★桂文紅(四代目)袈裟御前

桂文紅(四代目)

平安末期の伝説上の女性。北面の武士源渡(わたる)の妻。夫の同僚遠藤盛遠(もりとお;のちの文覚もんがく)に横恋慕され、夫の身代わりに殺された事件をモチーフにした噺。

映画「地獄門」

『地獄門』(じごくもん、英題:Gate of Hell)は、1953年(昭和28年)10月31日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は衣笠貞之助、主演は長谷川一夫。イーストマンカラー、スタンダード、89分。

『平家物語』や『源平盛衰記』などで語り継がれた、袈裟と盛遠の物語を題材にした菊池寛の戯曲『袈裟の良人』が原作

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袈裟御前について

袈裟御前は鳥羽上皇の皇女藤原統子に仕えており、気品のある美しい女性であった。
彼女を見た北面武士の遠藤盛遠はたちまち恋い焦がれるようになり、思いを募らせる。

やがて、袈裟は盛遠の同僚である源渡に嫁ぐことになる。
渡と袈裟は、夫婦仲睦まじく暮らし、二人は幸せな日々を送っていた。
しかし、彼女を諦められない盛遠は執拗に彼女へ想いを寄せる。

渡という、愛する夫がいる袈裟は、盛遠にはっきりと断りを入れ解決を図るが、盛遠の彼女への想いは深く「そなたの母を殺し、我も腹を切る」と脅迫混じりに詰め寄る。

袈裟は思い悩んだ末「私は夫ある身、夫を亡き者にすればあなたの心に沿えましょう」と盛遠に告げた。

それを聞いた盛遠はその日の晩、源渡の屋敷へ赴き袈裟の指示通り、寝所にいる渡の首を挙げる。

ところが、月明かりで盛遠がその首をみると、それは愛する袈裟の顔であった。
夫と盛遠の板挟みとなった袈裟の選んだ幕引きであった。

後悔の念に駆られた盛遠は袈裟の首を抱き、鞍馬の山奥を彷徨った末出家、名を文覚へと改める。
出家した文覚は荒行に励み、後に頼朝の蜂起を説得しに行くなど新しい姿を歴史の表舞台へ現すこととなる。

しかしそこには、悲劇の死を遂げた一人の女性が、男性の行いを悔い改めさせ、再起に導くという大きな力を示していたのである。

渡との幸せな日々を送っていた袈裟御前であったが、その平穏な日々は盛遠から強く想いを寄せられたことで、大きく歪んでしまう。

一途な彼女にとって敬愛する夫を裏切る事など、到底受け入れられるはずもない。
夫や家族に迷惑はかけられない一心から誰にも相談することも出来ず、ただ苦しみを自分で抱えこんでいく。

次第に狂気に満ちていく盛遠を見て、夫や母にまで危害が及ぶと思った袈裟は、思い悩みついに、自分の命を犠牲にすることで、愛する家族を助けることを選んだ。

何の力も贖う術も持たないか弱い女性がとった悲しい決断であった。

そして、夫への純粋な愛を持ち続けた袈裟は、妻として、その幸せも満足に知らずに散っていく。
愛する夫と添い遂げるという彼女が望んだささやかな願いは永遠に叶わなかった。
その引き替えに彼女が護ったもの、それは、何物にも代え難いであろう愛する夫と家族であった。
そしてまた、こんなにも自分の事を想ってくれた盛遠に対しても、一涙の想いもあったのかも知れない。

それは、偏に愛してくれた人たちへの自分が出来る最大限の恩返しであったのだろう。
彼女のそれは、愛する人への深い愛情を感じさせてくれるものであった。

悲劇的な末路を辿った袈裟であるが、彼女の死は思わぬところで歴史に影響を与えた。
彼女を誤殺した盛遠は悔恨の念から僧となり、頼朝の蜂起へと導く重要な役割を担ったのだ。

彼女がいなかったら歴史は全く違うものになっていたのかも知れない。
儚くも美しく散っていった袈裟であるが、その想いは愛しい夫のことを待ち続けていたのではないだろうか。

[出典;袈裟御前の生涯-平家物語より/岡崎嘉彦]
京都外国語大学附属図書館資料
https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl188/pdf/18833.pdf

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