更新履歴
2016年10月:初投稿(出典:2016年10月20日放送「奇跡体験!アンビリバボー」)
2026年05月10日(日):裁判の最終判決・その後の情報を追記
実録ミステリー:絶対不可能な殺人——壮絶なる人生ドラマ
「ある殺人事件」の裁判
2016年の夏にイタリアで行われた「ある殺人事件」の裁判は、イタリア全土の注目を集めた。将来有望な美少女アスリートが殺されるというセンセーショナルな事件だったが、国民の関心を引いた理由はそれだけではなかった。警察が疑いを向けた人物がいたものの、その人物が殺人を犯すことは物理的にも常識的にもありえなかった。DNAを軸にしたミステリーが解かれた先には、人生を狂わされた人々の悲痛な真実が待っていた。
2016年9月、番組はイタリアを取材。イタリア全国紙のひとつ「イル・ジョルノ」で凶悪事件を専門に担当するベテラン記者、ガブリエーレ・モローニ氏が、事件のあった場所へ案内した。そこはミラノの隣町ブレンバーテ・ディ・ソプラ、人口約7000人が暮らす小さな町。2010年に、この地で事件は始まった。
ヤーラ・ガンビラジオ誘拐殺人事件
2010年11月26日、1人で帰宅途中だった当時13歳の少女、ヤーラ・ガンビラジオが行方不明になった。失踪はすぐさま誘拐事件として地元のトップニュースとなり、瞬く間にイタリア全土へ波及した。凶悪事件とは無縁の静かな町で起きた事件に、住民たちは大きなショックを受けた。
ヤーラは地元ロンバルディア州でも有名な新体操の選手で、美しくしなやかな演技で州大会でも優秀な成績を残し、将来を嘱望されたホープだった。しかし失踪から約3ヶ月後の2011年2月、ヤーラは刃物のようなもので全身を何ヶ所も刺され、殺されているのが発見された。葬儀には何千人もの住民が参列し、当時のイタリア大統領からもお悔やみのメッセージが寄せられた。
町の住民たちにDNA鑑定
地元警察は捜査に絶対的な自信を持っていた。殺害されたヤーラの衣服には、犯人のものと思われる血痕が付着していたからだ。まず警察は血痕から採取したDNAを前科者のデータと照合したが、該当する人物は見当たらなかった。そこで、町の住民全員にDNA鑑定への協力を求めることにした。
【DNA鑑定とは】
人の細胞内に存在するデオキシリボ核酸を分析し、そこに現れる遺伝情報から個人識別や親子の血縁関係などを判別する方法。ある人間のDNAが別人と一致する確率は4兆7000億分の1とされており、本人でない限り同一となるケースはほとんどない。
DNAの提供はあくまで任意だったが、痛みなく微量でも鑑定が可能なため多くの人々が進んで協力した。最終的にDNAを提供した人数は、周辺地域の住民も含めて18000人以上に達した。しかし、該当する人物は見つからなかった。警察は提供した住民を容疑者から外し、逆に協力しなかった住民を調査することにした。ところが、この大規模な鑑定によって事件は思いもよらない展開を見せることになる。
DNAと似た特徴を持つ人物が現れた
事件から約11ヶ月後の2011年10月21日。鑑定した住民の中に、現場に残されたDNAと似た特徴を持つ人物が現れた。完全一致ではないため犯人とは断定できなかったが、捜査線上に浮かんだ最重要人物は「ダミアーノ」という男性だった。
鑑識によるとダミアーノのDNAはヤーラの衣服に付着した血痕のDNAと似ているが一致はしなかった。DNAは血縁者間では非常に似ることがある。そこで警察はダミアーノの血縁者の中に犯人がいると見て、両親・兄弟から遠い親戚に至るまで徹底的にDNA鑑定を行った。
犯人はこの世に存在していない男だった
その結果、ダミアーノの家にあった絵葉書の切手に付着した唾液から採取されたDNAにより、新たな疑惑の人物が浮かび上がった。ダミアーノの叔父、ジュゼッペ・グエリノーニだった。彼のDNAは現場に残されたものと限りなく近かった。
ようやくたどり着いた疑惑の人物だったが、ジュゼッペは事件の10年以上前に亡くなっていた。ヤーラ殺害事件が起きたのは2010年だが、ジュゼッペが死亡したのは1999年——そのとき彼はすでにこの世に存在していなかった。
それでは現場にあったDNAは誰のものなのか。鑑識官によれば、やはりジュゼッペに近い血縁者の中にいるのは間違いないという。兄弟・親・親戚、ジュゼッペの妻との間に生まれた3人の子供も全員調べたが、一致する人物は見つからなかった。DNAによって犯人を絞り込む捜査は限界を迎えていた。これらの事実が報じられると、町の人たちの間に様々な噂が流れ始めた。そんな中、ある1人の老婆だけがなぜか心の底から怯えていた。
ベテラン刑事モチェリーノの地道な聞き込み捜査
警察は唯一の手がかりであるジュゼッペの生前を調べた。ジュゼッペが生前勤務していたバス会社を訪ねたが、深い話を聞こうとしても協力はなかなか得られなかった。遺体発見からおよそ2年が経ったころ、現場一筋30年のベテラン刑事・モチェリーノが本部長に聞き込み捜査を申し出た。
人口7000人ほどの小さな町は住民同士の結束が強く、よそ者を受け付けない閉鎖的な土地柄だった。昔からの知り合いだというモチェリーノ刑事は、いきなり核心には迫らず、住民とのコミュニケーションを積み重ね、数ヶ月かけて町の人々の信頼を築いていった。
エステル・アルズッフィーという老婆
事件から約3年半後の2014年6月。ある老婆がモチェリーノの目に止まった。住民によると、彼女は昔は明るかったのに、ヤーラ殺害事件以後に急に元気がなくなり付き合いが悪くなったという。殺害現場から10kmの場所に住む彼女の名前は「エステル・アルズッフィー」。夫・ジョヴァンニとは1967年に結婚し、以来この町で暮らしていた。
結婚から3年後に男女の双子(兄のマッシモと妹のラウラ)を出産し、さらにその2年後に弟のファビオも生まれた。子供たちはそれぞれ独立し家庭を築いていた。誰もが思い描くような人生を歩んでいるように見えたエステルだったが、ヤーラ殺害事件以降、近所づきあいが悪くなり笑顔が消えていた。
衝撃の事実が判明
実はエステルは、警察が行った大規模なDNA鑑定に夫と共に協力していた。しかし当時、犯人と思われるDNAは男性のものと判明していたため、女性のDNAは登録こそされたが鑑定は行われていなかった。そこでモチェリーノが彼女のDNAデータを再鑑定したところ、衝撃の事実が判明した。
DNA鑑定では個人識別だけでなく、複数の人間がどんな血縁関係にあるかも判別できる。エステルのDNAを詳しく調べた結果、彼女のDNAは現場に残った犯人と思われるDNAと「母子関係」にあることが発覚したのだ。
犯人の逮捕
こうして捜査官は、双子の兄マッシモ、妹ラウラ、弟ファビオのDNAを採取して鑑定を行った。エステルの子供たちのDNA鑑定を終えた捜査官は警察に「ある人物」——エステルの夫・ジョヴァンニ——を呼び出し、結果を報告した。彼は、犯人が逮捕されたこと、そしてその犯人が息子の双子の兄マッシモ(本名:マッシモ・ジュゼッペ・ボッセッティ)であることを告げられた。
土木工事作業員として働き、3人の子供を持つ父親でもあったマッシモは、犯人のDNAと限りなく似ていたジュゼッペとどんな関係にあるのか。ジョヴァンニは食い下がったが、やがて気づいた。「そんなことって……」「そういうことです……」
全く知らない男の子供だった
10年以上前に亡くなったジュゼッペは、生前バスの運転手として働いていた。陽気な性格で乗客ともすぐに打ち解けたが、一方で女性関係も派手だったという。既婚者にもかかわらず美しい女性に声をかけてはデートに誘い、そんな彼の誘いに乗った1人がエステルだった。結婚したばかりのエステルと、妻子あるジュゼッペは密かに不倫を続け、やがてエステルはジュゼッペの子を妊娠した。
DNA鑑定の結果、ジョヴァンニと双子のマッシモ・ラウラの親子関係は完全に否定された。双子はエステルとジュゼッペの子供だった。ジョヴァンニは、実の子だと思っていた双子が全く知らない男の子供だったことを知らされた。エステルがかつて怯えていたのは、不倫相手の名が美少女殺害事件によって繰り返し取り沙汰されるのを見て、昔の過ちが発覚することを恐れたからだった。
判決は終身刑——そして確定
2014年6月16日、マッシモ・ジュゼッペ・ボッセッティが殺人容疑で逮捕された。その後の裁判で様々な真実が明らかとなった。ヤーラが誘拐されたあの日、現場近くの防犯カメラにはマッシモの車と同じ車種の白いトラックが7度も映り込んでいた。さらに被害者の衣服に付着した繊維がマッシモの車のシート素材と同一であることも判明し、ヤーラがマッシモの車に乗せられたことを裏付ける証拠となった。殺害動機は、いたずら目的で誘拐した少女に抵抗されたためとされた。
一審のベルガモ重罪裁判所は2016年7月1日にマッシモに終身刑を言い渡した。2017年7月、ブレシアの控訴審でも終身刑が維持され、2018年10月12日にイタリア最高裁(破棄院)が上告を棄却して判決が確定した。マッシモは一貫して無実を主張しており、弁護側は現在も証拠の再鑑定を求めて申し立てを続けているが、2024年2月にも最高裁により棄却されている。2026年1月時点でも服役中で、テレビ番組への出演で改めて無実を訴えた。
さらなる衝撃の事実
ひときわ心を引き裂かれたのが、エステルの夫・ジョヴァンニだった。犯人を特定するためにDNA鑑定を受けた子供たちについて、さらなる事実が発覚した。双子のマッシモとラウラが妻エステルの不倫相手ジュゼッペの子供であることはわかったが、弟のファビオもジョヴァンニの子供ではなかったのだ。しかも、ファビオの父親はジュゼッペでもなかった。エステルはジュゼッペ以外とも不倫していたことになる。
ジョヴァンニのその後
妻の度重なる不倫と、3人の子供全員が実の子ではないと知り、失意のどん底に突き落とされたジョヴァンニ。しかし彼はその後、エステルと共に生活を送り続けた。エステルは子供たちが科学的に否定されたことを最後まで認めず、夫の子供であると訴え続けた。番組の取材によると、ジョヴァンニはその後大病を患い、マッシモ逮捕から1年半ほどで亡くなったという。
[出典:2016年10月20日放送「奇跡体験!アンビリバボー」、Il Post、Il Sole 24 Ore(2017年・2018年・2024年各報道)]
文責:ライターズラボ編集部(2026年05月10日(日)22:55執筆)


コメント