実話怪談ふうの取材形式が、ここまで怖くなる。『蒐集者の手帳』を読む

志那羽岩子
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志那羽岩子という記録者がいるだけで、怪談の読後感はここまで変わる

怪談を集めていたはずの記録者が、いつの間にか集められる側へ回っていく。

『蒐集者の手帳~忘れられなかった十八の怪談』を読んだあとにいちばん強く残るのは、おそらくこの感覚だ。

この本は、単に怖い話を十八本並べた短編集ではない。団地、坂道、台所、職場、郵便局、コンビニ、学校、海沿いの店、連棟住宅、帰省の電車。日常の中にぽつぽつと口を開けている、説明しきれない体験が集められている。けれど、読んでいるうちに気づく。この本を本当に不穏なものにしているのは、怪異そのものだけではない。そうした話を聞き取り、書き留め、手帳に残していく《志那羽岩子》という記録者の存在そのものなのだ。

まえがきで岩子は、自分は怪談を集めるつもりなどなかったと書く。団地の取材から始まり、ルポには収められない一つの話が混じり、それを境に、まるで向こうから約束でもしていたかのように次の話がやって来る。

タクシー運転手、コンビニ店員、小学校教師、解体業者、気象観測所の職員。誰も「怪談を話そう」と思って彼女の前に現れたわけではない。ただ、結果として話は彼女の手元へ集まってくる。ここがまずうまい。最初から蒐集家として身構えた人物ではなく、気づけば話の流れの中にいた記録者として立たせることで、読者もまた自然にその手帳を覗き込む立場へ引き込まれる。

しかも岩子は、真偽の裁定者ではない。証言が事実かどうかを断定しない。ただし、語る声の調子、目の動き、言葉を選ぶ沈黙が嘘ではないことだけは、取材者として断言できると言う。この距離感が絶妙だ。

何でもかんでも超常現象として受け入れるわけでもなく、かといって合理的に片づけてしまうわけでもない。その宙吊りの姿勢があるから、読者は「本当にあったのか」を考えるより先に、「この人はたしかに何かを体験したのだ」という感触を受け取ることになる。怪談として、これはかなり強い。怖さが説明からではなく、証言の手触りから立ち上がるからだ。

ただの短編集ではなく、記録者が侵食されていく本

ただ、この本の面白さはそこで終わらない。

むしろ本番はそこからだ。

設計意図ノートを読むと、この短編集の裏側には一本の流れが通っていることがはっきり分かる。岩子は最初、あくまで聞き手として存在感を薄くしている。ところが話が進むにつれて、ただ記録するだけでは済まなくなる。

怪異の構造を考え始め、解釈を差し挟み、自分自身の身にも小さな異変が起き、やがて蒐集行為そのものが彼女を変えていく。つまり読者は、十八の怪談を読んでいるつもりで、同時に一人の記録者が少しずつ巻き込まれていく過程まで読まされている。ここが、この本を「読み捨ての怪談集」で終わらせない核になっている。

中盤以降でその輪郭はさらに濃くなる。たとえば設計ノートでは、ある話で岩子が「怪異の構造」を分析し始めたことが、記録者から解釈者への移行として明記されている。別の話では、怪談の中にいる人を助ける方法を自分は持っていないという無力さが強く残る。

そして後半では、手帳の筆跡や記録そのものにまで変化が及び、蒐集しているつもりの人間が、逆に何かを汲み上げられている感触を自覚し始める。こうした積み重ねがあるから、読み終えたあとで最初の一話の意味まで微妙に変わってくる。最初は「取材者が聞いた怪談」だったものが、最後には「向こう側から記録者へ届いた連鎖の始点」に見えてしまうのだ。

十八話あるのに、恐怖の型が散っていて単調にならない

一話ごとの恐怖の型が散っているのも、この本の強さだ。

ただ同じ調子の怪談が並ぶと、どうしても読み心地は平板になる。けれど本書では、日常がじわじわ侵食される話もあれば、最後の一撃で時系列や認識が組み替わる話もある。

露骨な怪異が前に出るものもあれば、現象らしい現象がほとんど起きないまま不穏さだけが残るものもある。悲しさに近い余韻を残す話もあれば、物理的に説明できるかもしれないからこそ妙に嫌な話もある。だから、十八話あるのに単調にならない。読者は「次はどの種類の嫌さが来るのか」を無意識に構えることになる。

ここで効いてくるのが、やはり岩子という記録者の存在だ。

もしこれが単なるオムニバスなら、話ごとの出来不出来や好みで読後感はばらける。だが本書では、十八話のすべてが一冊の手帳へ回収されていく。そのため、話のバリエーションは広いのに、本全体の手触りは散らばらない。むしろ読むほどに、個々の怪異より「これを書き留めている人」のほうが気になってくる。

この感覚は、実話怪談やモキュメンタリーが好きな読者にはかなり刺さるはずだ。資料ふうの体裁や証言の積み上げによって現実味を立てつつ、その中心にいる記録者の位置が少しずつ揺らぐ。考察の余地はある。けれど考察を売りにしすぎていない。あくまで先にあるのは怪談としての面白さで、そのあとに「どう読めばよかったのか」が遅れてやって来る。この順番がいい。

怪談好きにも、モキュメンタリー好きにも刺さる理由

怪談集には、大きく分けて二種類ある。

一話一話の瞬発力で読ませる本。

それとは別に、一冊まるごとの読後感で残る本。

『蒐集者の手帳 忘れられなかった十八の怪談』は、明らかに後者だ。もちろん個々の話にも力はある。だが、本当に効くのは読み終えたあとで、記録者・志那羽岩子の手帳そのものがひとつの怪談装置になっていたと気づく瞬間だ。

怪談が好きな人には、まず普通に読んでほしい。

実話怪談や聞き書き怪談が好きなら、その距離感の作り方を味わってほしい。

モキュメンタリーや考察系が好きなら、岩子という記録者がどの時点から「外側」にいられなくなったのかを追ってみるのも面白い。

ただし、どんな読み方をしても、最後に残るのは理屈よりも気配だと思う。怪異そのものより、怪異を記録し続けた人の気配である。

気になったなら、まずはKindle版から触れてほしい

興味を持ったなら、Kindle版から入るのがいちばん自然だ。

一話ずつ読んでもいいし、一気に手帳の流れを追ってもいい。

ペーパーバックで手元に置く読み方もあるが、まずは Kindle でこの《記録の連鎖》に触れるのが向いている。

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