★三遊亭圓生(六代目)百川(ももかわ)

三遊亭圓生(六代目)


昭和53(1978)年4月25日 第120回落語研究会 国立小劇場 圓生77歳

あらすじ

田舎出の百兵衛さん、葭町(よしちょう)の桂庵(けいあん)千束屋(ちづかや)の紹介で浮世小路の百川楼に求職に来た。
初めての奉公なので何も分からないと言うが、その方が使いやすいし、同じ百が付くからと歓待。
飯炊きや下働き出前などが仕事だが、今日は目見えだから様子を見ていればいい。

二階で手が鳴ったが、女中連中は髪をほどいてしまい、接客が出来なかった。客商売だから主人が席に出る訳には行かないから、
「申し訳ないが、百兵衛さん、ご用を聞いてきてほしい。」と注文がついた。
気の荒い河岸の連中だから丁寧にと釘を差されて二階に。
「ウッシィ」と返事しながら挨拶した。

「ワシはこのシジンケ(主人家)のカケアイ(抱え)人で、シジンケの申されるのに、ご用があるで、ちょっくら伺ってこ~、ちゅうことで、みゃいったことがらで、ご一統さんご相談の上で、ごえいさつを伺いまして、まかり帰ぇりたいと存じまして。ヘィ」。

あまりにも、田舎言葉で丁寧に言ったので、若い衆にはチンプンカンプンであった。
その中の物知りが改めて聞いたが、分からないながらにシジンケと聞こえたので「四神剣のことですか」と聞くと「そうだ」というので大慌て。
上座に座らせ、四神剣を伊勢屋で曲げてしまった事、またその後の処理にこうやって集まっている事を侘びた。

「決してあなた様の顔は潰さない」と説明。酒はダメだからとクワイの”きんとん”を差し出し、使者は口を汚して帰るものだと説明。大きいから飲み込めないと言うと、そこは男としてグッと飲み込んでほしいと懇願され、目を白黒させて一口で飲み込んだ。
「帰られて皆さんによろしく」と降りてきたが、柱に掴まり涙ぐむ百兵衛さん。

残った河岸の連中はシジンケと四神剣、カケアイ人を掛け合い人と誤解しその催促に来たと思い顔を潰さないようにとクアイを丸飲みさせた。
そのドジ作りが、良い役者だと誉めた。が何処かおかしい。それは店がお客を案内して来るものだと、手を打って催促した。

ご主人は百兵衛さん一人で涙ぐんでいてはダメだ。私にも飲み込ませなくては。と言うので、今までの経緯を話し、そのような事があってもとぼけた奴だと可愛がってくれる。で、もう一度二階に。

「ウッシィ」
「また来たよ」。
聞くと大間違いだった事が判明。使いを頼まれた。

「長谷川町・三光新道に常磐津の歌女文字(かめもじ)って言うんだ。そいつを連れて来い」。
早口なので皆目分からない。何度も聞き直して「三光新道に”か”の字のつく名高い人だと言えば直ぐに分かる。早く行って来い」。
やっとの事で三光新道を探し当て、「”か”の字のつく名高い人」と尋ねると
「それは外科医の鴨池玄林(かもじげんりん)先生だ」と教えてくれた。

受付の者に「百川から来たが、河岸の若い方がケサガケに四.五人キラレ、ちょくら先生に来て欲しい」と言ったが、袈裟懸けに四五人切られたと先生も大慌て。
「手遅れになるといかんから焼酎1升と白布を五六反、鶏卵を20程用意をしておくように」と言付かり、薬籠箱を持って先に帰ってきた。

「来るのか?」
「先生お見舞いに来るといわっしゃった」。
何かおかしいと思ったが、続けて「手遅れになるといかんから焼酎1升と白布を五六反、鶏卵を20程用意をしておくように」と。
なお、おかしいと思ったが、箱を持ってきたので安心。
箱が小さいが小さな折れ三味線だろう。その上焼酎飲んでサラシを巻いて卵を飲んでやるんだろう。

そこに鴨池先生が上がってきた。未払いの治療代があるので小さくなっていたが、「袈裟懸けに四五人切られた」と言うが何奴だ。
「間違いですよ」、「間違いではない。其処にあるのがワシの薬籠だ」
「三味線の箱ではなく、薬籠ですか。歌女文字師匠を呼びに行ったのに鴨池先生と間違えてしまった、今そのドジをご覧に入れます」。

「抜け作だよ。お前は」
「名前は百兵衛だよ」
「名前を聞いているんじゃない。抜けているから、抜けさくだ」
「どのくらい?」、「どのくらいじゃない。みんな抜けてらぁ~」

「みんな抜けてる?カメモジ、カモジ、やぁ~、たんとではねぇ、たった一字だけだ」。

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