韓国ぐらいになるとごまかしがきかない。それが、モロに出てしまった」

 それでも、中村はW杯本番に向けて気持ちを切り替えようとした。

 その夜、宿舎でミーティングが行なわれた。

 韓国相手にいいところなく敗れて、選手の間にも、これから戦いにいく世界の舞台に対する危機感が強まっていた。指揮官である岡田武史監督は、その空気を感じ取っていたのだろう。選手の前で、こう切り出した。

「俺は決断した。W杯仕様のサッカーに切り替える」

 中村はそう言われた瞬間、「俺は、もうないな」と思ったという。

 実は試合後、中村は厳しい表情の岡田監督にこう聞かれていた。

「足首、痛かったのか?」

「はい、少し」

 中村がそう答えると、岡田監督はそのままひと言も発せず、その場を去った。

 中村は失意のままスイス合宿に飛んだ。

 面と向かって「おまえはサブだ」と言われたわけではなかったが、最後に発した監督の言動が何を意味するのか、中村にはおおよそ理解できた。現地に入って、足首などのリハビリに専念していたが、練習を見ていると、自分の居場所がないことをほぼ確信した。

 中村の目に飛び込んできたのは、これまで採用したことがない戦術だった。システムは、4-1-2-3となり、中盤のアンカーに阿部勇樹が置かれた。

 日を追うごとにチームは様変わりし、オーストリアで行なわれた国際親善試合のイングランド戦(1-2)からGKは楢崎正剛から川島永嗣に代わった。そして、本番直前の最後の調整試合となったジンバブエ戦(30分×3本、0-0)では、1トップが岡崎慎司から本田圭佑に代わった。

 トップ下のポジションがなくなり、アンカー阿部の前にボランチの遠藤保仁と長谷部誠が配置され、右のサイドハーフに松井大輔、左のサイドハーフに大久保嘉人が入った。

 また、キャプテンが中澤佑二から長谷部に代わった。

 中村はアジア最終予選を戦ったチームの痕跡が、跡形もなく消えてしまったことに唖然とした。

「キャプテンがいつの間にか、ボンバー(中澤)からハセ(長谷部)になり、システムも変わった。正直、変化のスピードについていけなかった」

 大胆な改革でチームに大きな動揺があったことは、想像に難くない。レギュラーを外された中村自身、心に深い傷を負っていた。

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 最初の頃は、悔しすぎて夜も眠れなかったという。

 中村が座る食事のテーブルには、楢崎、中澤、田中マルクス闘莉王、川口能活らが一緒に座っていた。

 川口は岡田監督から「第3GKで、チームのまとめ役として来てくれ」と言われ、考え抜いた末にメンバー入りを決断した。中村は、その役割を引き受けた川口を尊敬し、信頼していた。ベスト16入りした2002年W杯の、中山雅史や秋田豊の役割を果たすであろうことを、十分に承知していた。

 中村と一緒にテーブルにつく面々も、いろいろなことをグッと自らの胸に押し込めながら、自分たちに課せられた”戦い”と闘っていた。

「能活さんがいて、ボンバーがいて、ナラさん(楢崎)がいた。半端ないストレスを抱えるなか、特に大きかったのは能活さんの存在だった。

 能活さんは日本のために自分自身の身を削っていた。(自分は)ろうそくとなって、他人を明るく照らそうとした。犠牲心を持ってやれるか、という部分でお手本になってくれた。ほんと、助けられた」

 いよいよW杯が開幕。これから試合が続いていく。

 2006年ドイツW杯では、サブがまとまらず、初戦の敗戦をきっかけにしてチームが崩壊してしまった。中村は今回、そのサブに自分が置かれた。選手としてどう役割を果たすべきか、毎日考えていたという。

「(2004年の)アジアカップのときかな……、マツさん(松田直樹)が(試合に出ている選手に)タオルを絞って渡したりして、そういうのを見ていたんで、わりとサブとしてやるべきことは理解していた。マツさんを見ていなかったら、きっと何をしていいのかわからなくて、ストレスだけを抱えていたと思う」

 中村はどんなにつらくても、チームに反する態度だけは見せないようにした。大会を勝ち抜くには、自分たちのようなサブの選手の熱いサポートこそが大事――それは2002年、トルシエジャパンの映像からも垣間見ることができたし、ドイツW杯のときに実際に肌で感じて学んだことでもある。

 中村は、犠牲心を持ってチームを支える覚悟を決めた。

 W杯初戦のカメルーン戦の前には、中村たちサブ組は紅白戦で”仮想カメルーン”になって、レギュラーチームの相手になった。本気になってカメルーン選手の役を務め、「レギュラーの選手にもっとやらないといけない」と思わせるようなプレーをした。

 自分のポジションに入った松井に対しては、「憎いとか、そんな感情は一切なかった」という。逆に、カメルーン戦での給水時に声をかけた。

「松井、(相手の)左サイドバックは、大したことない。ぜんぜんイケるぞ。ゴリゴリいけよ!」

 そう中村に言われた松井は、大きく頷いてピッチに戻っていった。

 当時を思い出して中村は笑ったが、現に松井は本田の決勝ゴールにつながるアシストを決めた。中村は、それが自分のことのようにうれしかったという。

 そうして、劇的な本田の決勝ゴールで日本は勝利し、岡田監督は”賭け”に勝った。

「やったじゃん」

 中村は、ベンチにいた川口や楢崎と喜びを分かち合った。今までの苦しみが、ほんの少し報われた気がした。

(つづく)
佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

[出典:(webスポルティーバ)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180617-00010005-sportiva-socc ]

どんな名選手も、いつまでもトップを維持したままでいる事はできません。
まだ出来ると周りが思っているのに早々に引退する選手もいますし、ボロボロになるまで現役を続ける選手もいます。
それはその人の生き方なので周囲がとやかくは言えませんが、中村選手はまだまだ現役で頑張ってもらいたいです。

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