さかなクン誕生の秘密だギョッ!
現在、魚の豊富な知識と、底抜けに明るいキャラクターで大人気のさかなクン。
しかし、その生い立ちは謎に包まれています。
そこで、彼を良く知るお母さんに出演を依頼しますが、顔を出すのは恥ずかしいと、番組宛てに手紙を送ってくれました。
そこに書かれていたのは……
「今の息子からは考えられないと思いますが、小さい時は、お魚には、全く興味がありませんでした。」
では、どうして彼は魚好きになったのか?
どのようにして、「さかなクン」は誕生したのか?
謎に包まれた過去の全貌が、今、明かされます!
「タコ」との出会い
男二人兄弟の弟として、東京都で生まれたさかなクン。
周りからは、「ミー坊」や、「まーちゃん」の愛称で呼ばれていました。
幼いころは、無口でおとなしい少年。
そして、興味を持った物にはとことんのめり込む性格でした。
そんな彼が最初に興味を持ったのは、「トラック」。
絵を描くことが大好きだったさかなクンは、毎日トラックの絵ばかり描いていました。
「おとなしい幼ギョ時代でギョざいました」(さかなクン)
5歳の時に既に、細部まで立体的に描いていて、のちにイラストレーターとして活躍する能力は、この頃既に培われていました。
その後、神奈川県綾瀬市に移り住んださかなクンは、小学校に入学しても、大人しい性格はそのままで、さらに運動音痴、クラスでも目立たない存在でした。
しかし、小学2年生の時、大きな転機が……
ある日の休み時間、クラスメイトがさかなクンのノートに落書きを……
そこに描かれていたのは「タコ」。
すると、今までタコを見たことがなかったさかなクンは、「かっ、かわいい……」。
そのユニークな姿に、思わず一目ぼれ。
「見た瞬間、ノートから飛び出てくるようにバアーって来たんですね、タコが」「可愛い、気持ち悪い、怖い、面白い、いろんな魅力が自分の中で爆発するぐらいの感動が……」(さかなクン)
このタコとの出会いが、その後の人生を大きく変えることに。
あだ名は「タコ」
タコの落書きを見て以来、憑りつかれたように、頭の中はタコのことでいっぱいに。
家に帰ると「お母さん、タコ見たい!」
そして、お母さんが買ってきてくれた小さなタコを見て、大喜びしたそうです。
さかなクンの母の手紙……
”虫眼鏡を使って、何回も吸盤を数えながら、絵を描いていました。部屋中がタコの臭いで充満するまで、その場を離れませんでした。「この子はタコに夢中になり始めたんだ。」本当にそう思いました。”
以来、お母さんは、息子の好奇心を大切にしたいと、連日のようにタコを買いに鮮魚店へ……
なんと、1ヶ月もの間、毎晩、タコ料理を作ってくれたそうです。
ますますタコに夢中になっていくさかなクン。
彼につけられたあだ名は、ずばり「タコ」。
すると、「ぼくがタコ?うれしい!もっと呼んで!」
タコが好き過ぎて、褒め言葉と勘違いしてしまったんだとか。
そんなタコ好きの少年が、なぜ魚好きへと変わっていったのか?
「タコ」から「さかな」へ
それは、生きているタコをさなかクンに見せてあげようと、お母さんが水族館に連れて行った時のことです。
大好きなタコに大興奮、そのとき……
目に飛び込んできたのは、水槽の中を泳ぐ、色とりどりの魚たち。
その光景に、一瞬で心を奪われてしまいました。
なかでも心惹かれたのが、「ハコフグ」。
大きな魚にぶつかっても、小さなヒレを使い、懸命に泳ぐ姿でした。
以来、図鑑を読み漁っては魚の絵を描くなど、すっかり魚一色の生活に。
当時描いたホウボウの絵を見ても、本物そっくりに描けています。
そんな息子にお母さんは、「トラック」「タコ」「魚」と興味が変わっても、さかなクンが好きなことを応援し続けました。
お母さんの気持ちに応えるかのように、魚について猛勉強するさかなクン。
魚屋に通っては、質問責めにして、魚のプロを困らせていたそうです。
「魚詳しいなあ、今度、絶対わからねえ魚を仕入れとくからな」
すると、だんだんと逆になって……
「俺もわかんねえんだけど、これわかるか?」
「キツネダイです!すギョい!図鑑でしか見たことない」
「キツネダイっていうのか、俺も初めて知った」って感じに。
お母さんの思い
しかし、魚の知識は増える一方で、学校の成績は……
答案用紙に魚の絵を描くばっかりで、ぜんぜんダメ。
5段階評価で、なんとオール2。
すると、さかなクンの成績にお父さんは激怒。
教育熱心なお父さんの説教は1時間続くことも。
成績の悪さを見かねた先生に、「もっと勉強させたほうが」と言われても、お母さんは……
「あの子は絵が好きで、お魚が好きなんだから、それでいいんです。」
決して、勉強しろとは言わなかったそうです。
さかなクンの母の手紙……
”一番大切なのは、好きなことを自由にやらせてあげること。個性を伸ばしてあげたいと強く思いました。”
そんなお母さんは、中学の頃からダンスを習い、将来プロになることを夢見ていました。
しかし、高校時代、両親から強く反対され、夢をあきらめてしまいました。
自分の中にずっと残っていた後悔……
「息子には好きな事をやらせてあげたい」と、お母さんは思っていたのです。
そんなお母さんの支えもあって、さかなクンの夢はどんどん大きくなりました。
小学6年生の卒業文集……
”ぼくの将来の夢は、東京水産大学の先生になることです。そして、研究したことを、いろいろみんなに伝えてあげたいからです。”
「大好きなお魚の先生になりたい……」
吹奏楽部に入部
中学に入ったさかなクンは、なぜか吹奏楽部に入部。
それは、「水槽」と「吹奏」の勘違いからでした。
「どんな魚がいるんだろう?」とワクワクして行ってみたら、ギョギョッ。
それでも、興味を持って吹奏楽部に入部。
吹奏楽部の部室には、「水槽」の中に「カブトガニ」がいました。
小さい水槽の中にいるのはかわいそうだと、朝夕、部室に行ってはカブトガニを散歩させていました。
決まった時間に散歩させたことで、カブトガニが潮の満ち引きと錯覚し、産卵、人工ふ化につながったんだとか。
それが新聞に取り上げられ、一夜にして人気者に!
中学・高校と同級生だったドランクドラゴンの鈴木拓は、その様子を見て悔しかったそうです。
鈴木によれば、鉛筆、下敷き、シャープペン、筆箱、消しゴム、魚のないものはなかったんだとか。
高校3年生のとき、テレビ東京の番組「TVチャンピオン・第3回全国魚通選手権」に出場。
結果は惜しくも準優勝。
魚には誰よりも自信があっただけに、とても悔しい思いをしました。
「どうぶつ奇想天外」
2000年、TBSの番組「どうぶつ奇想天外」から出演依頼があり、出演することに。
最初の頃は、緊張もあったのか、今とは違って大人しいさかなクンでした。
それが、海の中に潜るロケで、「ギョギョギョーッ!」っとハイテンションに。
その後は、ハコフグの帽子をかぶって、常にハイテンションなさかなクンになっていきました。
ハコフグちゃんと一緒にいる安心感、頭に乗っけるだけで「おおっ!」っとスイッチが入るそうです。
海に潜るロケでは、普通は寄ってこない野生のマンタやコブダイが寄ってくる……
さかなクン自体が「さかな」なんじゃないかと……(スタッフ)
「人間の中で一番さかなに近いのがさかなクン」
「いじめられている君へ」
2006年12月2日に、新聞に掲載されたさかなクンの文章……
タイトルは、「いじめられている君へ」。
小学生の時にからかわれ、中学生の時に、いじめを目の当たりにしたというさかなクン。
”いじめに悩む子どもたちの力になりたい”
現在はなんと、中学校の道徳の教材に使われています。
そのメッセージは、中学時代の吹奏楽部で起きた出来事を元にしています。
★「いじめられている君へ」★
いじめられている君へ 広い海へ出てみよう
中一のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。
突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。
たとえばメジナは、海の中で仲良く群れて泳いでいます。
せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。
けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。
すると、残ったメジナは、別の1匹をいじめ始めました。
いじめっ子を水槽から出しても、新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中なら、こんなことはないのに、小さな世界に閉じ込めると、なぜかいじめが始まるのです。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。
ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。
でも、仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。
学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。
話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで、安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然の中、さかなに夢中になっていたら、いやなことも忘れます。
大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても、楽しい思い出は残りません。
外には楽しいことがたくさんあるのに、もったいないですよ。
広い空の下、広い海へ出てみましょう。
★………………★
タコや魚と出逢い、広い海へ飛び出し、夢をつかんださかなクン。
そんな彼は、魚を通して、これからもメッセージを伝え続けていきます。
[出典:2015年12月18日 金スマSP さかなクン誕生の秘密]
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