狂歌家主は、掛取万歳(かけとりまんざい)の一部。
※上方落語では天下一浮かれの掛け取り(てんかいちうかれのかけとり)。
現在は東西とも、省略形の掛け取り(かけとり)という題で演じられることが多い。
主人公のもとに4人の人物が登場する構成のうち、ひとり目が登場する場面だけ演じるものを狂歌家主(きょうかいえぬし、きょうかやぬし)、ふたり目の人物までを借金取り撃退法(しゃっきんとりげきたいほう)の題で演じることがある。
あらすじ
ある年の大晦日、正月用の餅つきを頼む金がないので、朝からもめている長屋の夫婦。
隣から分けてもらうのもきまりが悪いので、大声を出して餅をついているように見せかけた挙げ句、三銭(三百文)分、つまりたった三枚だけお供え用に買うことにした。それはいいのだが、たまりにたまった家賃を、今日こそは払わなくてはならない。
もとより金の当てはないから、大家が狂歌に凝っているのに目を付け、それを言い訳の種にすることで相談がまとまった。
「いいかい、『私も狂歌に懲りまして、ここのところあそこの会ここの会と入っておりまして、ついついごぶさたになりました。いずれ一夜明けまして、松でも取れたら目鼻の明くように致します』というんだよ」
女房に知恵を授けられて、言い訳に出向いたものの、亭主、さあ言葉が出てこない。
「狂歌を忘れたら、千住の先の草加(そうか)か、金毘羅様の縁日(十日=とうか)で思い出すんだよ」
と教えられてきたので、試してみた。
「えー、大家さん、千住の先は?」
「婆さん、どうかしやがったなこいつは。竹の塚か」
「そんなんじゃねえんで、金毘羅さまは、いつでした?」
「十日だろう」
「そう、そのトウカに凝って、大家さんは世間で十日家主って」
「馬鹿野郎、オレのは狂歌だ」
大家が、「うそでも狂歌に凝ったてえのは感心だ。こんなのはどうだ」と、詠んでみた。
「玉子屋の娘切られて気味悪く魂飛んで宙をふわふわ」
「永き屁のとほの眠りの皆目覚め並の屁よりも音のよきかな」
「おまえも詠んでみろ」
「へえ、大家さんが屁ならあっしは大便」
「汚いな、どうも。どういうんだ」
「尻の穴曲りし者はぜひもなし直なる者は中へ垂れべし」
これは、共同便所に大家が張った注意書きそのまま。
「それだから、返歌しました」
「どう」
「心では中へたれよと思えども赤痢病ならぜひに及ばん」
だんだん汚くなってきた。
「どうだい、あたしが上をやるから、おまえが後をつけな。『右の手に巻き納めたる古暦』どうだい?」
「餅を三百買って食うなり」
「搗(つ)かないから、三百買いました」
※参考
⇒ 春風亭柳橋(六代目) 掛け取り新戦術
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