『中沢家の人々』(なかざわけのひとびと)とは3代目三遊亭圓歌作の新作落語。圓歌(本名:中沢信夫)が、自分の落語家になるまでの道のりと落語家になってからの生活を語る「自伝的落語」。
寄席やテレビやラジオで演じる時には短くなるが完全版は一時間以上あり、2005年にその完全版がCDとして出される。
それには65分26秒収録されている(高座の生録音なので前後の観客の拍手も含まれる。)
噺に登場するエピソード
元々吃音者であり、岩倉高校卒業後、国鉄「新大久保駅」に配属になって接客をしている時に上手く話せない事をコンプレックスに感じ、落語界に進むきっかけとなった。
また、吃音矯正のために入門した二代目三遊亭円歌も実は吃音者であった。
先代円歌、当代円歌共に吃音者と言う事を自身は「落語界七不思議の一つ」と言っている。
NHK出身で、後にフジテレビのアナウンサーになる小川宏は幼馴染み、昔三軒先住んでいた事がある。
彼も実は吃音者であった。円歌は小川の真似をしてる内に本物の吃音者になってしまったと言う。
両親は圓歌が落語家になると言った際、父には息子であることを否定され家を追い出された。
父は男だから仕方ないが、母はこんな時止めそうだが止める所か「おまえを産んだ覚えはない」とタバコを吸いながら言われた…
更に「おまえが親類にいるとみっともない」と言う理由で戸籍からも抹消したにもかかわらず圓歌が家を新築するや否や「同居する」と言いだした…
これについては、本人は上記のことがあったにもかかわらず「一緒に住む」と言いた出したことに疑問を抱いている。
「親は嘘つきだな」と言っている。
そして東京都千代田区六番町の自宅(作家有島武郎の旧家)に圓歌の両親、亡妻の両親、後妻の両親と6人も「年寄りが佃煮にする」ほどいた、未だに家には便所が6つあるらしい。
ある日の朝、母親たちが散歩に行くと大きなトラックにひかれそうになった。
トラックの運転手から「まごまごしてっとひき殺すぞ!」と言われたところ、負けじと母親は
「車が人をひく?笑わせるんじゃねぇ。昔は人が車を引いてたぞ!」と言い返した。
これが、圓歌が落語家を一時休業するきっかけとなったといわれている。
圓歌が得度して僧侶になるため、身延山へ修行に入った際、心筋梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれた。
いろんな人がいるが、寺から病院へ行った奴は自分だけだ。
そして意識不明の最中、マスコミから問い合わせの電話が来て「師匠のご病気は?」との質問に弟子の一人(小円歌とも)が、「近親相姦です」と答えた。
意識が戻り目を開けると、前述の母親が涙ながらに「代われるものなら代わってやりたい」と言っていた。
あとから聞くと「そんなこと言った覚えはないねえ。」
母は、「親孝行してもらったから子孝行して死んで行くよ」と言うも円歌は、嘘を言っていると信じなかった。
ある日の朝、弟子が起こしに来た時、布団の中で息を引き取っていた。
病院の世話も排泄の世話も一切させず母の言った通り子孝行して逝ったとの事である。
「学校で先生が吃りって言いやがった」と父親に言い付けたが、「しょうがねぇ、本物(ほんもん)だもん」と言われる。
新大久保駅に配属されていた頃、とある事が原因で先輩に引っぱたかれた事があってよほど引っぱたかれた事が憎かったらしく、引っぱたいた先輩の名前を未だに覚えている。
その先輩の息子が奇しくも講談師の一龍齋貞鳳だった。
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