ヤーラ誘拐殺人事件|イタリアミラノ美少女アスリートの誘拐事件ミステリー#9112-1227

事件

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実録ミステリー!絶対不可能な殺人!?壮絶なる人生ドラマ

「ある殺人事件」の裁判

2016年の夏に行われた「ある殺人事件」の裁判は、イタリア全土が注目しました。
それは、将来有望な美少女アスリートが殺されるというセンセーショナルな事件でしたが、国民の注目を集めた理由はそれだけではありませんでした。

警察が疑いを向けた人物がいたのですが、その人物が殺人を犯すことは、物理的にも常識的にもありえなかったのです。
サスペンス映画のようなミステリーが紐解かれた時、あなたは人生を狂わされた人々の悲痛な叫びを聞くことになるでしょう。

2016年9月、番組はイタリアを訪れ、イタリア全国紙のひとつ、新聞社「イルジョルノ」で凶悪事件などを専門に担当するベテラン記者、ガブリエーレ・モローニ氏が、事件のあった場所へと案内してくれました。

そこは、ミラノの隣町ブレンバーテ市、人口約7000人ほどが暮らす小さな町。
2010年に、この場所で事件は始まったのです。

ヤーラ・ガンビラジオ誘拐殺人事件

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2010年11月26日に、1人で帰宅途中の当時13歳の少女、ヤーラ・ガンビラジオが、帰宅途中に行方不明になりました。

彼女の失踪は誘拐事件として、すぐさま地元のトップニュースになり、瞬く間にイタリア全土へ波及しました。
誘拐などという凶悪事件とは無縁の静かな町で起きた事件に、住民たちは大きなショックを受けました。

ヤーラは、地元ロンバルディア州でも有名な新体操の選手で、美しくしなやかや演技で州大会でも優秀な成績を残し、将来を嘱望された新体操界のホープでした。
しかし、失踪から約3ヶ月後の2011年2月、住民たちの願いもむなしく、ヤーラは刃物のようなもので全身を何ヶ所も刺され、殺されていたのです。
葬儀には、何千人もの住民が参列し、当時のイタリア大統領からもお悔やみのメッセージが寄せられ、国中が注目する大事件となりました。

町の住民たちにDNA鑑定

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地元警察の威信をかけた捜査、当初警察は、この凶悪な殺人犯を捕まえることに絶対的な自信があったといいます。
なぜなら、殺害されたヤーラの衣服には、犯人のものと思われる血痕が付着していたからです。

まず警察は、血痕から採取したDNAを前科者のDNAデータと照合しましたが、その中に該当する人物は見当たりませんでした。
そこで、町の住民たち全員に、DNA鑑定に協力してもらうことにしたのです。
全員は無理でも、できるだけ多くの人に警察署に来てもらい、鑑定を行うことにしました。

【DNA鑑定とは】
人の細胞内に存在するデオキシリボ核酸を分析、そこに現れる遺伝情報から、個人識別や親子の血縁関係などを判別する方法です。
ある人間のDNAが別人と一致する確率は、4兆7000億分の1と言われ、本人でない限り、同一となるケースはほとんどありません。

犯人がのこのこ警察にやってくるとは思えません。
これは犯人をつかまえるためではなく、《犯人をあぶりだす》ためのものでした。

DNAの提供はあくまで任意によるもので、協力してもいいと思う住民たちは、警察署へと足を運びました。
DNAは、血液をはじめ、骨、皮膚、口内の粘膜、髪の毛などにも含まれます。
痛みもなく、微量でも鑑定が可能なため、多くの人々が進んで提供しました。
最終的にDNAを提供者した人数は、その周辺地域の住民も含めて18000人以上になりました。
しかし、該当する人物はいませんでした。

警察は、DNAの提供に協力した住民は犯人ではないと考え、容疑者から外しました。
逆に、協力しなかった住民を調査することにしたのです。
ところが、この大規模な鑑定によって、事件は警察の思惑とは全く違う展開を見せることになります。

DNAと似た特徴を持つ人物が現れた!

事件から約11ヶ月後、遺体発見から約8ヶ月後の2011年10月21日。
鑑定した住民の中に、現場に残されたDNAと似た特徴を持つ人物が現れました。

完全に一致した訳ではないため、まだ犯人とは断定はできませんが、ようやく捜査線上に浮かび上がった最重要人物は「ダミアーノ」という男性。
刑事たちはにわかに色めきたったのですが、このダミアーノの登場が、事件をさらに奇妙な方向へと発展させていくことになります。

鑑識によると、ダミアーノとヤーラの衣服に付着していた血痕とのDNAは、似ているものの一致はしませんでした。
しかし、DNAは、血縁者間では非常によく似ることがあるといいます。
そこで、ダミアーノの血縁者の中に犯人がいると睨んだ警察は、彼の両親や兄弟、遠い親戚に至るまで、徹底的にDNA鑑定を行いました。

犯人はこの世に存在していない男!?

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その結果、ダミアーノの家にあった絵葉書の切手に付着した唾液から採取されたDNAにより、新たな疑惑の人物が浮かび上がりました。
その人物のDNAは、現場に残されたDNAと限りなく似ていました。
その人物とは、ダミアーノの叔父ジュゼッペ・グエリノーニでした。

ようやくたどり着いた疑惑の人物でしたが、ジュゼッペは、事件から10年以上前に亡くなっていたのです。
ヤーラ殺害事件が起きたのは2010年、ところがジュゼッペが死亡したのは1999年なので、そのとき彼はこの世に存在していませんでした。

それでは、現場にあったDNAは誰のものなのでしょうか?
鑑識官によれば、やはりジュゼッペに近い人物、彼の血縁者の中にいるのは間違いないといいます。
兄弟や親、親戚は全員調べたのですが、DNAが一致する人物はいませんでした。

ジュゼッペには、妻との間に子供が3人いましたが、やはり誰も一致しませんでした。
ジュゼッペは離婚歴はなく、亡くなるまで仲睦まじいい夫婦だったといいます。

DNAによって犯人を絞り込む捜査は、限界を迎えていました。
そして、これらの事実が新聞やニュースなどで報じられると、町の人たちは勝手な妄想を膨らまし、とんでもない噂が世間に流れていきました。
そんな中、ある1人の老婆だけは、なぜか心の底から怯えていたのです。

ベテラン刑事モチェリーノの地道な聞き込み捜査

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犯人のものと思われる血痕から採取したDNAに、限りなく近いDNAを持つ男・ジュゼッペ。
しかし彼は、事件から10年以上前に亡くなっていました。

警察は、唯一の手がかりであるジュゼッペの生前を調べました。
捜査官たちは、ジュゼッペがどんな人物だったのか、どんな人間関係があったのかを徹底的に調べるために、彼が生前勤務していたバス会社にやってきました。

そこで彼の人物像や、人間関係に至るまでの様々な情報を聞き出そうとしましたが、得られる情報は事件とは関係のないようなものばかりで、深く話を聞こうとしてもなかなか協力は得られませんでした。

遺体発見からおよそ2年が経ったころ、現場一筋30年、今回の捜査にも携わっていたベテラン刑事・モチェリーノが、本部長に「聞き込み捜査をやらせて欲しい」と申し出てきました。

人口7000人ほどの小さな町は、住民同士の繋がりや結束が強く、よそ者を受け付けない閉鎖的な土地柄なため、若い刑事などが話を聞こうとしても、心を開く住民は少なかったのです。
そこで、彼らと昔からの知り合いだというモチェリーノ刑事は、自分なら話しやすいのではと思ったのです。

モチェリーノは、いきなり核心には迫らず、顔なじみである住民たちとコミュニケーションを深め、徐々に厚い人間関係を築いていきました。
そして、町に入って数ヶ月が経つ頃には、モチェリーノはすっかり住民の心を掴んでいました。

エステル・アルズッフィーという老婆

事件から約3年半後の2014年6月。

ある老婆がモチェリーノの目に止まりました。
住民によると、彼女は昔は明るかったのに、3年半前に起きたヤーラ殺害事件以後、急に元気がなくなり、付き合いが悪くなったというのです。
そこでモチェリーノは、彼女のことを調べてみることにしました。

殺害現場から10kmの場所に住む彼女の名前は「エステル・アルズッフィー」。
夫・ジョヴァンニとは1967年に結婚し、以来、この町で50年近く暮らしています。

結婚から3年後には男女の双子を出産、兄のマッシモと妹のラウラ。
さらにその2年後には、弟のファビオも出産。
絵に描いたような幸せな家庭で、その後独立した子供たちは、それぞれ家庭を築いていました。

夏休みやクリスマスになると、子供たちは孫を連れてやってきます。
誰もが思い描くような人生を、何不自由なく歩んでいるように思えたエステルでしたが、ヤーラ殺害事件以降、なぜか彼女は近所づきあいが悪くなり、その顔からは笑顔が消えていました。

衝撃の事実が判明!?

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鑑識捜査官が、モチェリーノに頼まれていた鑑識結果を持ってやってきました。
それは、エステルのDNAでした。
実はエステルは、警察が行った大規模なDNA鑑定に、夫と共に協力していたのです。

しかしその時点で、犯人と思われるDNAは男性のものと判明していたため、エステルをはじめ女性のDNAは、登録はされましたが鑑定は全く行われていなかったのです。
そこで、モチェリーノが彼女のDNAデータを再鑑定すると、《衝撃の事実が判明》しました。

捜査線上に浮上した疑惑の老婆エステルのことで、モチェリーノは本部長に重要な報告をすることにしました。
DNA鑑定では、個人の識別だけでなく、複数の人間がどんな血縁関係にあたるかという判別も可能になります。
犯罪捜査以外では、主に親子や兄弟などの鑑定に用いられています。
エステルのDNAを詳しく調べた結果、彼女のDNAは、現場に残っていた犯人と思われるDNAと《母子関係》にあることが発覚したのです!

犯人が逮捕された

こうして捜査官たちは、男女の双子、兄のマッシモ、妹のラウラ、さらに弟のファビオのDNAを採取して、鑑定を行いました。
すると、誰もが予想だにしなかった《衝撃の真実が発覚》したのです。
そして、新聞やニュースで報じられると、多くのイタリア国民がその真実に驚愕しました。

エステルの子供たちのDNA鑑定を終えた捜査官は、警察に「ある人物」を呼び出し、その結果を報告していました。
その人物とは、エステルの夫・ジョヴァンニでした。

彼は、捜査官から犯人が先ほど逮捕されたことを告げられました。
その犯人とは、ジョバンニの息子で双子の兄、マッシモだったのです。

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土木工事作業員として働き、3人の子供を持つ父親でもあったマッシモは、犯人のDNAと限りなく似ていたジュゼッペと、どんな関係にあるのでしょうか?
ジョバンニは、10年前に死んだ男と自分の息子に何の関係があるのかと捜査官に食い下がりますが、「はっ!」っと気づきました。
「そんなことって…」
「そういうことです…」

実は、全く知らない男の子供だった

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10年以上前に亡くなったジュゼッペは、生前バスの運転手として働いていました。
陽気で明るい彼は、乗客たちともすぐに打ち解けていたのですが、一方で女癖も悪かったといいます。
既婚者であるにも関わらず、ジュゼッペはバスに乗ってくる美しい女性に、手当たりしだい声をかけては、食事やデートに誘っていました。
そして、そんな彼の誘いに乗った1人がエステルだったのです。

この頃、エステルは結婚したばかりでした。
ジュゼッペも妻子ある身だったのですが、2人はこっそりとダブル不倫を続け、いつしかエステルは、ジュゼッペの子供を妊娠してしまったのです。

DNA鑑定の結果、ジョヴァンニと、双子のマッシモ、ラウラの親子関係は、完全に否定されました。
双子の子供たちは、エステルとジュゼッペの子供だったのです。

ジョヴァンニは、家族が一番大事だと思っていました。
しかし、彼は妻に裏切られ、実の子供だと思っていたマッシモとラウラの双子の子供たちは、全く知らない男の子供だったのです。
あの時エステルが怯えていたのは、かつて不倫した男の名が、美少女殺害事件によって何度も取り沙汰されるのを見て、昔の過ちが発覚することを恐れたからでした。

判決は終身刑

2014年6月16日、マッシモが殺人容疑で逮捕されると、その後行われた裁判で、様々な真実が明らかとなりました。

ヤーラが誘拐されたあの日、現場近くの防犯カメラには、マッシモの車と同じ車種の白いトラックが7度も映り込んでいました。
さらに、被害者の衣服に付着した繊維が、マッシモの車のシート素材と同一であることも判明し、ヤーラがマッシモの車に乗り、誘拐されたことを裏付ける決定的証拠となりました。
そして、肝心の殺害動機は、《イタズラ目的で誘拐した少女に抵抗されたため》というものでした。

イタリア全土を騒がせた殺人事件、今年2016年7月1日に行われた裁判でマッシモは終身刑となり、現在牢獄の中にいます。

さらなる衝撃の事実!!

イタリア全土を騒がせた美少女アスリート殺人事件の結果に、多くの国民がショックを受ける中、ひときわ心をズタズタに切り裂かれたのが、エステルの夫・ジョヴァンニでした。
しかし、彼が受けたショックは、これだけに留まらなかったのです。

犯人を特定するためにDNA鑑定を受けた、ジョヴァンニの子供たち。
まず、男女の双子・マッシモとラウラは、妻エステルの不倫相手、ジュゼッペの子供だということがわかりましたが、発覚した事実はそれだけではありませんでした。

実は、弟のファビオも、ジョヴァンニの子供ではなかったのです。
しかも、父親はジュゼッペでもありませんでした。
つまりエステルは、ジュゼッペ意外とも不倫をしていたのです。

ジョヴァンニのその後

イタリア中が注目した殺人事件によって、妻の度重なる不倫と、3人の子供たち全員が実の子ではないと知り、失意のどん底に突き落とされたジョヴァンニ。
彼はその後、どうなったのでしょうか?

なんとジョヴァンニは、あれほどの仕打ちを受けたにも関わらず、エステルと共に生活を送っていました。
実はエステルは、3人の子供たちがDNA鑑定の結果、ジョヴァンニの子供ではないと科学的に否定されたことを決して認めず、最後まで夫の子供であると訴え続けたのです。

そんな彼女の言葉を、ジョヴァンニが信じたかどうかはわかりません。
しかし彼は、昨年大病を患い73歳でこの世を去るまで、衝撃の事実から1年半の間、エステルと共に暮らしていたそうです。

[出典:2016年10月20日放送「奇跡体験!アンビリバボー」]

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