★【漫才】あした順子・ひろし【真打競演 2014年08月18日 】

漫才

あした順子・ひろし プロフィール

漫才協会、落語協会所属の男女漫才コンビ。旧名:南順子・北ひろし。
五代目柳家小さん一門(現在は五代目鈴々舎馬風一門)。出囃子は『啼くな小鳩よ』。
恰幅の良い順子が大声で一方的に捲し立て、弱々しいひろしが狼狽する滑稽さが、幅広い世代から支持されている。
話の冒頭で必ず断わっている通り、順子はひろしの弟子で、夫婦ではない。2人の年齢を足すと160歳を超える、結成60年近い大ベテランだが、意気軒昂にどつき漫才を展開していた。

略歴

1960年結成。最初はマジック・コント主体で、ひろしの司会で順子が手品をしていたが、覚えも要領も悪いひろしを、順子が舞台上で思わず叩いたのを見たリーガル天才・秀才に、どつき漫才転向を勧められる。歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼いでいたが、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚し、1965年の大須演芸場開場を期に高座に専念。
秋田實の後見を得て1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々・南都雄二、京唄子・鳳啓助、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、かしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて「秋田」の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの「あした」を名乗るようになった。
大阪万博終了後の1971年に帰京し落語協会に加盟、1976年、真打昇進。東京漫才では異色の「間」で勝負する芸風で、ひろしが老境に差しかかった1990年代後半から猛然と売れ出す。弟子はいない。
2010年後半にひろしが膝を悪くして入院して以来、順子は一人高座として上がったり、内海桂子と漫才をしたりしている。

メンバー
あした順子(1932年12月12日 – ) 東京市浅草区(現・東京都台東区)出身、ツッコミ担当。
亭主を尻に敷く猛妻が如き、威風堂々の貫禄を漂わす。父の晴雄(市山寿太郎)は当時珍しい大卒芸人で、壮士芝居や講釈師の他、英語が堪能だった、妻(順子の母)の市山小寿と夫婦で音曲漫才もしていた。姉の一枝は上方柳次に嫁ぎ、いとこに歌舞伎役者の六世中村東蔵、日本舞踊家の藤間紫がいる芸人一家。
日本舞踊やモダン・バレエの素養があったため、楽団専属ダンサーとして戦後間もなく進駐軍のキャンプ回りで稼ぎ始める。1950年に一般人と結婚し娘1人をもうけたが、怠け者の夫に愛想を尽かして直ぐ離婚。現在はその娘の子(孫)が2人いる。松旭斎一門の奇術師(和妻師)・松旭斎純子として再出発したところを、旧知のひろしに見出されコンビを組んだ。結成当時の芸名は南順子。本名は河野順子。

あしたひろし(1922年6月10日 – 2015年11月3日) 東京市下谷区竹町(現・東京都台東区台東)出身、ボケ担当。
妻に頭が上がらぬ蚤の亭主のような役回りで、実際に兵役検査でも丙種合格に留まり徴兵されなかった。順子と組む前は大都映画の雑用係や『笑の王国』の端役を経て、東海林太郎らの歌謡ショーの司会者だった。結成当時の芸名は北ひろし。
本名は大野寛。長兄は『振り飛車名人』で名高い棋士の大野源一で、自らの将棋の腕前もプロ級。

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