資産3000億円から借金1500億円へ転落!ツカサのウィークリーマンション元社長が”転落人生”を激白!
CMでおなじみの「ウィークリーマンションツカサ」元社長:川又三智彦氏
川又幸彦(川又三智彦)さん76歳(2023年現在)
♪よんよんまるまるわんわんわん ツカサのウィークリーマンション
のCMでおなじみの川又社長。
日本で初めてウィークリーマンションを立ち上げました。
ウィークリーマンションとは、家具家電付きで、短期間から借りられるマンション型宿泊施設のこと。今や全国に広がっていますが、日本で最初に始めたのがツカサの元社長・川又さんでした。
社長自らCMに出て大ヒット!
絶頂期には総資産3000億円。
そんな川又さんは、今、福島県猪苗代町で、築45年、家賃2万5千円の一軒家で一人暮らし。
いったい、有名社長に何があったのか?
日本初のウィークリーマンション
川又さんの実家は、街の小さな不動産会社「司建物管理」で、賃貸アパートを数件所有していたため、そこそこ裕福な家庭でした。
川又さんは、高校卒業後アメリカに21歳まで留学していましたが、父が脳梗塞で倒れたため、1969年に帰国。帰国後すぐ、大会社で3ヶ月ほど働いたとき、初月収は3万円でした。
しかし、他の会社に行っても勉強にならないと戻され、母の元で仕事をしたときにもらったのが20万円。今で言えば60万円くらいの月収です。
それが22歳の時で、10年くらいはそんな生活をしていました。仕事はほとんど母親任せで、川又さんは悠々自適な生活でした。そして、1973年、25歳で社長に就任。当時は木造アパートがメインで、老朽化が進み、流行り始めた新築のワンルームマンションに客を取られていきました。
経営はどんどん傾くばかり。そんな現状を打破するために、一か八か始めたのが、家具家電付きの短期契約の賃貸住宅でした。ところが、旅館業法違反だと役所からクレームがきて、1週間以上で貸すなら旅館とも言えないということで、1983年5月、日本初のウィークリーマンションが始まりました。
バブル時代の到来
老朽化したアパートをリフォームし始めたウィークリーマンションが、長期出張のサラリーマンや、地方からの受験生に大人気に。
すると、ある銀行に、「ワンルームマンションとして建築中の物件を90何室丸ごと1棟買わないか?」と持ちかけられ、ちょうど1985年、バブルのスタートということもあって、10億円を銀行から借りることに。
バブルの頃は、銀行の頭取、副頭取が料亭に招待してくれて、「ぜひ借りてください」とお願いされるほどでした。10億円で買ったマンションは、完成した1年後の再評価で、18億円の評価額になりました。
その後、10社以上の銀行がこぞって、金を貸すからウィークリーマンションを運営してくれと殺到するほどに。
全国の部屋数が4,000室になり、始める前は数億円の借金がありましたが、その後7年で借金が1,500億円になりました。バブル当時は、建てれば建てるほど不動産価値が高騰し、銀行も金を貸しても回収できると次々と川又さんの会社に金を貸し、マンションを建設。ピーク時の資産は3,000億円と言われ、資産から借金を引いても1,000億円は下らないと、週刊誌が取り上げていました。
バブル当時の自宅は、渋谷区松濤に7LDKの23億円。さらに、ハワイ、伊豆、苗場、水上温泉に別荘を所有。
バブル時代の終焉
ところが、1990年3月27日、高騰する不動産価格を抑えるため、大蔵省が銀行に不動産会社への貸し出し規制を通達。いわゆる総量規制によって、バブル終焉。1,500億円の借金はそのままに、3,000億円の資産は10分の1に。
一番変わったのは、銀行の態度。今までつきあってきた人はみんないなくなり、全く顔も知らない人に銀行に呼びつけられ、「何でこんなに借りたんだ」「どうやって返すんだ!」と。
銀行の取り立てが始まり、会社は火の車に。
そして、川又さん自身も脳梗塞で倒れてしまいました。
倒れたときは、これで楽になれると思ったのですが、倒れた場所が病院で医者の目の前だったため、翌日病院で目が覚めたとき全然嬉しくなかったそうです。
自己破産した現在は……
そして、バブル崩壊後20年、借金を返済しながら細々と会社を続けていましたが、リーマンショックで完全に倒産することに。会社790億円、個人830億円の借金を抱え、2010年に裁判で自己破産が成立しました。23億円の豪邸暮らしから一転、今は、福島県猪苗代町で、築45年家賃2万5千円の一軒家で年金暮らし。
現在(2015年)は、自宅と同じ敷地に建つ廃業した元民宿を自ら改修し、デイケアサービス事業を始めようとしています。
[出典:2015年10月1日(木)放送「ヨソで言わんとい亭」]
著書:どん底と幸せの法則(2016年8月)
Amazon紹介文より
私はウィークリーマンションの事業で注目を浴びましたが、バブル崩壊で資産3000億円の大富豪から、マイナス1500億円の大借金へと転落しました。
頂点からどん底にいきなり叩き落されるのを「ジェットコースター人生」と言ったりしますが、この落差は半端ではありません。それでも、どん底は終わりませんでした。
しかし、再起を目指して、取り組んでいるのは、「昭和30年代村構想」。どん底だけど、あきらめない。
日本テレビ『幸せ!ボンビーガール』の新企画、ボンビー転落社長で注目されました。どん底は避けたいことですが、なぜか、やってきます。
このどん底にどんな意味があるのか、なぜやってくるのかを考えたことがあるでしょうか。
私はあえてどん底をテーマにしました。
それは、成功自慢話よりも、失敗、どん底話にこれからの困難の時代をどう生きるかのヒントがあると思えるからです。どん底を振り返りたくない人は、人生において大きな損をしているのです。
本書はどん底と正面から向き合い、どん底からの脱出法をご提案します。
さあ、私とともにどん底から脱け出しましょう。《目次》
はじめに
第一章:どん底だらけ
大富豪からボンビーとなり、破産者へすべてを失い、また一から出直しです
▼どん底・第一幕▲五歳〝幼稚園中退〟で引きこもりから始まったどん底人生
▼どん底・第二幕▲十二歳小学校では、無断欠席の常習犯。ついに田舎に逃避
▼どん底・第三幕▲十八歳「勉強嫌い」でアメリカ留学。知らなかったアメリカの大学制度
▼どん底の始まり▲三歳汽車の中で独りぼっちにされた、五分間の恐怖
▼どん底・第四幕▲二三歳社会人一年生にして大番頭、社員の裏切り
▼どん底・第五幕▲三二歳目の前に立ちはだかる大きな壁。マルコーと杉山の脅威
▼どん底・第六幕▲四〇歳銀行に踊らされて、一五〇〇億円を借金
▼どん底・第七幕▲四三歳ついにバブル崩壊、国と銀行にだまされた
▼どん底・第八幕▲四六歳バブル崩壊の警告に氣付かなかった自分を責める毎日
▼どん底・第九幕▲五二歳さらば、ツカサのウィークリーマンション
大富豪で楽しいときは一瞬。ボンビーで辛いときは十九年間第二章:どん底ダメ押し
一.今度は「生命」のどん底へ~運が悪けりゃ、死んでいた?
本で書いた「臨死体験」をそのまま実体験させられる
大借金を抱えたまま自殺していた?
手足が勝手に動く
手にしたはさみに襲われる
父親が亡くなった病院を紹介される〝奇跡〟
一度では足りなかった「臨死体験」
二.そして「会社」のどん底~すべてはうまくいくはずだった
どん底の中で不死鳥のように復活。やっと来たチャンス
地主からの通告、「話はなかったことにしろ」
アメリカ留学では、いきなりの逮捕・投獄体験
今度はアメリカのバブル崩壊で八三〇億円の自己破産
救い神も最初は詐欺話だったが、私は自分のどん底に救われた
「どん底」のオンパレードだが、最後に奇跡は起きた
三.天災(東日本大震災)でまた新たなどん底へ
また避けられない天災で、事業ストップのどん底へ
「フクシマ」はどん底とは思っていない第三章:どん底笑い
一.いつしか始めた「土壇場」の研究~人生の成功者には必ずたどった道がある
赤壁の戦いで負けた曹操はその後どうなった
命を賭けたどん底を買って出て、「笑い」に変えた男たち
修羅場を踏みとどまり、「笑った」男
二.どん底を「笑い」に変えた私の極意、教えます
(1)たった一行の言葉でどん底は救われる。本を読むべし
(2)引きこもることなかれ。行動せよ
(3)悩まず、とにかく、「食べて寝る」
(4)「いつも考え方はプラスに」を心掛けよう
A「どん底」では、考えるべきことを考えよ
B自分が言った言葉は自分に返ってくる、を肝に銘じる
(5)「なんとかなるさ」と漠たる予感がやってくる
(6)ひどい目にあわせた人を救うことが私の仕返し
三.「こんなことをしていて、何になるのか」と思うこともある
四.時間を味方と思え~「時が解決する」は本当だ
五.どん底は笑い飛ばせば、消えていく
六.どん底は自分らしい「味」をつけるときと思って笑え第四章:どん底理由
一.どん底には免疫がある人とない人がいる
二.今は誰もがどん底になってしまう理由
三.人生最高のときがどん底になってしまう理由
四.どん底を「不幸」と勘違いしてしまう理由
五.どん底がチャンスだという、本当の理由
六.理由なんて、最初はない。後になって出てくるもの第五章:どん底原因
一.日本をここまでどん底にしている原因の正体
二.生きていくことが困難になった、その原因
三.原因がわかれば未来は自ずと見えてくる
四.本物のどん底の先に待っているものとは第六章:どん底ゼロの発見
一.どん底のイメージで出発点は違ってくる
二.捨てるものと捨ててはいけないものとを間違えるな
三.自分が感じている不幸と他人から見られている不幸とは違う
四.真面目さ、正直さは必要でも、「バカ」がつけば命取りに
五.「自分に原因があるから起きた」とわかることから始まる
六.「チビ」「デブ」「ハゲ」がなぜモテるのか
七.「アラジンの不思議なランプ」が働くから大丈夫
八.どん底のときこそ、しつこくなれ
九.どん底とは、人生の修行そのものである
一〇.キャバクラ嬢はどん底脱出の良き教師
【コラム】どん底脱出法~「自分を科学する」第七章:どん底生きる
一.人生とは、「クモの糸」である
成功と挫折は表裏一体、最後まで信じ切れるかどうか
この「クモの糸」は見えない
二.「奇跡」はどん底の先のそのまた先に必ずある
三.これだけやっているのに芽が出ないときほど、一番成長している
四.「その次」はどん底を通じて自然とでき上がっていく
五.「村づくり」でこれから生きていくあとがき
「ゼロに戻れる」と、氣付かせてくれた一言《著者プロフィール》
川又三智彦Sachihiko Kawamata
一九四七年、栃木県生まれ。米国ノースウェスタン・ミシガンカレッジに留学。帰国後、家業の不動産業を継ぎ、「ウィークリーマンション」で大成功を収める。しかし、バブル崩壊で「借金一五〇〇億円」に転落。その後、数々の事業を手掛けながら、独自に情報活用術や経済知識を会得する。その後、リーマンショックの影響から会社を清算することになったことで再びどん底へ。それでも新事業への挑戦をし続け、二〇〇二年にひらめいた「昭和三〇年代村づくり」を会津若松で行っている。最近の主な著書には、「二極化ニッポン」(住宅新報社二〇〇五)、「二〇一七年日本システムの終焉」(光文社二〇〇六)、「二〇二〇年の日本からの警告」(光文社二〇〇七)、「人生の意味と量子論」(高木書房二〇〇八)、「死の意味と量子論」(高木書房二〇〇九)、「『奇跡』と呼ばれる現象の仕組みがわかった」(スマイルメディア二〇一四)がある。
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