怖い絵画の秘密!!中野京子先生が徹底解説!#1907

雑学・豆知識
スポンサーリンク

怖い絵に込められた画家の知られざる人生

 

5

画家の人生と共に怖すぎる絵を紹介

16世紀に活躍した「ホルバイン」が描いた怖い絵。

2
二人の男性の間に、ある恐ろしいものが描かれています。
絵を斜めから見ると……不気味な「頭蓋骨」が現れました。

4

実はこれ、隠れメッセージ。
頭蓋骨は死の象徴……
「人は必ず死ぬ、だから現世で栄誉や富を追い求めるのは虚しいこと」
そんな戒めが込められた絵なのです。

そんな画家の人生と共に、怖すぎる絵を紹介します。

 

カラヴァッジョ

16世紀後半にイタリアで活躍した「カラヴァッジョ」
彼の作品には、詐欺や盗みの現場を描いたものがあります。

7 8

実は彼、気性が荒く、若いときからケンカばかり。
35歳のときにはついに、殺人を犯してしまいます。
その後 逃亡生活を続けたカラヴァッジョは、最後の作品を残します。

 

9

剣を持っている少年が、男の首を持っています。
その首は、カラヴァッジョの自画像です。
自らの罪の許しを求めて描いた絵と言われています。

 

画家の人生を知れば、絵がもっと面白くなる!!

教えてくれるのは、著書「怖い絵」シリーズがベストセラーの美術評論家・中野京子先生

10 11

”怖い絵に込められた 画家の知られざる人生”

 

画家ではない人が描いたピエロの絵

13

画家ではない人が描いたピエロの絵。
一見、楽しそうなピエロの絵ですが、よく見ると、目も口元も笑っていません。
観方によっては、怖い絵と思いませんか。

 

14

この絵は、1980年ごろ、プロの画家ではない人物が描いた自画像。
彼の絵は、一部コレクターに人気があり、ハリウッド俳優のジョニー・デップも彼の絵を持っています。
プロの画家ではないにもかかわらず、100万円以上の値がつくことも。

この絵の作者は、1970年代にアメリカを恐怖のどん底に陥れた連続殺人鬼「ジョン・ウェイン・ゲイシー」です。

ピエロの格好でチャリティーに参加し、子どもには大人気。
しかし一方で、多く少年や若い男性を殺害したことから「殺人ピエロ」と呼ばれました。

17

16

ゲイシーの自画像であるピエロの目は、下を向いています。
それはまるで、子どもたちを見ているよう。
右下の風船には、「僕はピエロのポゴ」とサインがあります。

18

ゲイシーは子どものころ、体が弱く父親から虐待され「違う者になりたい」という欲求を強く持っていたと言われています。

 

「死の島」

21

第二次大戦中、ナチス・ドイツの総統として独裁政治を行ったヒトラーが、特別に愛したと言われている怖い絵。
タイトルは「死の島」。

描いたのは、19世紀 スイス出身の画家「ベックリン」。
20代から画家として活動し、牧歌的な風景画などを描いていましたが、なかなか絵は評価されていませんでした。

しかし、53歳のとき、ベックリンの運命を変える出来事が。
ある日、一人の女性がベックリンの元を訪れ、
「夫が亡くなったので、夫の喪に服すための絵をお願いします」と、奇妙な絵の発注を受けました。

ベックリンは、絵を描いているうちにあることを確信します。
「この絵はきっと、自分の代表作になる!」

「死の島」はたちまち評判になり、たくさんの絵ハガキやポスターが作られ、
特にドイツでは、ほとんどの家庭にこの絵があると言われたほど。

島の中央には、死を表す不気味な木。
舟が棺(ひつぎ)を乗せ、島に向かっています。

23

島には、この柩を埋葬するためのたくさんの穴が。
つまりこの島は「墓場」なのです。

「死の島」の絵を手に入れたヒトラーは、執務室に飾っていました。

第二次大戦前、ドイツとソ連が条約を結んだ後に撮影された写真にも写っています。

26

しかしその後、条約は破られ、ドイツはソ連に侵攻。
たがいに多数の死者を出す惨劇となり、自分の国を まさに死の島に変えてしまいました。

 

片方の目がない自画像

27

20世紀、ルーマニアの画家「ブローネル」。
28歳のときに自画像を描いていたブローネルは、
「普通の自画像ではつまらない、ちょっとアレンジしよう」と、軽い気持ちで描いた怖い絵には、片方の目がありません。
しかも恐ろしいことに、この絵が7年後に現実となってしまうのです。

28

ある日の晩、ブローネルは友人たちと、夕食後に楽しいひと時を過ごしていました。
しかし、友人たちが口論を始め、ついには掴み合いに。

ブローネルが友人たちをなだめますが、一人の友人がグラスで彼の顔を殴り、グラスの破片が片方の目に刺さり失明してしまいました。
鏡に映った自分の顔を見て「絵の通りになってしまった」と嘆いたブローネルは、のちにこう言い残しています。

「絵に襲われた」

ゴヤの画家魂

30スペインを代表する画家「ゴヤ」。

空中を飛びながら争う女性たちを描いた絵は、スケッチにもかかわらず4億9000万円の値が(2008年当時)。
彼が活躍した19世紀初頭 スペインは、他国から侵略を受ける激動の時代でした。

31

宮廷画家として成功していたゴヤは、46歳のときに悲劇が襲います。
原因不明の病に侵され、生死の境をさまよい 回復したときには、耳が聞こえなくなっていました。
するとゴヤは その影響からか、自分の頭に浮かんだ幻や悪夢をすすんで描くようになりました。

32

33

 

68歳のときに描いたのが、教科書にも載っているゴヤの代表作、
フランス軍がスペインに侵攻したことを描いた戦争画の傑作です。

34

右側のフランス兵は顔が見えず、まるで殺人マシンのようです。

35

 

一方、殺されるスペインの人々は、
表情も仕草も様々で 恐怖や感情がひしひしと伝わってきます。

36
「人間はなんて 愚かで醜く残酷なのか」

73歳のとき、ゴヤは再び病に倒れます。しかし、彼の画家魂は不屈でした。

病に苦しむ自分の姿を描くために、目の前に鏡を置き、自分をじっくり観察したのです。
医師に薬を飲ませてもらおうと、ぐったりしているのがゴヤ自身です。

37

 

うつろな表情から、苦しみが生々しく伝わる絵。
ゴヤはその後、絶望感に満ちた暗く怖い絵を描きました。

38

 

82歳で亡くなるまで、絵を描き続けたゴヤの最後のスケッチと言われているのが「ゴヤの自画像」。39
杖をつき、背中は曲がっていますが、目は鋭く見開かれています。
そして絵には「俺はまだ学ぶぞ」という文字が書かれています。

40

 

少年の感動の物語

41

サメに襲われそうになっているのは、イギリスの施設で育ったワトソン少年。
彼は、1749年 14歳のとき、海で突然サメに襲われたのです。

42

ワトソン少年は右足を失ってしまいました。
命は助かったワトソンですが、何度も悪夢が襲います。
しかし彼は、この苦しみを乗り越え 人生を諦めません。

「助けてもらった命、無駄にしない!」

ワトソンの努力の日々が始まりました。
少しでも歩けるように懸命に練習します。
「片足がなくても、僕は何でもできる!」

強い意志のもと、努力を重ねたワトソンは、その後 貿易会社などを経営し、実業家として大成功。
そして61歳のとき、なんとロンドン市長に当選。

43

当時の肖像画を見ると、義足も堂々と描かれています。

44
さらに 画家に依頼して、サメに襲われる絵が生まれたのです。

ワトソンは、自分自身が経験した一番辛い場面を絵にすることで、観た人の心に深く残るようにしたと言われています。
実話をもとにした絵を見て、「努力すればきっと報われる」と、人々は勇気づけられました。
絵は、彼が亡くなったあと、彼が育った施設に贈られました。

(了)

[出典:2016年7月30日放送「世界一受けたい授業 怖い授業SP」]

この記事を読んだ人はこの記事も読んでいます

本当は怖い世界の名画

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました