★桂春蝶(二代目)昭和任侠伝

桂春蝶(二代目)

takakuraken

高倉健さんが及ぼす影響は落語にもありました。
桂春蝶(二代目)の新作落語。どうぞお聴きください。
昭和46年(1971年)11月11日録音 大変貴重な音源です。

昭和任侠伝(しょうわにんきょうでん)は、落語の演目の一つ。『昭和仁侠伝』とも表記される。
桂音也が1970年代初めに創作した新作落語。当時人気のあった、高倉健、鶴田浩二、藤純子(現:富司純子)らが主演した東映任侠映画のパロディが散りばめられた噺。
2代目桂春蝶の得意ネタとして知られ、2代目春蝶の死後は弟子の桂昇蝶や、息子の3代目桂春蝶などによって演じられている。

あらすじ

「任侠道」に憧れる男は、安物の着流しに雪駄姿で街をうろつき、毎日のように任侠映画を見ては「健さんかっこええなあ……」などと悦に浸りながら八百屋を営む自宅に帰る暮らしを送っている。
「おっ母さん。今、帰って来たよ。妹のさくらはもう寝たかい?」
「さくらやない。カズコじゃ! 東映も松竹もごっちゃになってるやないか(※さくらは松竹製作の『男はつらいよ』シリーズの登場人物)」

男は風呂屋への道すがら、女性に「お兄さん」と声をかけられると「おっと! 姐さん、流れ者に寄っちゃいけねえ」と大見得を切ってみせるが、「手ぬぐい落ってますけど」と教えられただけであったので、大恥をかく。

男は風呂屋で見た客の刺青に憧れ、刺青彫り師のところへ出かけるが、はじめのひと刺しの痛みに耐えられず泣いて身をよじり、「赤チンはござんせんか?」と言って、怒った彫り師に追い出される。

「罪を犯して刑務所に入ろう」と、たたき売りのバナナ1本を手に取り、「お手向いいたしやせん……。旦那、警察へ突き出しておくんなせえ」と悲嘆にくれてみせるが、バナナ売りは男が八百屋の息子であることをよく知っており、「家(うち)に仰山(ぎょうさん=たくさん)バナナあンのに……」とあきれる。

男が食い下がるので、バナナ売りはしかたなくすぐ近くの交番に連れていくが、警官も男が八百屋の息子であることをよく知っているため、真剣に相手にしない。
「(懲役を)勤めさせていただきやす」
「勤めたかったら職安行て来い!」
やることなすこと男の思惑通りにいかず、男は本当の「任侠」になれないことを嘆きながら家に帰る。
「ああ、おっ母さん。……おっ母さん? 右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか(1971年にヒットした鶴田の楽曲『傷だらけの人生』の一節)」

「アホンダラ! 今停電じゃ」

桂春蝶(二代目)プロフィール

2代目桂春蝶(かつら しゅんちょう)
1941年〈昭和16年〉10月5日生 1993年(平成5年)1月4日没
大阪府大阪市出身の落語家。本名、濱田 憲彦(はまだ のりひこ)。出囃子は『月の巻』

細身の体にギョロっとした目の風貌がドナルドダックに似ており、酒と博打の話題や阪神タイガースの大ファンとしても知られた。
自作では『ピカソ』、『河童の皿』という演目を残している。新作落語では仁侠映画を題材にした『昭和任侠伝』も得意ネタとした。

『昭和任侠伝』は、ヤクザ映画全盛期にヤクザに憧れたとぼけた男の物語で、現在は3人の弟子と実子の3代目春蝶が受け継いで演じている。
2代目春蝶の作とされることの多い『昭和任侠伝』であるが、実際は桂音也の作品である。
息子は落語家の3代目桂春蝶。他に娘が一人いる。

大阪市立市岡商業高等学校ではレツゴー正児の下級生、かつ桂三枝(現:6代桂文枝)の上級生で、当時から両者と付き合いがあった。
同校卒業後、2年ほど大阪屋証券(現:岩井コスモ証券)に勤めたが、1962年10月、3代目桂春團治に入門。1964年8月、新世界の新花月にて初舞台を踏んだ。
1990年代に入ってから体調を崩し、胃の摘出手術を行った。
1993年元日に自宅で吐血し、緊急入院したまま、肝硬変による消化管出血のため51歳で死去した。

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