更新履歴
2016年3月11日(金):初投稿
2026年5月30日(土):本人の現在の活動状況を追記、事実関係を再検証して修正
イギリスのオーディション番組『Xファクター』で起きた逆転劇

イギリスで2004年から続く『The X Factor UK』は、ワン・ダイレクションをはじめ数多くのアーティストを輩出してきたオーディション番組です。その第9シリーズ(2012年放送)のオーディション会場で、観客はある異様な光景を目にしました。
ステージに立った男性出場者は、手が震えるほど緊張していました。審査員も心配して声をかけるほどの状態でした。ところが、彼が口を開いて歌い始めた瞬間、会場の空気は一変します。そこには、彼を長年支え続けた祖母との物語がありました。
夢への第一歩でつまずいた青年時代

クリストファー・マロニーは1977年12月26日、イギリス・リバプールで生まれました。幼い頃から歌が好きだった彼の最初のファンは、祖父母のパットでした。二人に歌を褒められることが、何より大きな励みになっていました。
大学生になると、地元のレストランで歌手のアルバイトを始めます。初ステージは大きな期待を抱いて臨みましたが、客は料理と会話に夢中で、誰も歌に耳を傾けませんでした。「自分の歌には人を惹きつける力がないのではないか」。そう思うたびに、手は緊張で震えました。
祖父との別れと、ベット・ミドラーの『THE ROSE』
そんな頃、彼の夢を応援してくれていた祖父が病気で他界します。祖母の落胆は深く、クリストファーは祖母と一緒に暮らすことを決めました。夢を後押ししてくれた祖母への、ささやかな恩返しでした。
祖母の家ではいつも音楽が流れていました。祖母がもっとも好んだのは、ベット・ミドラーの『THE ROSE』でした。
【The Rose – Bette Midler (歌詞字幕)English & Japanese Lyrics】
この曲は、祖父母が一緒に観た映画の主題歌であり、祖父の葬儀でも流れた、二人の想い出の一曲でした。
歌手の夢を一度断念し、市役所職員へ
大学卒業を控え、進路を決める時期がやってきます。歌手になりたいという気持ちはあっても、小さなステージで緊張に押し潰される自分がプロでやっていけるのか、迷いが拭えませんでした。父は歌手の道に反対し、就職を勧めました。
大学を出たクリストファーは市役所に就職し、コールセンターで電話相談を担当します。望んだ仕事ではなかったものの、「これが自分の人生なのだ」と言い聞かせて働き続けました。
「傷ついたっていい」祖母の言葉
就職して数年が経った2004年、彼の日常に転機が訪れます。『The X Factor』がスタートしたのです。優勝者にはCDデビューが約束される、まさに夢の番組でした。
祖母は出場を勧めましたが、大勢の前で歌う自信がない彼は応募できませんでした。毎年のように応募用紙に記入はするものの、提出する直前で破り捨てる。それを繰り返すうちに、8年の月日が流れていました。
祖母はその葛藤を見抜いていました。「傷ついたっていい。怖がってばかりでは、夢は一生掴めない」。それは、二人の想い出の曲『THE ROSE』の歌詞そのものでした。
“傷つくことを恐れる心 そんな心では楽しく踊ることはできない”
“目覚めることを恐れる夢 そんな夢ではチャンスを掴めない”
34歳で踏み出したオーディションの舞台
祖母に背中を押されたクリストファーは、2012年、ついに『The X Factor』第9シリーズへの応募に踏み切ります。当時34歳。番組はイギリス各地での予選を経て本戦に進む構成で、本戦は数千人規模の観客の前で歌うことになります。
予選を通過して臨んだリバプールでのオーディション当日、彼の手は激しく震えていました。それに気づいた審査員が「大丈夫? 今日は誰が応援に来ているの?」と声をかけます。「祖母です」と答えながら祖母の話をするうちに、震えは少しずつ収まっていきました。
勝負の一曲に選んだのは、祖母との想い出の曲、ベット・ミドラーの『THE ROSE』でした。
Christopher Maloney’s audition – Bette Midler’s The Rose – The X Factor UK 2012
歌い終えた瞬間、会場はスタンディングオベーションに包まれました。審査員のルイス・ウォルシュ、ゲイリー・バーロウ、トゥリサ・コントスタヴロス、ゲスト審査員のジェリ・ハリウェルの4人全員が合格を出します。バーロウは「どうして今までこの声を隠していたんだ」と問いかけました。
その後、クリストファーは一度メンターのカテゴリ選考から漏れますが、ワイルドカードとして視聴者投票で生放送本戦に復活します。本戦では第1週から第7週まで視聴者投票でトップを獲得し続け、最終的に第3位でフィナーレを迎えました。優勝はジェームス・アーサー、準優勝はジャメイン・ダグラスでした。
歌手デビューと、その後の試練
番組終了後の2013年4月、クリストファーは独立系レーベルのトリスター・レコードと契約。同年10月27日に1stシングル『My Heart Belongs to You』をリリースし、長年の夢だった歌手デビューを果たしました。
もっとも、デビュー後の道のりは平坦ではありませんでした。番組出演中から一部の審査員やメディアから「クルーズ船の歌手」と揶揄され続け、その重圧から番組終了後に体調を崩したことを後に本人が明かしています。
それでも歌うことをやめなかったクリストファーは「人は誰でも傷つきたくない。夢が壊れることを恐れて踏み出せない。でも誰かが背中を押してくれれば、勇気は持てる。僕は祖母のおかげで一歩を踏み出せた」と語り続けています。
現在のクリストファー・マロニー
あの『THE ROSE』から十数年、クリストファーは48歳になりました(2026年現在)。2014年6月、地元リバプールのカークデール・コミュニティセンターに芸能スクール「Christopher Maloney Theatre Academy(後にCMTAアカデミーへ改称)」を開設。子どもたちに歌・ダンス・演技を教え続けています。スクールはその後ウィラル、プレントン・パークにも拠点を広げました。
歌手としての活動も継続しており、近年もアルバムや新曲を発表。さらにイギリスの伝統的な舞台芸能「パントマイム」の常連俳優としてホリデーシーズンの定番となっているほか、2016年にはイギリスの人気番組『Celebrity Big Brother』にも出演しました。
緊張で手を震わせていた青年が、今は次世代の表現者の手を引いています。祖母が彼にくれた「傷ついたっていい」という言葉は、形を変えて教え子たちへ手渡されているといえます。
(了)
[出典:2016年3月10日放送「奇跡体験!アンビリバボー」、Wikipedia英語版「Christopher Maloney (English singer)」、Liverpool Echo]
文責:ライターズラボ編集部(2026年5月30日(土)07:30執筆)


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