★桂三木助(三代目)近日息子

桂三木助(三代目)

概要
初代桂春團治や2代目桂春團治が得意とした。東京でも、2代目春團治から教わった3代目桂三木助が好んで演じて以来、広く演じられている。

登場人物のやりとりに多くのくすぐりが挿入され、全編通じて爆笑が意図されている。

あらすじ
父親が息子・作次郎(東京では与太郎)を叱っている。ある晩、息子が「中座で新しい芝居がかかる」と教えてくれたので、父親が次の日弁当を持って見に行ったら閉まっていたためだ。
息子は看板にあった「近日より」の文字を見て、「一番近い日」=「看板を見た次の日」だと思った、という。父親は「違うがな。近日とは『そのうちにやります』という客の気を引くための文句やがな」と指摘し、さんざん他の例もあげて息子のアホぶりを嘆く。
父親は「『近日』を出す商売人さんを見習(みなろ)うて、もうちょっと先繰り機転を利かせんかい。常に先を読め」と小言を述べるが、息子には一向に小言が効いた様子がない。あきれた父親は「頭が痛(いと)なった(または、腹の調子が悪い)」と言って横になる。

息子はすぐに医者を呼びに走る。医者は父親の脈を取るが、もともと医者を呼ぶほどの重症ではないので、もちろん別段の異常はない。しかし、医者が少し首をかしげるのを見た息子は、再び外に飛び出し、今度は棺桶を買ってきた。父親は困惑するが、息子は「お父っつぁんが『先繰り機転を利かせ』言いまっさかい」と言って聞かない。

医者や、棺桶をかつぐ息子を見た近所の長屋では、「あのアホンとこのおやっさん、死なはったんかいな」と大騒ぎになる。長屋の人たちが「ゆうべ(昨晩)、風呂屋で会うたんでっせ。それが今日死にますか?」「私思いますに、こらイチコロやと」「そら、あんたトンコロ(コレラ)でっしゃろ」とやりとりしているうちに、話が言葉の言い間違いのことに脱線して喧嘩になる。ようやく弔問に行くことになるが、行ってみれば父親は全然死んでおらず、座ってタバコを吸っている。悔やみの挨拶を言おうと構えていた長屋の人たちは狼狽し、親子の家を出たり入ったりする。

父親がとうとう「ええ加減にしなはれ。せがれ(息子)はともかく、あんさん方までわしをからかうのですかいな」と怒り出すと、長屋のひとりは言う。「おやっさん、表出て見なはれ。もうちゃんと鯨幕(くじらまく)張って、忌み札(忌中札)も付けたあって葬式の用意ができてますがな」

驚いた父親は息子を責めるが、息子は「あはは、近所のみなさんもアホだすなあ」と平気でいる。

「何でやねん」「よう見てみなはれ。忌み札に『近日より』と書いてあります」

バリエーション
東京では、寺の和尚が呼ばれて生きている父親の前で読経したり、長屋の男たちが起こした言い間違いに端を発する喧嘩が原因で、死んだはずの「糊屋の婆さん」が生き返る、という会話上の回想が伏線的に語られたりするなど、登場人物が上方より多い。また、父親は長屋の大家と言う設定で演じられることが多い。
初代春團治は、長屋の人々の会話のシーンにおける洋食屋の回想で、「『(肉)焼けたさかいソース持って来い』を『焼けたさかいホース持って来い』と言い間違えて火事騒ぎになり、店じゅうホースの水で無茶苦茶になった」というスラップスティック映画のような描写を語った。箸で庭にぶちまけたゴマを拾うと言った為、主人が聞くと「まあ5年はかかりますやろ」と平然と言い放ち、寝床に布団とコタツを真夏に用意して父親を呆れさせている。
類似した話に『菜刀息子』(『弱法師』とも)がある。こちらは親が息子を見限って家を放りだす悲惨な内容で、あまり演じ手がない。

[出典:Wikipedia]

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