★三遊亭白鳥/明日に向かって開け

三遊亭白鳥

丸の内にある、大銀行の金庫に泥棒が入る。泥棒には相棒がおり、かつてこの銀行に勤めていた老人。金庫には難なくたどり着くが、そこには音声認識の防犯装置があった。老人が、パスワードを認識させようとするが、うまくいかない。何度も試すうちに、機械がおかしなことを言い出す…

プロフィール

三遊亭 白鳥(さんゆうてい はくちょう、1963年5月21日 – )は、落語協会所属の落語家。出囃子は『白鳥の湖』。三遊亭新潟
本名は藤田英明(ふじたひであき)、新潟県上越市出身で自転車店(後に模型店)の二男。新潟県立高田高等学校を経て日本大学藝術学部文芸学科卒業。主に新作落語を中心に活動している。
春風亭昇太を始めとする「SWA(創作話芸アソシエーション)」の一員。背番号は『2』。
最近は新作落語の他に「火焔太鼓」を元にした「火炎太鼓」や、「寿限無」を元にした「スーパー寿限無」、「初天神」を元にした「ハイパー初天神」といった自称『白鳥古典』を展開している。
他にもホラー落語、紙芝居を使った落語も演じる。

経歴
1987年7月 – 三遊亭圓丈に入門。前座名「にいがた」。
1990年3月 – 二つ目に昇進。「新潟」に改名。
1992年 – ニッポン放送主催「第7回お笑いゴールドラッシュ」優勝。
2001年9月 – 真打に昇進。「白鳥」に改名。
2005年 – 平成16年度彩の国落語大賞受賞。

来歴・人物
高校時代から趣味で怪談などを書いていたが、高校ではラグビー部、大学では剛柔流空手部と童話絵本研究会に所属し、落語との接点はなかった。空手部時代の理不尽なシゴキや上下関係のエピソードを枕やエッセイでしばしば披露している。
古今亭志ん生の著書を読んで落語に興味を持ち、三遊亭圓丈がテレビで新作落語を演じているのを見たことがきっかけとなり、圓丈に入門した。
今でこそ個性的な新作落語で受け入れられているが、落語をあまり知らずに入門したこともあり(もっとも三遊亭圓丈の弟子は氏に限らず、「落語研究会」などに属した経験がなく、落語をよく知らなかった人のほうが圧倒的に多い)、最初のうちは苦労した。
ネタは構成をいきなりパソコンで打ち、1ページほど書き出してからストップし、喋り、口に出しながら修正していく。
手書きでない事で客観的に見られるという。
独特の着物を愛用している。派手な赤や青の色合いで肩から袖口までラインが入っており、着物というよりジャージのデザインを模したものである。
弟子に三遊亭あひるがいる。

エピソード
若い頃の逸話として以下のようなものがある。
前座時代に新作落語をやって客を怒らせ、「神はお前を許さない」などと多くの投書を貰った。
前座時代、兄弟子の「三遊亭らん丈」とともに師匠の家を「白い悪魔の家」と呼んでいた。
円丈の家に飾られていた三遊亭圓生(師匠の師匠。落語界では名人として知られている)の写真を見て「師匠の親」だと勘違いした。
古今亭志ん朝の顔を知らず、志ん朝に向かって「桂春團治師匠」と呼びかけた。
上下の切り方を間違えているのに気付かず、見かねた志ん朝に直接指導された。
二つ目昇進のとき、「三遊亭なまはげ」という名を師匠・円丈に薦められたが断った。
新作落語に意見をする席亭と喧嘩をしてしまい、鈴本演芸場と末廣亭は出入り差し止めとなった。
高座の後ろの襖をイタズラで開け閉めし、楽屋に「襖の開け閉めをしないように」という張り紙が貼られた。
立川談志のテレビ落語番組「落語のピン」にゲストで呼ばれ、新作落語を演じた。
客には受けたが、聞いていた談志が激怒して収録途中で帰ってしまった。
上記の件について談志に詫びを入れたところ、「お前は悪くない。あの落語で笑う客が悪い」と言われた。
「新潟」時代は金がなく、セイタカアワダチソウを主食としていたり、冬場にはテレビで暖を取る、Tシャツを重ね着するなどしていた(『VOW6』での高田文夫のコラムより)。
二つ目時代に志ん朝と小三治の二人会の前座に呼ばれて新作落語を披露したが、新宿厚生年金会館を埋め尽くした客が完全に引いてしまい、志ん朝に「新潟君、ここで潮干狩りができるねぇ」と言われてしまった。

主な新作落語
『マキシム・ド・呑兵衛』
『給水塔の怪談~ラブラブ幽霊大作戦~』(『給水塔の幽霊』改題)
『ラーメン千本桜』
『はらぺこ奇談』
『真夜中の襲名』
『青春残酷物語』
『戦え!おばさん部隊』(『戦え!軍人くん』の後半部だけを独立させ改題)
『天使がバスで降りた寄席』
『明日に向かって開け』
『牛丼晴れ舞台』
『子羊物語』
『任侠流山動物園』
『シンデレラ伝説』 – 師匠・円丈も演じている

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