あらすじ
水道やガスのゴム管を、戸別訪問で売り歩いている、十二、三歳の小僧。
「こんちは、水道のゴムはいりませんか」
と黄色い声で売り回っても、からかわれるばかりで、なかなか商売にならない。
今日も、まずいきなり、
「てめえはなんだな、オレに恥をかかせるつもりだなッ。家には水道がねえんだ」
と、すごまれた。
二軒目では婆さんが耳が遠く、聞き間違われてラチがあかない。
三軒目では
「近頃感心な小僧だ。年はいくつだ?」
「十三でございます」
「柄が大きいから十五、六に見えるな。学校へ行ったか」
「五年まで行きましたが、お父っつぁんが大病をしたので奉公しました」
「そいつは惜しいことをした。親を大切にしてやれ。どこだ、故郷は」
「東京で」
「何だ、江戸っ子じゃねえか。その心持ちを忘れるなよ。今におまえが大きくなったら、水道のゴム会社が何かの社長にならなくちゃならねぇ。あっははは、年はいくつだ?」
これを三回繰り返し、しまいには
「近ごろ感心な小僧だ」からセリフを全部覚えてしまった。
「物覚えのいい小僧だ。オレんとこはいらねえ」
次の奥方は、だんなの浮気で修羅場の真っ最中。
「復習してやるわ。あなた、ガスのゴムも持ってるでしょう。そこのメーターのところから計ってちょうだい」
「さいならッ」
ガス自殺の手伝いをさせられそうになり、慌てて逃げ出す。
お次は、浪曲をうなっている男。
水道屋にゃあ、縄張りってものがあるだろうと、妙なことを言い出す。
「しっかりしろい。おまえが親からもらった荒神山を、安濃徳が自分のものにしようてんだ。『人の落ち目につけこんでエ、覚えていろよ安濃徳ウ』」
と、虎造十八番の「荒神山」をうなり出す。
「だんな、浪花節がお上手で」
「よし、その一言が気に入った」
「買ってくれますか」
「オレんとこじゃああ、買わねえんだア」と浪曲で断られた。
最後は、インテリ風の男。
一尺いくらだと聞くので、十九銭と答えると、二尺はいくら、三尺、四尺、五尺……と暗算をさせられ、果てに、しからば百七十三尺六寸では? と、妙に細かく刻む。
小僧が四苦八苦して計算していると
「そういう時にはこういう調法なものがある。これは最近、九九野八十一先生が考案した完全無欠の計算器」
と、妙なものを取り出して、ベラベラ効能書きを並べた挙げ句、とうとう小僧に無理に売りつけてさようなら。
小僧、早速いじり始めたが、
「売らずにこっちが五十銭で買って帰ったんだから、零を五十で割ると、おやおや、答えが零だ。なら、べつに損はないや」
メモ
六代目三升屋小勝の新作落語。
神田の電気学校(現東京電機大学)を卒業し、東京市水道局:工務課に勤務した。
その経験をもとに、前座時代に創作した噺である。
昭和初期、水道が普及し始めた時代の作で、現在では演じる余地はないが、落語の歴史を語る上で欠くことの出来ない作品である。
小勝は数字を扱うのが得意で、立て板に水の数字並べが続く。舞台に出ると「ゴム屋ッ!」と声が掛かるほどの人気で、特に夫婦喧嘩の奥さんがヒステリックにわめ
くところが大受けだったという。
三代目 三遊亭圓歌はこの噺を聞いて、自分も浪曲が好きだから入れてみようと思い、「授業中」に使って大ヒットする。
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