江戸時代、京橋八丁堀玉子屋新道に源兵衛という背負い小間物屋があった。彼と妻のおみつは子宝に恵まれず、二人の静かな暮らしは、その欠けた喜びによって影が差していた。子どもを切望する源兵衛は、おみつの勧めで浅草観音に21日間の祈りを捧げた。
結願の日、源兵衛は蔵前の天王橋近くで人だかりを見つけた。何事かと尋ねると、「迷子だ」との答え。人々の間を縫って見ると、そこには3、4歳の女の子が泣いていた。源兵衛がその子を抱き上げると、子は泣き止み、彼に甘えるように笑った。この子は観音様からの授かりものに違いないと感じた源兵衛は、近所の砂糖屋の子と偽り、自宅に連れて帰った。
おみつは当初、他人の子を勝手に連れてきたことに驚いたが、子の可愛らしさに心を奪われ、「この子は観音様が授けてくれたのよ」と夫に同意した。夫婦はこの子を「おひろ」と名付け、宝物のように大切に育てた。一年が経ち、おひろは夫婦に慣れ、近所の子供たちとも仲良く遊ぶようになった。
お盆の14日、源兵衛はおひろが他の子供たちと遊ぶ様子を見ていた。子供たちは「盆~ん、盆、盆の十六日、江戸一番の踊りは八丁堀」と歌っていたが、おひろだけが「江戸一番の踊りは相生町」と歌った。これを聞いた源兵衛は、おひろが本所相生町の出身であることに気づいた。彼は正直者で、すぐに本所相生町へ行き、おひろの本当の家族を探し始めた。
床屋での情報により、材木屋の越前屋にたどり着いた源兵衛は、主人の喜左衛門がおひろにそっくりであることに気づいた。おひろは越前屋の一人娘で、昨年、家族との帰り道で迷子になっていたのだった。喜左衛門の妻は、娘が無事であることを知り、病床から飛び起きて喜んだ。
越前屋は源兵衛夫婦の貧しい暮らしを知り、二人を迎え入れ、おみつを乳母として、源兵衛を店の手伝いとした。やがて、越前屋の向かいに売り店が出たので、それを源兵衛に譲り、彼は小間物屋を始めた。その店は大繁盛し、源兵衛夫婦の人生は新たな幸せな章を迎えたのであった。
盆になると十歳くらいをかしらに、三、四歳までの女児が、夕方街角に集まって大勢手をつなぎ、「ぼんぼん唄」を唄って夜の町を歩いた。紅提灯や切子灯籠を持つ子もいた。盆の「小町踊り」といい、俗に「ぼんぼん」と言った。幕末には衰えた。
♪「ぼんぼんぼんはきょうあすばかり あしたはよめのしおれぐさ」
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