蜀山にも皮肉られたほど、明治・大正の頃大変素人義太夫が盛んになった。
定吉に命じて、旦那は舞台の設定から、客席の設定など細かいところまで気配りをした。
繁蔵が長屋を全部回って帰ってきた。
提灯屋に最初に行ったら、開店祝いのほうずき提灯を明日までに三束五十注文を請け、手を真っ赤に染めて、てんてこ舞い。
「仕事で有ればしょうがない」
金物屋は今夜無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかず、よろしくとの伝言。
「用事があるのなら仕方がない」
裏の吉田さんの息子さんは横須賀まで急用が出来て外出中で不在。
おっかさんは高齢の上体調崩して寝ています。
「今年は病人が多いな。気を付けなければいけないな」
小間物屋のおかみさんは臨月で虫がかぶって行けないと辞退。
「病人なら仕方がないと言ってるだろ」
豆腐屋は法事に出す生揚げやがんもどきを八束五十注文されて大忙し。製法まで細かく伝へたのに…。
「誰ががんもどきの製造法を聞いているんだ。これないなら『こられません』でいい」
頭(かしら)は成田山でゴタゴタがあって、深川の出張所ではだめなので成田まで行く約束があるのでこられません。
「印物(しるしもん)も配って、無い時にはお金も工面している。今度から成田山で用立てておくれ」
と長屋の全員に断られてしまった。
それなら店の使用人たちに聞かせようとしたが、一番番頭は二日酔いで頭が痛いと床に伏せっている。
籐どんは脚気で足がガクガクいう。
峰吉は胃ケイレンで、文吉は神経痛で、幸太郎は…ん~、眼病で、婆やさんはすばこで、坊ちゃんと一緒にお休みになっています。
「で、繁蔵お前は?」、えエ!!私は…、お長屋を回ってきましたが…、聞けばいいんですよね、私一人で」
「泣くな」
やっとみんなが理由を作って、来ない理由が分かった。
「見台踏みつぶせ。師匠には返ってもらえ、湯など空けてしまえ、菓子は捨ててしまえ、料理番を追い返せ!」
頭に来た旦那は、長屋は全員明日の正午に店立て、店の者は全員クビで宿元に行け、と言ってカンカンに怒って不貞寝してしまう。
それでは困る長屋の一同、観念して義太夫を聴こうと決意して、集まった。一同になだめられ、ご機嫌を直して再び語ることにした旦那は準備にかかった。
頭も来て、旦那は篤志家でいい人なのに。
旦那の義太夫を聞いて奇病
「義太熱」にかかった者もいる、気を付けなければ…。
やがて始まった旦那の義太夫をよそに、酔えば分からなくなるだろうと酒盛りを始めた。
料理は旨いし酒もイイ、菓子もイイし義太夫がなければなお良いのに。
この義太夫だけはねぇ~、昔義太夫語りを絞め殺したんでは。
頭を下げてな、まともにぶつかったらエライ目にあうよ。
でも、誉めてあげなくては
「日本一!」
「美味いゾ(羊羹が)」
「待ってました。どうするどうする」
お客一同、酔った勢いで全員居眠りを始めてゴロゴロ。
静かになったので感にたえたのだろうと御簾(みす)を上げてみると、みんな寝ていた。
旦那は激怒するが、何故か丁稚の定吉だけが泣いているのを見て機嫌を直した。
「おい、番頭、お前さん、恥ずかしくないかい? こんな小さな定吉が義太夫を聞いて、身につまされて悲しいと泣いてるんじゃないか…。定吉や、こっちィ来な。おそれいった。お前だけでも私の話を聞いてくれたのは、あたしゃ嬉しいよ。で、どこが悲しかった?お前は子供だから、きっと子供の出るところか? 『馬方三吉子別れ』か?」
「えーん、そんなとこじゃない、そんなとこじゃない」
「『宗五郎の子別れ』か? そうじゃない? あぁ『先代萩』だな?」
「えーん、そんなとこじゃない、そんなとこじゃない」
「どこだィ?」
「あそこでございます、あそこなんでございます」と指をさす。
「あそこだ~? あそこはあたしが義太夫を語った床(とこ)じゃないか」
「あそこはあたしの寝床でございます」
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