★林家正蔵(七代目)プロフィール

林家正蔵(七代目)


人間製造
あんま小僧(按摩小僧)
若旦那
湯屋番

プロフィール

初代林家三平の父 7代目 林家正蔵
1894年3月31日生まれ。本名海老名竹三郎。
元々は素人の天狗連。1919年1月に初代柳家三語楼に入門してプロとなり、柳家三平を名乗る。
1924年3月に7代目柳家小三治襲名し真打昇進。

師匠三語楼が東京落語協会(現落語協会)を脱会したため、協会側の4代目柳家小さん一門から「(小三治の)名前を返せ」と詰め寄られ、そうこうしている間に遂に8代目小三治が出現。

結局5代目柳亭左楽を仲立ちとして6代目遺族から名跡を譲り受け、1930年2月に7代目正蔵を襲名して事態を収拾。
日本芸術協会(現落語芸術協会)初代理事長を務める。
のち東宝に移籍。東宝名人会の専属になる。

落とし話を得意とし、時事感覚に長けたギャグの達人であり、実子・初代林家三平の決めゼリフ「どうもすみません」や、額にゲンコツをかざす仕草(9代目もやる)も元来は7代目が高座で客いじりに使用したもの。

怪談噺・芝居噺を得意とする歴代正蔵の中にあって、爆笑落語を通した異端児であった。
また極度の近眼であった、普段生活ではメガネが欠かさなかった。

1949年、興行で青森県に行き、現地の風土病に罹患。
それが元で1949年10月26日下谷病院にて死去。享年56。
墓所は足立区常福寺。戒名は正恵院釈讃良意居士。

9代目林家正蔵は孫にあたる。
弟子に治助(のちの7代目橘家圓蔵)、柳家富士朗、柳家三太楼(現:紙切り師林家今丸の実父)、7代目春風亭小柳枝、三遊亭市馬(「ロセンの市馬」)等がいた。

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