表舞台から消えた芸能人 消えた理由を本人直撃
湯浅卓(ゆあさ・たかし)が表舞台から消えた理由を本人に直撃
独特のポーズで話題を呼んだ国際弁護士、湯浅 卓さんを覚えてますか?
その強烈なインパクトと独特すぎるキャラクターで、バラエティからコメンテーターで幅広く活躍。
1ヶ月の番組出演数は100本を超えたことがあるという売れっ子でした。
しかし、2013年、突然テレビ出演は0に…。
それ以来、表舞台から姿を消しました。
その理由を本人に直撃!
湯浅さんによれば、2005年~2006年がピークでした。
当時は、女子大学生が通りの向こうから100人、一斉に「湯浅ポーズ」で頭を振ってくれたこともあったそうです。
そのころ良かったと思う出来事は、《美女に触られまくったこと》。
「当時にめちゃくちゃ戻りたい。モテてましたから。モテたいよね」という湯浅さん。
そして、本人がテレビから消えた理由をテレビ初告白!
湯浅さんによれば、日本がピークの時は、アメリカはリーマンショックで最低だった。
それで、不景気なアメリカでは働かず、日本でタレント活動をしていたそうです。
だけど今また、アメリカがバブルになっているので、アメリカの方が圧倒的に儲かると。
「ヒクぐらい稼いでいます」と湯浅さんはいいます。
でもやっぱり、モテたいからテレビに出たいんだとか。
おかもとまりが表舞台から消えた理由を本人に直撃
デビュー3年目で広末涼子のモノマネで一躍「時の人」に。
グラビアに挑戦すると、オリコンアイドルイメージ部門で、芸人初の首位を獲得!
ピーク時のテレビ出演本数は、年間なんと400本以上でした。
しかし、ブレイクからわずか4年で仕事なしに。
それ以来、表舞台から姿を消しました…。
芸能生活が短命に終わった理由を本人に直撃!
「やっぱり一番は自分の実力のなさ」というおかもとさん。
元々はリポーター・タレント志望だったのに、芸人としてデビューしたことに後悔しています。
広末さんのモノマネをやったことで、「モノマネ=芸人」となってしまいました。
《かわいいモノマネ芸人》として火がついたわけですが、その後「福田彩乃」のように本物の実力を持った《かわいいモノマネ芸人》が出てきてしまい、すぐに抜かれてしまう結果に。
その後、モノマネの幅を広げるために《モノマネメイク》を考えつきました。
しかし、「ざわちん」の登場により、その分野でもあっと言う間に抜かれてしまいました。
そこで、モノマネ以外の特技を身に着けるために、《温泉ソムリエ》《ナチュラルフードコーディネーター》などの資格をとりました。
しかし、だんだんと地上波の仕事もなくなり、最終的には表舞台から姿を消しました。
現在は、昨年結婚した音楽プロデューサー・naoさんと二人の子どもに恵まれ幸せに過ごしています。
金萬福が表舞台から消えた理由を本人に直撃
一流料理人の金萬福さんは、鬼才・テリー伊藤に見出されてバラエティ番組へ。
そして、その強烈すぎるキャラクターで一躍スターに!
日本で一番有名になった料理人の男が、なぜか表舞台から姿を消してしまいました。
現在は栃木県に住んでいる金さん。
62歳になった今でも相変わらず日本語は片言です。
金さんが来日3年くらいのとき、炎の料理人・周富徳さんに紹介され、テリーさんの番組に出演。
しかし、待ち受けていたのはとんでもない企画でした。
クレーンに吊るされて巨大ラーメンを作ったり、普通の料理人なら絶対にやらないことを「絶対に断らず」やり続けました。
当時の最高月収は400~500万円。
貯金も1憶円あったそうです。
でも、お店をやって悪い人たちに騙されて吸い取られてしまいました。
テレビで活躍していた晩年、宇都宮のホテルの料理長に誘われ、テレビの仕事を続けながら料理人の仕事もやっていましたが、最終的には両立できず、現在は料理人として頑張っています。
本田理沙が表舞台から消えた理由を本人に直撃
1988年歌手デビューを果たした人気アイドル。
同期は、高岡早紀や西田ひかるといったそうそうたるメンバー。
愛くるしいルックスに健康的なボディ、見えそうで見えないセミヌードが話題を呼び、当時《写真集の女王》と呼ばれました。
歌手だけでなく、ドラマにバラエティにとマルチに活躍していたのですが、26歳で突然の引退。
人気アイドルが突然の引退、その理由を本人に直撃!
現在は大分県中津市で暮らしている本田さん。
現在は45歳ですが、今も可愛らしさを維持しています。
本田さんが芸能界を辞めた理由は「ストーカー」。
今でいうストーカー被害でメンタルをやられていました。
夜、自宅マンションのエレベーターの中で突然後ろから羽交い絞めにされ、ナイフで脅されました。
上着をめくられて上半身を触られました。
ナイフを持っているので「刺されて死ぬ」と思っていたら、扉が開いてたまたま住人がいて、犯人は逃走しました。
そのことがあって以来、エレベーターに乗ることが怖くなったそうです。
また、夜に部屋で寝ていると、見知らぬ男が侵入してきました。
ベランダに逃げて大声で助けを呼び、なんとか助かりましたが、それ以来、インターホンに出ることや電話さえも怖くなったそうです。
ストーカーや過激なファンが怖くて、すがるように結婚で引退したそうです。
現在は地元大分で、ラジオのパーソナリティーをやっています。
川原ひろしが表舞台から消えた理由を本人に直撃
東京世田谷・環七通り沿いにラーメン店をオープンし、のちに年商3億円の伝説のお店になった「なんでんかんでん」
1日の最高売り上げはなんと120万円!
一晩で1200人の大行列、まさに豚骨ラーメンを世に知らしめたパイオニア。
そんな大人気ラーメン店の仕掛け人が、なんでんかんでん社長の川原ひろしさん。
人気番組「マネーの虎」出演で、一気に大人気に!
カリスマラーメン店主として、バラエティやドラマ、さらには映画まで、なんと約1500本に出演!
ところが、ラーメン界の競争激化により、2012年になんでんかんでん閉店。
以来、この人もまた表舞台から姿を消してしまいました。
伝説のラーメン店が閉店した本当の理由を本人に直撃!
現在は52歳の川原さん。
かつて店舗があった場所は、現在は整骨院に。
「なんと豚骨から整骨に変わったというね」(川原)
なぜ閉店になってしまったのか?
【川原さんの後悔その①「客が殺到し、味を保てず人気低迷の原因に」】
1000人くるとスープが間に合わない。
シャッターを閉めてもまだ並んでいて「薄くてもいいから」と言われてラーメンを出すと「やっぱりスープが薄い」と言われる。
【川原さんの後悔その②「なんでんかんでん渋滞で50回通報」】
店に駐車場が少なく、路上駐車で環七通りが渋滞し、1日50回警察官が来る。
【川原さんの後悔その③「豚骨の臭いと深夜の行列で苦情が殺到」】
豚骨独特の臭いと、毎晩1000人近くの行列で近隣住民から苦情が殺到!
それにより、売り上げがどんどん下がっていったのでした。
それでも、環七沿いの店舗にこだわった理由がありました。
それは、初めてそこでビジネスを起こし、成功したという思い入れがあったからでした。
しかし、なんでんかんで閉店と共にテレビ出演も激減しました。
そして、現在の仕事は?と聞かれ「今はですね、一番はセミナーですね」
なんと、現在の仕事は【催眠術師】。
催眠術は仕入れがいらない、儲かるというのが理由のようです。
10万円のセミナー代がキャンペーン価格で8万円(税別)。
この日は8人が参加して64万円に。
「カンのいい人は1回のセミナーですぐに催眠術が使えるようになる」と川原さんは言います。
針すなおが表舞台から消えた理由を本人に直撃
「爆笑スターものまね王座決定戦」の審査員をしていた漫画家の針すなおさん。
針さんはこの番組のイラストを描いていました。
己を曲げない頑固な採点で、26年もの間審査員を務めていましたが、2000年表舞台から突然姿を消しました。
その理由を、針さんの地元・佐賀県佐賀市で本人に直撃!
83歳になった今、やさしそうなおじいちゃんです。
表舞台から消えたのはなぜと聞かれ「それは番組が終わったからですよ。私がやめたわけじゃなくて」との答え。
あまりにシンプルな理由でした。
番組の終了に伴い、テレビの世界から退き、本業の漫画家に専念。
現在も風刺漫画を描き続けています。
そして、83歳にして《合気道を極めた》すごい人になっていました。
24歳のときに、漫画の取材のために合気道の道場を訪れました。
それ以来、合気道の魅力にハマり、漫画を描きつづけながら50代で佐賀に道場を建てました。
現在の弟子の数はなんと300人以上!
そして今は武道の審査をしています。
城咲仁が表舞台から消えた理由を本人に直撃
1990年代後半、新宿・歌舞伎町の「クラブ愛 本店」で、まさに神的な存在。
21歳で働きだし、たった2ヶ月でトップホストに!
その後5年間、ナンバーワンの座に君臨し続けた伝説のカリスマホスト。
4LDKの高級マンションに住み、1500万円のベンツを乗り回し、ピーク時の年収はなんと1億円!
2005年には、突如ホストを引退しタレントに転身。
巧みな話術を生かし、バラエティ番組で大活躍。
ところが、30歳になった2007年を境に、テレビの出演機会は激減。
それ以来、表舞台から姿を消してしまいました。
芸能生活が短命に終わった理由を本人に直撃!
錦糸町駅で待ち合わせし、現れた顔は当時のギラギラ感はなく、なんとなくやさしい感じに。
現在は電車を利用しています。
そして、表舞台から消えた理由を聞くことに。
Q)テレビ出たいですか?
「出たいですよ。毎日出たいですよ。俺を嫌いな人が何言ってもいい、出たいです。見ないでしょ、俺。街を歩いてても『あいつ最近テレビ出てないよね』って言われるんですよ」
Q)テレビ出演が激減した理由は?
「ホストのネタがあるときはまだ強い。ゴールデンの番組1周回って『仁くん、もうそのネタはいいや』って言われたときに何も残ってなかったんですよ」
ホスト時代の話しかできず、飽きられてしまいました。
また、カリスマホスト時代のプライドが許さず、MCにイジられるのが嫌だったという理由も。
Q)仕事ゼロの時に何をしていた?
虚勢を張っていました。
月収に見合っていない飲み方、金の使い方をしていました。
仕事がなくなってきてるのに、以前撮ったものがオンエアされると、世間的には「リアルにはまだ消えていない」という状態に。
VIPルームじゃなくてもいいのに、勝手に用意されていたり。
「仁さん、大好きなラトゥール置いてありますよ」とか、高いワインが並べてあったり。
ウーロン杯でいいと思っていても、「あんの?」って乗らなきゃいけなかったのです。
お金はないけど、城咲仁を演じていたのです。
2011年がどん底でした。
6年間住んだ家賃30万円の家を出て、実家の倉庫やトランクルームに荷物を預けて。
ホストのときは残高照会をしたことなかったのに、残高照会をするようになりました。
年収1憶でしたが、貯金もついに底を尽きました。
そんな中、坂上忍さんが手を差し伸べてくれて、舞台に出ました。
泣きながら全部失って土下座をする役でした。
でも、土下座しきれていませんでした。
「お前よ、土下座って何かわかる?一番底辺の、人に謝る行為なの。何カッコつけた土下座してんだよ!お前何もねえだろ、今仕事!」と坂上さんに怒られました。
下北沢の居酒屋で2時間半、正座したまま泣いて、泣いたまま悔しくて。
次の稽古まで時間が数時間…。
排水口に相手の靴をイメージして、排水口の床を舐めました。
そして次の日行ったら「お前どうしたんだよ!それだよ!」と坂上さんに言われました。
そのとき、普段タバコを吸わないのに、喫煙所に行って泣きました。
坂上さんの一言でホストの殻を脱ぎ捨て、どんな仕事にも全力を尽くせるようになったそうです。
そんな城咲さんの現在の仕事は【テレビショッピングのバイヤー】。
Q)ホストだから商品が売れる?
「逆ですよ。ホストが物を売ってくるほどイヤらしいことはなくないですか?じゃなくて、自分で免許取って、《フードアドバイザー》《薬膳インストラクター》《雑穀マイスター》《スーパーフードマイスター》《ダイエットインストラクター》こういったものを、仕事ないときに勉強したんですよ」
売り上げを伸ばすための資格取得はもちろん、商品開発会議にまで参加しています。
その地道な努力の結果、1日でなんと1憶7000万円分売り上げたことも!
さらには、ホスト時代から得意だった料理を生かし、料理本出版や料理教室を開いて生計を立てています。
それでも彼は、芸能人として返り咲くことを夢見ています。
「死ぬまで芸能人で生きたい。僕は芸能界始まったと勘違いしていた男だから、仕事なくならないとわかんないっすよ。どん底になって金なくなって『実力ねえんだ俺」ってなんないと。『もう1回イチからでいいじゃん。まだ始まってねえよ』と。どんな役でもやる、どんな台本でもやる、どんな辛いロケでもやる。ギャラなんかそんな出なくてもいいから。今、小中学生だれも知らないでしょ、俺。『その子たちが認知するぐらい、おもしろいおっさんになってやる』と」
『どん底から這い上がりたい』生涯芸能人を目指し、日々奮闘しています。
[出典:2016年10月25日放送 キテレツ人生なんでこうなった【消えた芸能人一斉捜査SP】]
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