山谷堀の吉田屋という船宿。
そこの船頭・熊五郎は、このところ毎晩のように超現実的な寝言をうなっている。
「金が欲しいな。二十両欲しい。だれかくれぇ」
ある夜、いつものように熊の「金くれえ」が始まったころ合いに、門口で大声で案内を乞う者がある。
亭主が出てみると、年のころは三十ばかり、赤羽二重の黒紋の羽織、献上博多の帯のぼろぼろになったのを着た侍が、お召し縮緬の小袖に蝦夷錦の帯を締め、小紋の羽織、文金高島田しとやかにお高祖頭巾をかぶった十六、七の娘を連れて、雪の中を素足で立っている。
話を聞くと、今日妹を連れて芝居見物に行ったが、遅くなり、この雪の中を難渋しているので、大橋まで屋根舟を一艘仕立ててもらいたいという。
今、船頭は相変わらず「二十両くれえ」とやっている熊五郎しかいない。
「大変に欲張りなやつですから、酒手の無心でもするとお気の毒ですので」
と断っても「かまわない」と言うので、急いで熊を起こして支度をさせる。
舟はまもなく大川の中へ。
酒手の約束につられてしぶしぶ起きだした熊五郎、出がけにグイっとあおってきたものの、雪の中。
寒さにブルブル震えながら漕いでいる。
娘の顔をちらちら見て
「こいつら兄妹じゃねえな」と踏んだが、まあ何にしろ「早くゼニをくれればいい、酒手をくれ、早く一分くれ」
と独り言を言っていると、侍が舟の障子をガラリと開け
「おい、船頭。ちょっと止めろ。貴様に話がある」
女は寝入っている。
「この娘は実は妹ではなく、今日吉原土手のところで犬に取り巻かれて難儀していたのを助けてやったもの。
介抱しながら懐に手を入れると、大枚二百両を持っていたから、これからこの女をさんざんなぐさんだ上金をとってぶち殺すので手伝え」という。
熊が仰天して断ると「大事を明かした上は命はもらう」とすごむ。
「それじゃあ、いくらおくんなさいます」
「さすがは欲深いその方。震えながらも値を決めるのは感心だ。二両でどうだ」
「冗談言っちゃいけねえ。二両ばかりの目くされ金で、大事な首がかけられるけえ。山分け、百両でどうでやす。イヤなら舟を引っくり返してやる」
とにかく話がまとまった。
舟中でやるのは証拠が残るからと言って中洲まで漕ぎつけ、侍が先に上がったところをいっぱいに棹を突っ張り、舟を出す。
「ざまあみろ。土左衛門になりゃあがれ」これから娘を親元である本町三丁目の糸屋林蔵に届け、二十両の礼金をせしめる。
思わず金を握りしめた瞬間
「あちいッ」
夢から覚めると熊、おのれの熱いキンを握っていた。
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