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2018年09月12日(水):初投稿
2026年06月28日(日):放送日の誤りを訂正、SMAP解散後の状況・政策担当秘書の給与制度などを最新情報に更新、全面リライト
明るい未来を掲げて働く政治家の姿は、市民の声を聞き、審議を重ね、選挙戦を戦い抜くことで知られる。
その一方で、政治資金の問題などで話題に上ることも少なくない。そうした政治家を陰で支えるのが国会議員秘書である。先生の手となり足となり、目となり耳となって動く——その極端な裏方人生はどのようなものなのか。
2016年10月12日にNHK Eテレで放送された人形劇トーク番組「ねほりんぱほりん」は、ゲストに元国会議員秘書のミナミさん(仮名)を迎え、その実態を掘り下げた。聞き手はモグラの人形に扮した山里亮太(ねほりん)とYOU(ぱほりん)。顔出しNGのゲストはブタの人形に扮し、人形劇の体裁をとることで、表では語りにくい本音が引き出されていく構成である。同番組はこの年の10月にレギュラー放送を開始し、ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど話題を集めた。
手土産から始まった「元国会議員秘書」の回
番組冒頭、ミナミさんは聞き手の2人に手土産を差し出した。YOUには本人が好物だという柿の種、山里には鱒寿司。山里がラジオで一度口にした程度の好みまで調べ上げての持参で、初対面の相手の嗜好を事前に把握しておくのも秘書の仕事だと説明された。深い角度のお辞儀と細やかな気配りに、2人は早々に「一緒に暮らしたい」と引き込まれていく。
ミナミさんは50代のシングルマザーで、議員秘書歴は10年以上。憲法全文を早口で暗唱でき、最高記録は9分50秒台だという。知人の選挙を手伝ったことがきっかけでこの世界に入り、公設秘書のなかでも資格を要する政策担当秘書として活躍した。国会議員が公費で雇える公設秘書は政策担当秘書・第一秘書・第二秘書の3人までで、私設秘書には人数の制限がない。
与党も野党も渡り歩く——秘書という「影の存在」
10年あまりの秘書生活で、ミナミさんは与党も野党も経験した。議員が落選したり辞めたりすれば、秘書が別の政党の議員へ移ることもある。それでも、以前に仕えた政党や議員の内情を移籍先で漏らすことはなかったという。秘密を守れない秘書は仕事を失う。家族にさえ、どの政党のどの議員についているかを明かさなかったというエピソードに、YOUは「CIAレベル」と驚いた。
仕事の一日は早い。朝7時半には議員会館へ入り、8時から会議が始まる。国会会期中の午前は、議員と秘書で手分けして部会や議員連盟などの会議に出席する。ミナミさんが代理で出席する会議だけでも、ある日には政調全体会議、女性活躍推進、宇宙海洋開発、外交・経済連携、観光立国、薬害審査、IT戦略など十数件に及んだ。会議資料は昔の電話帳10冊ほどの分量にもなり、1時間半をかけて「捨てるもの」「保存するもの」「データ化するもの」へ選別する。議員の発言から議長の表情まで記録に残すのも仕事のうちだ。秘書は議員の外付けハードディスク
あるいは検索エンジンと呼ばれていたという。
担当する議員が審議するテーマには、秘書も踏み込む。児童ポルノ規制が論点となった際には、何が猥褻にあたるのかを把握するため、コンビニで成人向けの雑誌を買い集めて読み込んだ。争点は猥褻の定義と知る権利のバランスであり、その判断材料を議員へ届けるためだった。なお、児童ポルノに関する規制はその後、2014年の法改正で単純所持が禁止されるなど、当時の審議から法制度が動いている。
本会議中の議員の様子も、事務所のモニターで見張る。居眠りを見つければ携帯電話を鳴らして起こす。上を向いて寝ていて起きないときは、隣席の議員の携帯を鳴らして肩を叩いてもらう。
「政策から洗濯まで」——秘書の仕事の振れ幅
「これも秘書の仕事なのか」と思った仕事として、ミナミさんは選挙中の出来事を挙げた。汗かきの議員の替えの下着が切れたとき、近所の店で買い足し、脱いだ下着を洗面所で洗い、ドライヤーで乾かして5分で次の現場へ向かった。政策立案から洗濯まで——仕事の振れ幅をミナミさんは政策から洗濯まで
と表現した。
耐えがたいことはなかったのかと問われると、ミナミさんは秘書を「影の存在」だと語った。議員は数十万の有権者の意思を背負って多忙を極めており、秘書に気を遣う余裕はない。終業が午後5時でも、次の現場が4時半に入っていることもある。それでもミスは許されない。国会議員の秘書にミスという言葉は存在しない
という一言に、山里は「吉本に欲しい」と唸った。
給与については、ミナミさんは年俸でおよそ800万円ほどだったと明かした。政策担当秘書は国会議員の秘書の給与等に関する法律で給料が定められ、在職期間と年齢に応じて国から支給される。2026年時点では、参議院の案内で示された政策担当秘書の給料基準は月額45万円台以上で、各種手当を含めた年収の目安はおよそ730万〜1,080万円とされる。経験や勤続年数によっては年収1,000万円を超えることもある。ただし担当議員が落選すれば失職するため、安定した職とは言いがたい。
プライベートはほとんどない。連日のドタキャンで友人は離れ、父親の葬儀にも出られなかった。シングルマザーとして帰宅は深夜0時を過ぎることが多く、子どもたちはあらかじめ作っておいた食事をとる。出来合いではなく手作りの食事が、ミナミさんにとって唯一の愛情表現だった。深夜2時頃まで台所で翌日の準備と料理をこなし、睡眠は平均3時間。午前5時に起き、子を送り出して7時には家を出た。子どもたちはすでに大きくなったという。
別の元秘書が語る「ここだけの話」
番組では、ミナミさん以外の元秘書の証言も紹介された。秘書歴3年あまりのツヨシさん(仮名・30代)は、年間の休みが1〜2日で、横になって寝た記憶がないと語った。帰宅は深夜2〜3時。そこからメールへの即応を求められ、常に気を張る。横になると熟睡して起きられなくなるため、携帯を握ったまま座って眠った。デートの場所さえ、議員の支援者が営む店を選ぶ。何が票につながるかを常に考えるからだ。議員は秘書にとってどういう存在かと問われ、ツヨシさんは「神様」と答えた。先生の言葉が何よりも優先される、絶対の存在だという。
秘書歴8年半のソウタロウさん(仮名・30代)は、体を張って票を稼ぐ仕事を語った。後援会のバス旅行で各号車を挨拶に回ると、年配の女性たちから次々とおにぎりを手渡され、その場で受け取って食べる。5台分を1周するだけで最低10個。これを繰り返すうち、8年で体重が40キロ増えた。それでも「先生のため、1票のため」と付き合い続けたという。
選挙の裏側——名刺は「手裏剣」、葬式は「票田」
大変だろうと問われても、ミナミさんは選挙が好きな仕事だったと答える。選挙カーが走り始めてからが選挙だと一般には思われがちだが、実際には公示前の地盤固めで勝敗はほぼ決まっているという。地元に入り、議員とともに挨拶回りをし、握手をし、名刺を配る。名刺は相手の手元に残り、名前が刺さるように渡すことから手裏剣
と呼ばれた。名刺交換のあとは必ず写真を撮り、データではなく紙焼きにして、議員直筆の一言を添えて送る。
ただし選挙期間中は注意が必要になる。紙焼き写真は物品として価値が認められ贈与にあたるおそれがあるため、この時期はコピー用紙に印刷した写真を送るという使い分けをしていた。人に惚れてもらう「人たらし術」こそ秘書の仕事だとミナミさんは語り、聞き手の2人も完全に「たらされた」と笑った。
選挙に向けた地元活動には、葬儀への弔問も含まれる。秘書のあいだでは葬式チャンス
と呼ばれていたという。地元に入るとまず朝刊のお悔やみ欄に目を通し、面識のない相手でも弔問に出向く。「永田町から参りました」と議員の名刺を出すと受付がざわつく。親族・友人・会社関係が一堂に会する葬儀は、何十票分もの価値を持つ。悲しみのなかで要人が訪れることが、慰めの一つにもなるという理屈である。告別式で対立陣営の議員と鉢合わせ、「四十九日は外せない」と互いに意識することもあった。
影武者、そして3度の別れ
元秘書のユウコさん(仮名・30代、秘書歴5年)は、女性候補の応援で影武者を務めた経験を明かした。候補者のテーマカラーの服を着て、名前を記さないタスキを掛け、法に触れない範囲で外見を本人に近づける。有権者が本人と思って手を振り返してくれれば、1人で回れる範囲が単純に倍になる。その選挙は僅差で当選した。
選挙が秘書の私生活に及ぼす影響も大きい。ユウコさんは選挙のたびに交際相手と別れており、これまで3人の恋人と別れたという。「議員と自分のどちらが大事か」と問われれば、迷わず議員を選ぶ。女性の秘書仲間のあいだでは、これが共通の「あるある」なのだそうだ。
選挙に負けると秘書はどうなるのか
勝者の裏で、敗者の秘書には過酷な現実が待つ。落選した瞬間から、秘書は支援者へのお詫び行脚のスケジュール調整を始める。衆議院の場合、公設秘書は解散と同時に解職扱いとなり、給与が止まる。お詫びを終えてから就職活動が始まり、議員会館の事務所を履歴書を手に一軒ずつ訪ね歩く。ミナミさんは一番長いときで6か月間収入がゼロになり、貯金が底を尽きたと振り返った。
皮肉なことに、秘密を守り真面目に働くほど人脈は表に出ず、プロの秘書ほど再就職が難しくなるという。
それでも辞めずに続けたのは、言葉に尽くせないやりがいの瞬間があったからだとミナミさんは語る。議員の地元で子どもが亡くなり、調べると当時あまり知られていなかった病気だった。対策が必要だと動いた結果、今では広く知られるようになった。亡くなった子の両親が「うちの子の死が無駄にならなかった」と語ったことが忘れられないという。国に自分の関わった仕組みが残り、人に喜ばれる。その提案ができることこそ秘書の醍醐味だと話した。
落選議員と運命をともにする秘書
秘書歴13年のコウジさん(仮名・40代)は、その間に3度の落選を経験し、いずれも落選した議員に付き従ってきた。落選が確実になると、敗戦の弁を述べてもらうため誰かが議員を迎えに行く。有名な議員だったため落選時には報道陣が殺到し、車のボンネットにカメラマンが乗り上げて車を出させまいとする。フラッシュで前が見えず、まるで犯人のようだったという。その様子を見て議員の娘が泣き、議員から「すまんかったな」と言われても返す言葉が出なかった。
多いときで10人ほどいた秘書も、落選すれば3人ほどに減る。コウジさんは「続けさせてください」と願い出た。私設秘書のため給与は高くなく、年収は450万円から350万円に下がった。最後まで味方でいることが自分にできることだとし、いつか担当する議員に総理大臣になってほしいと語った。
スキャンダルにどう向き合うか
担当議員のスキャンダルに直面したこともある。ミナミさんが経験したのは女性問題で、世間に報じられた際にはミナミさん自身が愛人と取り違えられもした。記事が出た段階で、記者会見を開くかどうかなど対処法を練る。後援会長に土下座して謝ると「お前が愛人か」と誤解され、卵を投げつけられた。事務所の責任者であるミナミさんに言い訳は許されず、ひたすら謝り続けるしかない。
その後の選挙では、相手陣営が週刊誌の記事を戸数分コピーしてばらまいた。選挙期間中のこうした行為は選挙違反にあたるため、ミナミさんは夜通し駆け回って証拠写真を撮り、警察に通報した。「絶対に勝たせる」と臨んだ選挙で議員は勝利したが、ミナミさんがそこまで動いたことを議員本人は知らないという。手柄を主張せず、勝たせるためにやるべきことをやっただけだと語る姿に、聞き手の2人は言葉を失った。
ストレスを支えた「推し」の存在
これだけの重圧のなか、ミナミさんは1年で十二指腸潰瘍を2度経験した。そのストレスを支えたのが、SMAPの木村拓哉への思いだったと明かす。あるインタビューで木村が、落ち込んだときの過ごし方を問われ「その姿は期待されていない」と答えたという話を、ミナミさんは支えにしてきた。
ノートには木村の写真が貼られ、朝起きると「おはよう」と声をかける。ただし卵を投げられたような情けない瞬間には、あえて写真を見ない。木村に弱った自分を見られたくないからだという理屈に、聞き手のYOUが乗っかり、写真を見るのは「やったぜ」という嬉しい瞬間だけなのだと2人で盛り上がった。終盤、ミナミさんは上着をめくり、木村がドラマ「CHANGE」で総理大臣を演じた役名「あさくら啓太」をプリントした自作Tシャツを披露した。木村を総理にできると思う、という発言に、スタジオは笑いに包まれた。
なお、この回が放送された約2か月半後の2016年12月31日、SMAPは解散した。木村拓哉は元メンバーのなかで唯一、旧ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)に残り、その後も俳優・ソロアーティストとして第一線で活動を続けている。ミナミさんが心の支えとして語った「推し」をめぐる状況は、放送当時とは大きく変わった。
愛らしい人形劇の裏で語られたのは、票のために体を張り、秘密を守り、私生活を犠牲にしながら議員を支える「現代の忍者」とも呼べる職業のリアルだった。表に出ない影の存在が、日本の政治をどれだけ支えているか——番組はその一端を浮かび上がらせた。
[出典:2016年10月12日放送「ねほりんぱほりん」(NHK Eテレ)]
文責:ライターズラボ編集部(2026年06月28日(日)06:45執筆)


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