ニューヨークヤンキース田中将大投手の感動エピソード
[出典:huffingtonpost.jp]
石橋貴明が、田中将大のメジャーリーグデビューの試合会場を訪れ、田中将大に1通の手紙を渡しました。
この手紙を書いた友達にとって、田中将大は人生の恩人でした。
2014年2月25日の朝日新聞の投書欄に、驚きの記事が載っていました。
その内容は……
息子は小学生の頃、ある日の休み時間、いじりがエスカレートし、息子がもうつらいと思ったことがあったらしい。
その時、「もうええやろ、やめたれや」と言って、家が近くて仲の良い友達が止めてくれた。
今でも感謝している彼は、田中将大君
その新聞記事を持って、番組MCの石橋貴明が、いじめられていたという田中将大の友達、大阪の堤田和輝さんの自宅を訪ねました。
2人の出会いは6歳の頃。当時家が近所で、小学校から中学校までの9年間、同じ学校に通っていました。
堤田さんが見せてくれた小学校の卒業アルバムには、田中将大と、ジャイアンツの坂本勇人も載っていました。
[出典:spe.yomiuri.co.jp]
中学校の卒業文集には、「DREAM」という題名で、田中将大の文章がありました。
DREAM 2組 田中将大
僕の夢は、プロ野球選手です。高校に行ったら、「甲子園」を目標に自分に与えられた役割を果たしていきたいです。そしてプロ野球の世界を目指して頑張っていきます
一方、堤田君は、「いろんな友達と出会い、すごく楽しくて大切な3年間だったと思う」
と書いていました。
しかし、彼がこんな言葉を書けるようになったのは、田中将大のおかげだったのです。
1999年、小学校4年生の2人は、同じクラスでした。
当時、内気でおとなしかった堤田君は、同級生からからかわれることが多かったそうです。
それは次第にエスカレートしていき、休み時間には、いじめっこ達から一方的にプロレス技をかけられました。
「まだまだこんなもんやないで」といういじめっこに、同級生たちは見て見ぬふり。
しかしそんな時、「おい、もうええやろ、やめたれや」と、いじめに待ったをかけたのが、当時10歳の田中将大少年でした。
堤田「ぼくの、小学校で出来た初めての友達なんです」
石橋明「初めての友達?」
田中将大少年は、堤田さんを目の前のいじめから救っただけではありませんでした。
田中将大少年は、堤田さんと一緒にいじめっこ達のところへ行き、
「みんなでプロレスごっこしようや」と言いました。
これには、田中将大少年の深い意図が隠されていたのです。
「はい、そろそろ交代や」
「プロレスはやりあうもんや」
「お前も攻めてええんやで」
プロレスごっこは、みんなで楽しむもの。
いつもやられる側だった堤田君は、初めて相手に技をかけました。楽しかった。
堤田「そこからはもう、されなくなったんですよ。一緒にふつうに遊ぶようになって、話すようになって。その後も、自分に自信がついたというか、あれがあったおかげで、今の自分が自信を持って自分を出せたりとかいうのに、今つながってるんじゃないかと思いますね」
堤田さんは、「自分を変えてくれた田中将大に、15年間心に秘めた思いを手紙で伝えたい」ということで、石橋貴明に手紙を託したのでした。
そして、18年前に借りていた○○を、ついでに返してもらえませんかと預けました。
堤田さんからの手紙
田中へ、お久しぶりです。おれは、田中に言えてないおめでとうがたくさんある。
まず、結婚おめでとう。マウンドの田中と一緒に喜び、一緒に苦しんでいる姿はテレビでもよく見るけど、その度に良い奥さんだなって思う。
これからも2人で幸せにな。これから言葉とか、もちろん野球もなんだろうけど、乗り越えないといけないことがたくさんたくさんあると思うけど、いつもの「気持ち」で乗り越えてくれ。
田中はどこに行っても田中さ。
堤田和輝
石橋「すごく大事に、今でも友情を持って」
田中「そうですか。ありがたいです」
そして、堤田さんが返したかったもう一つのものとは、競走馬育成ゲーム(スーパーファミコン)のソフトでしたが、田中将大は全然覚えていませんでした。
スーパーファミコンの本体は番組が用意して、プレゼントしていました。
[出典:2014年4月6日-TBS「今夜解禁!石橋貴明のスポーツ伝説…光と影」]
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