★三遊亭圓橘(三代目)宗論(宗旨争い)

三遊亭圓橘(三代目)

[落語でブッダ2-収録]

プロフィール

3代目三遊亭 圓橘(慶応4年2月7日(1868年2月29日) – 大正5年(1916年)10月24日))。
本名は塚本伊勢吉。通称「河内屋の圓橘」、「柳橋(やなぎばし)の圓橘」(柳橋で「河内屋」という名のを芸妓の店を開いていたため)。

1884年に2代目禽語楼小さん門下で柳家小夏を名乗り、1888年、9年頃に初代三遊亭圓遊門下に移って三遊亭遊七に改名する。
1902年4月に真打で初代三遊亭遊朝となり、1908年5月に3代目圓橘を襲名。

容姿が良く小粋な芸で色白でおっとりしていたところから「枕草子の殿様」とのあだ名も付けられていた。
軽めのネタから新作をこなした。8代目桂文楽の得意ネタであった『寝床』はこの人のを醇成させたもの。
一時期三遊派を離脱して三遊分派に所属したことがある。

1916年に『洋行帰りハイカラ自動車 上・下』『宗旨争ひ 上・下』『滑稽桃太郎 上・下』の3枚のSPレコードが吹き込んでいる。
弟子だった人物には柳亭市楽(本名、杉井徳次郎)、三遊亭橘弥(本名、中村勘三)、式亭三馬(本名、宇田川喜太郎)、桂文之助(6代目桂文治の子)などがいる。

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