★三遊亭圓生(六代目)小判一両

三遊亭圓生(六代目)


これは江戸の中頃のお話しでございますが、今戸八幡様の鳥居前に茶店がございまして、ここへ昼時分になると、ザルや味噌漉しを売る安七(やすしち)と言う男が参ります。
荷を下ろして、縁台の隅で弁当を使わしてもらおうと言う。

今日も茶店の女から、小金を残しているのでしょう?と冷やかされていた。
冷やかされるようになれば一人前と親父によく言われた。
女房子供も居たが、子供は5歳の時に亡くし、追うように女房も亡くなり、ヤケになって博打、喧嘩をやり自由気ままにしていた。
名前の安七より賭場では半目が好きでグニ安と呼ばれていた。
親父が亡くなると聞いて、枕元に行くと「もう堅気になってくれ、これは一生掛かって貯めた金だ」と言って、布団の下から小判一枚を出した。
それで生まれ変わって働くようになったと身の上話をする。

茶店の女に、「小間物屋にあつらえ物を取りに行きたいから、留守を頼む」と言われ、一人で弁当を使おうとしていると、

凧屋「待て、こんちくしょうめ。とんでもねぇガキだ。さあ、凧を離せ!」

子供「(泣きながら)いやだい、いやだい」

安七「おい、よしねぇな。なんでこんな小さな子供を殴るんだ」

凧屋「俺の売り物の凧を盗んで逃げようとしやがった、凧盗人なんだ~!」

安七「待ちなよ。坊や、このオジさんの凧を盗んだのか?」

子供「盗んだんじゃないや、あたいが拾ったんだ」

凧屋「俺が落としたのを、すっと盗って逃げたんだ」

大事な商売物を落とす方もいけねぇや、まぁ、そんな凧の一つ位、子供にくれてやれと安七が仲裁するが、このガキは、この先の弘福寺の裏の長屋に住んでいる浪人の子供だから、これから連れて行って、親にかけあうと、凧屋も譲らない。

安七が、それなら、俺がその凧を買うと言ったが、今朝からまだ商いがなく、一文も無い。
商売物のザルと交換してくれと言うが、ザルなぞいらないと断られる。

安七「よし、いいよ。俺が買うよ」
自分の着物に縫い付けてあった、親父の形見の一両小判を取り出した。

安七「さぁ、一両で釣りをよこせ」

凧屋「馬鹿野郎、奴凧を買うのに一両小判を出しやがって。一両で釣りが出せるようなら、奴凧なんざ売っちゃいねぇや!」

そこへ茶店の女が帰って来て、凧を買ってくれる事になった。
釣りはいらねぇが、こうしてやる!と、安七が殴りかかったから、喧嘩となり、ザル屋の方が若いから、上になって、ポカポカ殴っているところへ、
「おやめなさい」と止めに入った人を見ると、ひどい身なりをした浪人体の男。

聞くと、この子の親だと言う。凧屋から一部始終を聞いた浪人。
手遊び一つ買ってやれぬ親の罪と恥じ入り、凧屋にはわびをし、茶店の女には、明日、代は持参いたしますから、と言っているうちに、凧屋はこそこそっといなくなる。

安七「ちくしょう、逃げやがった。もう少し殴ってやろうと思ったのに」

茶店の女「さあさあ、お茶が入ったから。あなたもおかけくださいましよ」

浪人「今日は、倅のために、とんだご迷惑をかけ、申し訳ございません」

安七「へへへっ、子供は罪はねぇや、凧を持って嬉しそうな顔をしてら」

浪人「手前は、小森孫市と申す浪人。これなる子供は小市と申し、この先の弘 福寺裏の長屋に住み、手習い指南をいたしおります者。誠にむさ苦しい所ながら、お通りの節は、お立ち寄りを願いとう存じます」

安七「あっしは、見ての通りのザル屋で、鳥越に住む安七と申す者で。失礼ながら、ご生国はどちらでいらっしゃるんで」

小森の言うには、国は越後高田だったが、小市が生まれて間もなく、故あって浪人を致し、江戸に遠縁の者がいるので、それを頼って、江戸へ来たが、家内には死なれるなど、災難続きで、自分も患い、かくの如く落ちぶれたと言う。

人間は七転び八起き、その内には良い事もあるだろうと慰めるが、たとえ親子飢え死にを致しても、二度の主取りはしないと言う。

浪人「安七殿、今日の事は、なにぶんにもご内密に」

安七「坊や、これから帰って、凧を上げるのかい。オジさんも一緒に上げてぇけど、今日は稼がなくちゃいけねぇから、また、今度、一緒に遊ぼう」

小市に、死んだ自分の子供の姿を重ね、涙ぐんだ安七は、小市の手に、親父の形見の一両小判を握らせる。
小森が慌てて止めようとすると、向こうの鳥居の所から、立派な侍が出て来たので、小森は子供の手を取ると、逃げる様に立ち去って行った。

安七「親父の形見だが、悪い事に使ったんじゃねぇ。親父も許してくれるだろう。サァ行こう……ザァ~る屋ァー、味噌漉ォーーシーーー」

安七が今戸橋へ向かって、慶養寺と言う寺の門の所へ来る。
「待て」と声を掛けられた安七が振り返る。深編み笠の立派な侍。
そちに話しがあるから、身共と一緒に参れと、連れて行かれましたのが、河岸にその頃ありました金波楼(きんぱろう)と言う、江戸でも指折りの会席料理屋。

女中「まぁ、殿様ではございませんの。どうぞこちらへ」
と、下へも置かないもてなしで。安七も恐る恐る座敷へ上がる。
編み笠を取ると、月代(さかやき)の跡も青々と、眉毛の濃い、目元の涼しい、鼻筋の通った立派な容貌。
そのうち、女中がお膳を持って来る、進められるままに、猪口を取り上げて呑んでみる、トロッとする様な実に良いお酒。
酒を二、三本頼むと、人払いをする。

安七「殿様、付いて来いとおっしゃいましたから、来ましたが、こんな結構なお座敷で、いってぇ、どう言うご用なんでござんしょう?」

お侍「良いから呑め。そちに巡り会えたのは、誠に心嬉しい。わしは、近頃かように嬉しく思うた事はない。ザル屋、礼を申すぞ」

安七が、ドキッとしたのは、新身の一刀を求めたから、切れ味を試そうと、俺にここで一杯呑ませて、その上で、バッサリやろうと言う了見かと。

安七「まだ浮き世に未練もありますが、親不孝の罰だ。新身の一刀を求めたんで、その切れ味を試してぇと、こうおっしゃるんでしょう」

お侍「ははははは、そちは面白い事を申すやつじゃ」

安七「こっちは、あんまり面白くねぇや」

お侍「そちの名は?安七と申すか。拙者は、水戸家に仕える、浅尾新三郎と申す者であるが、最前の一部始終を残らず見ておった」

侍が言うには、安七の義心に感服をして、一献酌み交わしたいと思い、連れて来たのだと言う。
試し切りでは無いと安心した安七は、それから、遠慮なく呑む。礼心として、些少ではあるが納めてくれと、侍が取り出したのは金子。

頂く筋は無いと安七は辞退し、その代わり、酒だけはご馳走になると言う。
侍も、今日は久しぶりに酔いたいと言って、二人で酒を酌み交わし、だいぶ酔いも回って来た。

安七「あっしをこんな所へ連れて来て、ご馳走するより、なんでさっき、あのご浪人を慰めておやりんならねぇんで?」

お侍「そちの了見からすれば、道理至極。しかし、わしの言う事も聞け、そこは侍同士の辛さ、世に捨てられた人の前には、なまじ出ぬのが情け」

安七「なんでぇ、困ってる人に声を掛けるのは当たり前じゃねぇか」

お侍「安七。許してくれ。そちの言うのが理の当然。人間同士、情けをかけるに、何の遠慮もいらぬ。拙者、重々の誤り」

殿様からも、あの浪人に声を掛けてやってくれと、二人で連れ立って、小森の住む長屋へ。

軒は傾き、ひどい荒れ屋でございますが、手習い指南と見事な手跡で書いてある。
その前の空き地で、小市が無心に凧を上げている。

小市に聞いて、入ってみると、仏壇に灯明が上がっていて、やれた屏風が立て回してある。
のぞいてみると、小森孫市、腹一文字に掻き切って果てている。
枕元に書き置きと小判一枚が置いてある。書き置きを取った新三郎が読んでみると、家主に当てた遺書。

『長屋を汚す事を詫び、麻布古川橋に住む親類に小市を預けてほしい事』が書いてある。
新三郎が涙を落とす、いつ入って来たのか、小市が父の遺体にすがって、声をあげて泣いている。

遺書には更に『我が子一人、養いかねる情けなさ。行きずりの者にまで情けをかけられる身の不甲斐なさ。かくなり果てるまでおめおめ生を保ちたる身の愚かさ。今日は己の姿を己で見た』と、自害の理由がしたためてあった。

ザル屋風情に金をもらったのが情けねぇって、死んだんですか?盗んだ金じゃねぇ、親父の形見の金をやったのが悪いんですかと、うろたえる安七。

お侍「安七、生きとし生ける者、自負と言うものを持たん者は一人も無い。はたで見るより、己で己を賤しいと見る者はいない。この者も自負はあったが、今日見た我が子の心、そちにかけられた情けに、初めて己を振り返った。生きて甲斐無き身と悟ったのだ」

安七「みんなあっしが悪い。侍同士、なまじ出ぬのが情けと言った、殿様の言葉が分かりました。肌身離さず持っていた親父の形見が仇になった」

お侍「そちの情けが仇になったが、そちのした事は間違ごうてはおらん」
と浅尾新三郎は、泣き崩れる安七を慰め、小森孫市をねんごろに葬って、小市は、古川橋の縁者から、浅尾が養子として貰い受け、立派な侍に育て上げ、安七も浅尾家に長く出入りをしたと言う、『小判一両』でございました。

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