https://youtu.be/6ZLkFlrC9GQ
富久(とみきゅう)は古典落語の演目の一つ。
初代三遊亭圓朝の創作落語で、主な演者には8代目桂文楽や5代目古今亭志ん生、8代目三笑亭可楽などがいる。
あらすじ(文楽と志ん生の口演をミックス)
年末ともなると、いろいろと入用になって人も物も忙しくなる。
そんな中、浅草安部川町の長屋に住む幇間の久蔵は、仕事も無く、金も無いわびしい生活を送っていた。
この男、人間は実直で芸も確かだが大酒のみが玉に瑕。
酒の上での失敗で東京中の旦那をしくじり、仕事を失ってしまったのだ。
そんな彼のところに、大家が一枚の富籤(宝くじ)を持ってやってくる。
『一番富に当たれば千両、二番富でも五百両』と言われ、その気になった久蔵は、なけなしの一分でその【松の百十番】という札を買った。
「大神宮様、大神宮様。二番富で結構ですから、どうか私めに福を……」
もし当たったら、堅気になって売りに出ている小間物屋の店を買い、日ごろから岡惚れしているお松さんを嫁にもらって店の主になんだ。
お宮(神棚)に札をしまい、楽しい空想をめぐらせながら一升酒をあおって大いびき。
数時間後……。半鐘の音が町に鳴り響く。火事だ。どうも芝の金杉見当が燃えているらしい。
「たしか、久蔵がしくじった『田丸屋の旦那』って……あそこらへんじゃないか?」
「じゃあ、久蔵に知らせて、見舞いにいかせてやるか」
と、言うわけで、長屋の連中が久蔵を起こし、話を聞いた久蔵は喜び勇んで駆け出した。
「寒い寒い、寒いよォ」
駆けつけてみると、期待通り旦那が喜んで、出入りを許されたので久蔵は大喜び。
早速、火事見舞い客の張付けに大奮闘するが……ご本家からお酒が届くと、もうそっちにばかり気が行って仕事にならない。
それを見た旦那は苦笑して、「飲むのはいいが……飲みすぎるなよ」。
「酒は飲むもの、飲まれちゃならぬ……分かっていますよ」
一応慎重になって、冷酒を飲み始めた久蔵だが……結局呑み過ぎてベロベロになってしまう。
大騒ぎして寝込んだところで、また何処かから鐘の音が聞こえてきて……。
「今度はどこだ?」
「浅草の鳥越方向辺りかな?」
「じゃあ、久蔵の家があるほうじゃないか!」
慌てて久蔵を起こし、提灯を持たせて帰したが……戻ったころには、久蔵の家は見事に灰になっていた。
「とんだ火事の掛け持ちになっちまった……」
とぼとぼ引き返して話をすると、旦那は親切にも店に置いてくれるというので、久蔵は田丸屋の居候になった。
数日後…旦那に奉賀帳を作ってもらい、あちこち回っているうちに、やって来たのは深川八幡の境内。
ちょうど富籤の抽選をやっていたので、当たり番号を覗いてみるとなんとそれが【松の百十番】……。
「アターッ!? タータッタタッタッタッ!!」
今すぐ金をもらうと二割引かれるが、八百両あれば御の字と換金しようとする。
「札をお出し」
「札は‥‥‥焼けちまってないッ」
当たり札がなければダメだと言われ、『祟ってやる!』と凄んでみたが当然効果なし。
安部川町諦めきれずに泣く泣く帰る道すがら…相長屋の鳶頭と鉢合わせした。
「なかなか帰ってこないんで心配していたぞ? まぁ、布団と釜は出しといてやったから安心しろ。あ、それと、大神宮様のお宮もな」
「ど、泥棒!!大神宮様を出せッ!」
半狂乱でつかみかかる久蔵。喉首を締め上げられた鳶頭は目を白黒させる。
「なるほど、千両富の当たり札とは、狂うのも無理はねえな。運のいい奴だ。おまえが正直者だから、神様が優しくしてくれたんだ」
「へえ、これも大神宮様のおかげです。近所にお払いをいたします」
演者による違い
『富久』を語る上で欠かせない落語家といえば文楽と志ん生だろう。
文楽はすぐれた描写力で冬の夜の寒さと人情の温かさを的確に描写し、この噺を押しも押されもせぬ十八番にまで練り上げた。
もっとも当初は落語研究会で初演すると予告しながら「練り直しが不十分」という理由で何度も延期したので、
評論家の安藤鶴夫に「文楽は今日も富休」と揶揄されていた。
なお、文楽はこの噺の火事見舞いに来る客の名前を、高座で使うハンカチの中に書いて覗きながら演じていた。
対する志ん生は久蔵に写実性を求め、失業した幇間に「貧乏につぶされる事の無いバイタリティ」を与えるのに成功している。
「二人の対照性は『地』の語りでも明白であり、例えば火事で家に急ぐ場面でも文楽は「しょい、しょい、しょいこらしょっ」と様式的だが、「対する志ん生は「寒い寒い、寒いよォ。何だい、吠えるなぃ、犬め……」と、嘘も飾りもない裸の人間そのままを描いている。
また、酒にまつわる演目を得意とした8代目三笑亭可楽は、持ち前の渋い語り口と「酒乱の幇間」という久蔵のキャラクターを活かして、
「この欠点はあるが憎めない主人公とその周囲の善人たちを生き生きと描写している。
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