更新履歴
2015年10月12日(月):初投稿
2025年05月14日(水):ホセ・ムヒカ氏の死去情報を追記
2026年05月30日(土):死去・政界引退の事実関係を全面的に更新
「ムヒカ大統領のメッセージ」2015年10月11日放送 Mr.サンデー拡大スペシャルまとめ
ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領が、2025年5月13日に死去しました。89歳でした。死因は食道がんとみられています。2024年4月にがんの診断を公表し、2025年1月に肝臓への転移と治療の中止を明らかにして緩和ケアを受けていました。本記事は、ムヒカ氏が大統領を退任した2015年に放送されたインタビューの記録です。
ムヒカ氏へのインタビュー・日本語訳書き起こし
「私は、7歳の時に父を亡くしてね。当時母は、少ない父の年金すら15年ももらえず、苦しんでいた。小さな畑を耕してね。そこで栽培していたもので生活していたんだ」
母一人の働きが家計を支える極貧生活のなかで、貴重な収入源だったのが、幼いムヒカ氏も手伝ったという「花の栽培」でした。そのきっかけは、近所に暮らす日本人家族にありました。
「実は、家の近所に10軒か15軒ぐらいの日本人家族がいてね。みんな花を栽培していたんだ。幼い私も育て方を教わり、家計を助けたよ。彼らはすごい働き者でね。昔ながらの日本人だった。農民の思考で、狭い土地に多くのものを耕していた」
働き者で土に根差した日本人の姿が、幼いムヒカ少年の心に刻まれました。しかし、そんな極貧時代の経験が、彼を闘う男へと変えていきます。
20代で、南米最強とも呼ばれた極左都市ゲリラ「ツパマロス」に加入。腐敗する権力に闘いを挑み、数々の襲撃事件に加わりました。6発の銃弾を浴び、4度の逮捕と2度の脱獄を経て、13年近い牢獄生活を送ります。
「50年前の私たちは、富を平等に分配することによって世界を良くできると考えていたんだ。でも、今になって気づいたのは、人間の文化そのものを変えないと何も変わらないということだ」
極端な思想だけでは社会は変わらない。そう気づいた頃、彼は再び日本人の姿と出会います。
「ここには、日本の造船会社が来ていてね。日本人技術者が大勢働いていたんだ。その子供たちはここで成長し、自転車で学校へ通い、ここでサッカーを覚えたんだ。ある日、日本人の子供が試合に出ていてね。激しいプレーで頭をけがして血を流してた。ついにはコートから出された。その子は泣いていたよ。でも、傷が痛いからじゃない。最後までプレーできないことが悔しくて、名誉心で泣いていたんだ」
(名誉とは何ですか、と聞かれて)
「任務を最後まで全うするということかな。自分が引き受けたスポーツでの任務をね。君たちの文化では、とても大切なことだろう?」
その頃から、日本の文化に強く心惹かれていったといいます。こうした異文化への探求心とほぼ時を同じくして、ムヒカ氏は政治家への道、すなわち「世界一貧しい大統領」への道を歩みはじめます。
新人議員の頃の映像では、自宅から国会までノーネクタイ、スクーターで出かけ、デニムジャケット姿で公務にあたっています。
2010年3月、第40代ウルグアイ大統領に就任すると、宣誓陳述書に挙げた個人資産は、およそ18万円の中古のドイツ車1台のみでした。給料の約9割を社会福祉のために寄付し、残る1割、わずか10万円ほどで暮らしていたといいます。やがて世界中のメディアが、彼を「世界一貧しい大統領」と取り上げるようになりました。
(「世界一貧しい大統領」と呼ばれてきたことをどう思うか、と聞かれて)
「私は、みんな豊かさというものを勘違いしていると思うんだよ。大統領は”王家のような生活””皇帝のような生活”をしなければと思い込んでいるようでね。私はそうは思わないんだ。大統領というのは多数派が選ぶのだから、多数の人と同じ生活をしなければいけないんだ。国民の生活レベルが上がれば自分もちょっと上げる、少数派じゃいけないんだ」
国を治める者の生活は、その国の平均でなければならない。それが、命を張って権力の腐敗と闘ってきた男の覚悟であり、信念でした。
自分を厳しく律する一方で、人への優しさを感じさせる逸話も世界を駆けめぐりました。道端で途方に暮れていた男性のヒッチハイクに応じたのが、大統領その人だったのです。
大統領時代、テレビの生放送中に、突然ホームレスから金をねだられたときのやり取りも知られています。
ホームレス)汚いコイン1枚でいいんだ。
ムヒカ大統領)兄弟、コインはないなあ。泣くんじゃない。ほら、頑張るんだぞ。
ホームレス)ずっと大統領でいてくれよ。
ムヒカ大統領)やだやだ!御免だよ!帽子を回してお金を集めよう。
厳しさと優しさ、そして「人間の幸せとは何か」を考える哲学と行動がそこにありました。その集大成が、伝説となったスピーチです。
「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっとと欲しがることである。ハイパー消費社会を続けるためには、商品の寿命を縮めて、できるだけ多く売らなければなりません。10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです。長持ちする電球は作ってはいけないのです。もっと働くため、もっと売るための使い捨て社会なのです。私たちは発展するために生まれてきたわけではありません。幸せになるために地球にやって来たのです」
そしてムヒカ氏は、日本について語りはじめました。「日本人は魂を失った」と。
「日本人が失った魂」とは
2015年3月1日、後任の新大統領就任式でも、彼の頑固さは健在でした。新大統領にたすきを渡すセレモニーで、ムヒカ氏の首にネクタイはありません。そのわけを、彼は日本を例にこう語ったことがあります。
(2014年・キューバ・ハバナにて)
「我々もイギリス紳士のような服装をしなければならない。それが世界中に強制されたものだからです。日本人ですら信用を得るために着物を放棄しなければならなかった。みんながネクタイを締めて変装しなければならなくなった」
彼にとってネクタイとは、欧米の価値観一色に塗りつぶされた世界の象徴でした。その哲学の根底には、日本への尊敬の念と、日本の歴史への深い理解がありました。
「ペリー提督が、まだ扉を閉ざしていたころの日本を訪れた時の話さ。当時の日本は『西洋人は泥棒』って思っていた時代だね。あながち間違いではなかったけど。賢い政策で対応したとは思うよ。西洋にある進んだ技術に対抗できないことを認め、彼らに勝る技術をつくろうと頑張ったんだ。そしてそれを成し遂げてしまった……。実際にね。でもそのとき、日本人は魂を失った」
日本人が失った魂とは、何のことなのでしょうか。
「人間は必要なものを得るために、頑張らなきゃいけないときもある。けれど、必要以上のモノはいらない。幸せな人生を送るには、重荷を背負ってはならないと思うんだ。長旅を始めるときと同じさ。長い旅に出るときに、50kgのリュックを背負っていたら、たとえいろんなモノが入っていても、歩くことはできない。よく分からないけど、100年前 150年前の日本人は、私と同意見だったと思うよ。今の日本人は賛成じゃないかもしれないけどね」
多くのモノを持たず、それ以上を望まなかったかつての日本人。「足るを知る」を美徳とした文化は、いつしか手のひらからこぼれ落ちてしまったのかもしれません。
(今の日本をどう考えるか、と聞かれて)
「産業社会に振り回されていると思うよ。すごい進歩を遂げた国だとは思う。だけど本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。西洋の悪いところをマネして、日本の性質を忘れてしまったんだと思う。日本文化の根源をね。幸せとは、物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは、人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは、生き物なんだ」
物は人を幸せにはしてくれない。だからこそ自分はこんな暮らしをしている、とムヒカ氏は語りました。
「私はシンプルなんだよ。無駄遣いしたり、いろんな物を買い込むのが好きじゃないんだ。その方が、時間が残ると思うから。もっと自由だからだよ。なぜ自由か……?あまり消費しないことで、大量に購入した物の支払いに追われ、必死に仕事をする必要がないからさ。根本的な問題は、君が何かを買う時、お金で買っているわけではないということさ。そのお金を得るために使った『時間』で買っているんだよ。請求書やクレジットカードローンなどを支払うために働く必要があるのなら、それは自由ではないんだ」
幸せに暮らすため、自由でいるために、みんなが物を欲しがらない暮らし。この現代に、本当にそんなことが可能なのでしょうか。
(その世界は実現可能だと思うか、と聞かれて)
「とても難しいね。君が日本を変えることはできない。でも、自分の考え方を変えることはできるんだよ。世の中に惑わされずに、自分をコントロールすることはできる。分かってくれるかな?君のように若い人は、恋するための時間が必要なんだ。子供ができたら、子供と過ごす時間が必要だし、友達がいたら、友達と過ごす時間が必要なんだ。働いて働いて働いて、職場との往復を続けていたら、いつの間にか老人になって、唯一できたことは、請求書を払うこと。若さを奪われてはいけないよ。ちょっとずつ使いなさい。そう、まるで素晴らしいものを味わうように……。生きることにまっしぐらに」
自らの体で闘い、導き出した信念だからこそ、引き込まれるような言葉が生まれます。
ムヒカ氏が語った夢
放送当時、ムヒカ氏が語っていた夢は「ウルグアイの子供たちを育てること」でした。自らの土地に農業学校を建て、子供たちに花の栽培などを教えたいと話していました。かつて日本人の先達が、ムヒカ少年に生きる術を教えたように。番組で映された子供たちは、その学びの場に通う生徒たちでした。
(学校をつくることは一つの夢だったと思うが、この先の夢や目標はあるか、と聞かれて)
「私がいなくなったときに、他の人の運命を変えるような若い子たちが残るように貢献したいんだ。本当のリーダーとは、多くの事柄を成し遂げる人ではなく、自分をはるかに超えるような人材を残す人だと思うから」
ムヒカ氏は2020年10月、高齢などを理由に政界からの引退を表明し、その後は首都モンテビデオ郊外の農園で暮らしていました。そして2025年5月13日、89歳で死去しました。彼が若者に託したこの言葉は、いまも国を越えて読み継がれています。(S.A)
(了)
文責:ライターズラボ編集部(2026年05月30日(土)06:49執筆)
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