第27話:(2023年7月16日)
徳川家康が甲州征伐の終結後、織田信長一行の富士遊覧を見事に盛り上げる。この行動が信長の機嫌をよくし、次には信長が家康を招待することに。
信長からの特別招待
1582年(天正10年)の5月、家康は穴山信君らと共に、信長の招きに応じて安土城へと赴きます。この時代の背景には、各大名が地方経済を支配し、その力をもって天下統一を目指すという戦国時代の緊張感があります。
家康が宿舎で準備をしていると、彼の側室・於愛が二人の息子、長丸と福を連れて挨拶に訪れました。「お父様、どうかお気をつけて」と。家康は於愛を特別視しており、もし自分に何か起きれば、家族を頼むと伝えます。また、二人の息子たちに対しては、信康の二の舞にならないように、この世を生き抜いてほしいと切に願うのです。
一方、家康の家臣達は、家康が安土城に行くことに心配の色を見せていました。織田信長が徳川と手を組んだのは、武田軍を倒すためであり、武田軍が滅んだ現状で家康が信長にとって邪魔になる可能性があると感じていました。
於愛は家康の深刻さを察知し、「何か心配なことでもあるのですか?」と問いかけます。「狼と兎、どちらが強いと思うか?」と反問する家康。於愛の答えは「狼が強いに決まっています。しかし、兎は賢く、機転が利く生き物かもしれません」。家康は亡き妻・瀬名からの教えと信じる気力を受け継ぎ、大切な人々を守ると誓うのでした。
光秀の手落ち
安土城に向かう家康一行は、信長が築いた巨大な安土城を見て息を呑みました。その規模の大きさには誰もが驚き、行われた宴会もまた華やかでした。
食事には馴染みのない料理が並び、家康は箸を進めることに緊張していました。そこで明智光秀が淀の鯉を自慢げに説明し始めます。その時、秀吉は毛利輝元との戦で中国に、柴田勝家は越後の上杉景勝を追い詰めるため北国にいて、光秀が家康の接待を担当していました。
しかし、光秀が提供した鯉には不快な臭みがあり、家康は食べるのをためらいます。この出来事は家康の家臣や信長までが気づき、信長は「当たったら大変だ、食べるのをやめろ」と光秀を戒めました。
信長は失態を犯した光秀を痛烈に叱責し、中国への援軍として出立させました。信長は失敗を許さない人物で、この行為はその理念を示すものでした。
信長と対話する家康
その夜、家康と信長は二人だけで飲酒を楽しみました。鯉の件を再度取り上げ、信長が臭みがあったのか家康に尋ねます。「使えない者は容赦なく切り捨てる」という信長の言葉に対し、家康は「そうもいかない」と反論し、これに信長が諭します。「信じられるのは自分だけだ、他人を甘く見てはならない」と。
しかし、家康の考えは異なっていました。「他人を信じずして、自分が信じられることはない。もし裏切られるのなら、それは我が器量が足りなかったからだ」と。これは、今は亡き松平家の重臣・鳥居忠吉から学んだ教えでした。
家康は一人で何もできず、他人の助けがあったからこそ、今の地位にいるということを自覚していました。
信長と家康の諍い
家康が「先に京に向かいます」と信長に礼を言い立ち上がると、「お前、心の中を隠すようになったな」とつぶやく信長。そして、信長は「白兎(家康)!」と叫びながら家康の胸ぐらを掴んで突き飛ばします。怒った家康も逆上し、信長に掴みかかります。
幼い頃に織田家で人質になっていた時のような情景が再現され、二人は競い合いながら組み合い、もつれて倒れます。信長は満足そうに笑う一方、家康の心には故ある妻・瀬名の存在が残っていました。
家康が信長に仕え続けることに耐えきれず、彼の妻子を殺害したことに感情的になっていると、信長は「お前の気持ちはくだらない」と言います。「お前には俺を支えることがせいぜいだ。弱い兎が狼を食らうんだ。本当に俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て。やってみろ、白兎!」と挑発します。
そして、1582年5月29日、信長はわずかな供と共に安土城を出発します。信長が京の宿所・本能寺に到着すると同時に、家康は和泉の堺に向かいます。これが、歴史の舞台上で二人の運命を大きく変える前触れとなるのです……
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