『どうする家康』第29話:ネタバレ・あらすじ

どうする家康
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第29話:(2023年7月30日)

徳川家康の危機と生き抜く術

織田信長が本能寺で命を絶たれるという衝撃的なニュースが家康のもとへと飛び込んできました。家康とその仲間たちは、敵の追手を受けつつも織田勢力からの距離を置くべく、母三河への撤退を急いでいます。

1582年、天正10年の6月2日、一朝の出来事が織田信長の運命を塗り替えます。明智光秀の大軍が信長の居城、本能寺を突如襲撃。その無情の攻撃に信長は抗し、最終的に本能寺に火を放つとともに、この世を去りました。

討ち取られた信長の息子、織田信忠もまた光秀の軍勢に屈し、防戦するものの二条御所にて自刃を選びます。信長とその後継者、信忠を倒した光秀は一気に京都の支配者となり、さらには公家たちへの巧みな政治工作で天下人へとのし上がる足掛かりを確保します。

その混乱の最中、信長の忠実な家臣たち、柴田勝家や豊臣秀吉も状況を受け止めましたが、彼らは京から遠く離れた位置にいたため、光秀の目の前の敵はただ一人、家康だけでした。

伊賀越えという名の試練が家康を待ち受けています。信長の命を失ったこと、そして自身の身の危険を茶屋四郎次郎から聞かされた家康は、堺から三河へと逃げ延び続けます。

家康とその一行は山賊の集団に襲撃されつつも木津川を渡り、茶屋四郎次郎から受け取った金も尽き、服部半蔵らが農家から集めてきた野菜を共有しながら生き抜きます。そんな状況で、半蔵から出た提案が伊賀越えでした。

一方、織田軍との戦闘により荒廃していた伊賀地方は、近道としては最適と半蔵は判断します。しかし、伊賀の国は服部党の故郷であり、「伊賀に入れば安全だ」と半蔵は自信満々に語ります。そして安全な避難場所として、多羅尾光俊が城主を務める小川城を提案します。

多羅尾光俊という人物は、甲賀忍者の頭領にあたり、徳川家康もかつてその協力を得て戦いを勝ち抜いてきました。彼が家康一行を受け入れてくれるかどうかは定かではありませんでしたが、現状では頼る他に選択肢はありませんでした。

そんな状況の中で酒井忠次と石川数正から新たな提案があります。「追手を欺くために3つに分かれましょう」と。その提案を受け入れた家康は、「死んだら許さない」と言いつつ、忠次と数正との落ち合い場所を伊勢・白子浜に定めました。

伊賀地方の小川城の城主、多羅尾は、その野蛮な風貌とは裏腹に温かく家康一行を受け入れました。しかし、その善意には裏があり、甲賀忍者の伴与七郎との接触を経て、家康一行は防衛を解き、多羅尾に全面的に信頼を置きます。

しかし、その信頼は誤りであり、多羅尾は家康一行に対する裏切りを企てていました。信長を討ち取った明智光秀に家康の首を提供しようと計画したのです。

家康はその試練を乗り越えるべく、「わしの首をやる、だからほかの者は見逃せ」と自らの命を賭けます。そこで再び登場したのが、家康のかつての家臣で、現在は伊賀の軍師となった本多正信でした。彼の計らいにより、家康一行は釈放され、待ち合わせ場所である伊勢の白子浜へと向かいます。

そして、忠次と数正も無事に白子浜に到着し、家康一行は岡崎城へと帰還します。しかし、光秀は山崎の戦で敗れ、逃亡中に落ち武者狩りに遭って最後を遂げました。

「どうする家康」第29話では、家康の苦闘と、それに対する家臣たちの尽力が描かれています。
家康がどのように自己を犠牲にして家族と家臣を守る道を選んだのか、そして家臣たちがどのように家康を支え続けたのか。戦国時代の激動の歴史を通じて、私たちはリーダーシップとは何か、忠誠心とは何かを学ぶことができます。

 


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