天王寺さんへ参拝へ向かう商家の旦那が、西門近くの茶店でスリの秀から声を掛けられる。
秀 「お願いがございます。あんさんの提げているいる煙草入れを十円で譲っていただけまへんやろか」、スリの仲間のサブが煙草入れを狙ってつけていたが抜き取る隙がなく、あきらめて抜き取る権利を仲間の辰に一円で売った。辰も抜き取れずに権利を二円で隼に売った。隼も煙草入れを抜き取れずに秀が三円で権利を買ったという。
旦那 「へえ~、そういう事もあるんかいな」、驚き半分、感心半分。
秀 「わしも旦那の後をつけて合邦辻、逢坂とやって参りましたが、なぜか旦那の身体には隙がおまへん。天王寺さんへ入られたらもう抜き取ることもできないと思うてここでお声をお掛けしました。仲間たちが抜き取れなかった煙草入れを見せて自慢してやりたいと、こんなお願いを……」
すっかり秀の話を信じ、自分には隙が無いとスリまでに褒められた旦那は気分もよく、
旦那 「折角打ち明けてくれはったんやさかい、ほな十円で買うてもらいまひょ」、と秀から十円もらって懐から財布を取り出して中に収めた。
秀 「こういう話は、どうぞご内聞に……おおきにありがとさんで……さいなら」と立ち去った。
旦那 「……不思議なことがあるもんやな、何人ものスリがわしの腰の物を抜けんとは、まあ悪い気もせんな。あんな古い煙草入れが十円になったし……」と、何気なく懐に手をやると財布がない。もう後の祭り、煙草入れも財布も盗まれてしまった。
スリの仲間が集まって秀が、「……これがスリの兵法、戦術、極意、芸術や。重要無形文化財、ユネスコの世界文化遺産登録もんやで……」と、自慢たらたらで、ペラペラと喋っていると、今は堅気になっている兄貴分がやって来た。
兄貴分 「お前さっきから偉そうなことばかり言っているようだが、なぜ角の駄菓子屋から一文笛取ったんや」
秀 「何やそない事かいな、駄菓子屋の強欲婆アが店先で、一文笛を手に取ろうとした粗末の身なりの子を邪険に、”銭のない子はあっちへ行け!”と突きよったんねん。……むかっと来て、婆アの目かすめて、一文笛一本抜き取って、そっとその子の懐に差し込んで帰ったんや。それがどないぞしたんかい」
兄貴分 「後先考えず馬鹿な事してくれた。その後、その子が笛をピーピー吹いているのを、婆アが捕まえて、大声で泥棒呼ばわりして長屋の親の所へ引きずって行ったんや。母親は亡く、もと侍で士族の父親は病身で貧乏な家や。父親はてっきり子どもが盗んだ物と思い、子どもの言うことには耳も貸さずに、”盗人するような子に育てた覚えはない、出て行け”の一点張り。子どもは大声で泣く泣く出て行ったが、しばらくして泣き声がしなくなった。路地で変な音がしたんで、みなが飛び出してみたら、可哀そうに子どもは井戸に身を投げたんや。すぐに引き上げて息は吹き返したが、まだ寝たきりや。子どもが可哀そうと思ったんやら、何でたかだか一本の笛を銭払うて買うてやらんねん」
秀 「えっ……すまん……勘弁してくれ」、と言ったかと思うと懐から匕首を取り出し、右手を敷居の上に乗せ、ポーンと指を二本切ってしまった。止める間もなくびっくりしている兄貴分に、
秀 「俺、今からスリやめる。堅気になる」
兄貴分 「よし分かった。すぐ医者に行け。痛みが止まったらうちに来い。なんぼでも相談に乗ってるさかいな」
一方の子どもはまだ生死の境をさ迷っているような状態だ。翌日、長屋の連中は酒屋の伊丹屋へ往診に来た洋行帰りの威張った、金持ちしか診ない医者をおだてて、騙すようにして長屋に連れて来て診てもらった。医者は入院させてあらゆる手立てを尽くさなければ八割方死ぬだろうとの診立て。その費用は二十円の前金払いと言う。
兄貴分からこの話を聞いた秀、「その医者、もう帰ったんか」
兄貴分 「いや、帰りにまた伊丹屋に寄ってまた蔵出しの酒飲んでいるがな」、これを聞くと秀は飛び出して行って、しばらくすると息をはずませて戻って来て、
秀「……兄貴、何も言わんとこの金で子ども入院さしたって。四、五十円はあるわ」
兄貴分 「……お前、この財布どないしたんや」
秀 「酒屋から医者、酔うてふらふら出て来やがったんで、わしも酔うたような格好して、すれ違いしなに、……こうちょっともろて来たんやがな。この金で子どもを入院させて命がもう大丈夫ちゅうまで見逃してくれ、頼むは」
兄貴分 「そら、命にかかわる事やさかい、見逃すも見逃さんもないが……しかしお前は名人やな。右指二本も切り飛ばして、ようこんだけの仕事がでけるとは……」
秀 「実はわい、ぎっちょやねん」
[出典:http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/itimonhue.html]
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