アメリカ 脱獄王の真実 IQ160 4度の脱獄 奇想天外な脱獄の手口とは!?
スティーブン・ラッセル Steven Jay Russell
アメリカ・テキサス州、ポランスキー刑務所。ここに、アメリカ史上最強の脱獄王がいます。スティーブン・ラッセル、現在58歳。
彼はこれまで、4度の脱獄に成功しています。
”どんな刑務所にも弱点はある。必ず脱獄できるんだ。”と豪語するスティーブン・ラッセル。
それは、どんな方法だったのでしょうか?
最初の逮捕
1978年、アメリカ・ノースカロライナ州。
スティーブンは、当時、イケメンの警察官でした。
2年前に、警察署長の秘書と結婚し、娘もいました。
誰の目にも、順風満帆な人生に見えた彼には、ある秘密がありました。
実は彼には、愛人がいました。
その相手は、ジェームス・ケンペルという男性でした。
子どもの頃から、なんとなく男性が好きでした。
愛人のために、いくらでもお金を使ううちに、カードの返済が滞るほどになりました。
すると彼は、わざとビルの床を濡らし、転んで怪我をし、保険金として4万5千ドルを受け取りました。いわゆる保険金詐欺。
警察官としての経験が犯罪に役立ったのです。
そんな詐欺を繰り返していた時、愛人のジェームスがHIVを発症し、既に末期の状態に。
愛する人のために、警察を辞め、妻と離婚、毎日付きっきりで看病しました。
しかし、そんな日々も長くは続かず、スティーブンは、保険金詐欺の容疑で逮捕。
裁判の結果、懲役6ヶ月の判決に。
恋人がいつ死ぬかわからない状況に、なんとか早く出たいスティーブンは脱獄を決意!
脱獄の方法を模索
しかし、刑務所の壁は高く、簡単には登れない。
しかも、ライフル銃をもった警備兵が。
スティーブンは、看守の動きを毎日観察しました。
すると、看守がタバコを吸いに外に行くとき、誰もいなくなることが判明。
その日から、看守がタバコ休憩の隙に、看守の部屋を物色するように……
なにか、脱獄に役立つものはないか?
しかし、道具なんてない……
その間に手に入れたものと言えば、女性物の洋服。
実は、男女の監房は別棟に分けられていましたが、収監の手続きだけは同じ建物でした。
女性の囚人が着替える時に置きっぱなしにしてあった服を盗んだスティーブン。
こうしている間にも、病気はひどくなる……
そして、ついに、脱獄の方法が!
最初の脱獄
外に通じる扉を見ていると……
刑事が無線機でノックをすると、扉が開いた。
看守は、顔ではなく、無線機を見ていたのです。
これしかない……
1993年5月13日、いつものように看守のタバコ休憩を確認すると、スティーブンは動きました。
無線機を奪い、女性物の服を着て扉へ。
無線機でノックすると、看守が扉を開きました。
ご苦労さんと言って通り過ぎようとすると、ちょっと待て!と呼び止められました。
どうかした?と振り向くと、囚人を刺激する服は、今後やめてほしいと言う看守。
悪かったと謝って、そのまま外に出るスティーブン。
こうして、脱獄に成功!
そのままジェームスの元へ直行。
しかし、脱獄から1週間後、恋人といるところ、あっけなく逮捕。
その3週間後、恋人は亡くなってしまいました。
二度目の逮捕
脱獄から2年後の1995年12月。
出所したスティーブンは、医療コンサルタントの一流会社に就職していました。
しかも、年収8万5千ドル(約850万円)の重役として。
前科者の彼が、なぜこんな職につけたのでしょうか?
その手口とは……
詐欺と脱獄の罪で懲役3年となったスティーブン。
19ヶ月服役したところで仮出所。
するとすぐに、新聞に架空の会社の求人広告を出し、送られてきた大量の履歴書の中から、使えるフレーズを引用し、完璧な履歴書をでっちあげました。
誰もが羨む大企業にでたらめの履歴書を送り、面接を受け、前の会社の人事部の担当に連絡をとりたいと言われると、自宅の電話を教え、留守電にかけさせ、折り返し担当者として電話し、その場を切り抜け、大企業の経理部門のトップに。
その後彼は、豪邸に引越し、新たな恋人、フィリップ・モリスと同棲を開始。
経理部門のトップとして、会社の金を横領し、80万ドル(約8千万円)を懐に入れ、贅沢三昧の日々。
しかし、すぐに横領の容疑で逮捕。
なぜか、恋人のフィリップも共犯で逮捕されました。
二度目の脱獄
何も知らなかったのに共犯にされたフィリップは刑務所内でスティーブンに激怒。
「落ち着け、起訴されても金さえ払えば仮釈放だ」
実は、逮捕の直前に金を引き出し、保釈金の用意をしていたのです。
裁判で、フィリップの保釈金は4万ドル(約400万円)。
その金は十分にありました。
スティーブンの裁判では、保釈金が90万ドル
(約9000万円)で、そんな金はありませんでした。
このままでは、自分だけ出られない……
再び脱獄を決意するスティーブン。
必死に保釈金の用紙を暗記します。
文字の大きさサインの形まで、隅から隅まで。
保釈指示書のひな型を、忘れないうちに一気に書きあげ、友人に郵送し、パソコンで打ち込んでもらいました。
こうして作られた偽の保釈指示書には、保釈金が4万5千ドル(約450万円)になっていました。
そして、裁判で裁判所に来たときに床にわざと落とし、事務員にそれを拾わせ、判事になりすまして電話し、偽の指示書の金額をコンピューターに入力するよう指示、保釈金を大幅に引き下げることに成功したのです。
そして、見事に2度目の脱獄に成功しました。
再び恋人の待つ豪邸に帰ってきたのです。
しかし、次の日、書類の偽造が発覚、恋人と一緒にいたスティーブンは、再び逮捕され、今度は懲役45年を言い渡されました。
三度目の脱獄
スティーブンは、厳重なエステルユニット刑務所へ。
電器フェンスに監視カメラ、完全武装の警備兵、テキサス州で最もセキュリティレベルが高い刑務所。
愛するフィリップと一緒にいたいと願う彼は、ここに来たときから脱獄を決めていました。
スティーブンは、囚人対象の美術講座の受講を申し込みました。
何でも描きたいものを描いてと言われ、彼が描いたのは木でした。
4ヶ月たっても、彼は木や草を描き続けました。
彼が緑のペンばかり使うので、すぐに緑のペンがなくなることを刑務官たちは気づいていましたが、問題視することなく、彼に緑のペンをたくさん買い与えました。
彼は緑のペンをベッドの下に隠し、その数は110本に。
いよいよ行動に移すスティーブン。
溜めた水の中に、緑のペンの中のインクを全て入れ、緑色になった水の中に、余分に手に入れた囚人服を浸しました。
すると、囚人服は、緑色の医療スタッフの制服に。
この刑務所を自由に出入りしているのは、刑務官と医療スタッフだけ。
脱獄決行当日、スティーブンは医療スタッフに化け、急患が運ばれてきたから早く開けてくれと看守に言い、相手に考える暇を与えず外へ。
疑われることなく、次々と扉を通過。
そして、3度目の脱獄に成功!
このとんでもない脱獄は全米でも話題となり、1996年12月15日の新聞には、「囚人服を緑に染めて脱獄」
再び恋人の待つ家に戻ったスティーブン。
その後二人は一緒に逃亡し、指名手配に。
またも簡単に逮捕され、二人別々の刑務所に。
スティーブンが死んだ!?
7ヶ月後、フィリップにとんでもない知らせが。
弁護士が見せてくれたスティーブンの医療記録に、HIVに感染とありました。
日に日に痩せて行く身体。
スティーブンは病院に送られました。
その病院で、HIV感染治療の専門家から治験のオファーが来ていると告げられ、了承し、ヒューストンの病院へ転院することに。
しかし、しばらくして、フィリップのもとに、スティーブンが死んだとの連絡が。
愛する人が死んだなんて信じられない、頭が整理できないまま、話を聞くために担当弁護士のもとへ行くと……
「フィリップ君だね、初めまして」と話しかけてきたのは、死んだはずのスティーブン。
どうして、死んだはずの彼が弁護士に!?
四度目の脱獄
脱獄ばかり考えていたスティーブンは、治験対象の病気になろうと考えました。
選んだのは、HIV感染症。
手始めに、食事の量を減らし、下剤で無理やり体重を落とす。
カルテを偽造し、検査結果を差し替えました。
看守の見ている前で、頭痛や吐き気など、本にあったHIV感染症の症状を真似ました。
そして、治療のため病院に入院すると、大きな病院に電話をしまくりました。
HIV感染症の治験を引き受けてくれるところを見つけるためでした。
今度は、自分が入院している病院に、治験者を探していると電話をしました。
こうして、両方になりすまして転院し、移送中に抜け出して、両方の病院に、容体が急変して自分が死んだと報告しました。
その後、愛するフィリップを助ける為、弁護士に変装してやってきたのです。
しかし、すぐに弁護士ライセンスの偽造で足がつき、再び逮捕されました。
四度の脱獄を重要視され、懲役144年の刑を言い渡されたスティーブン。
脱獄の意志があるかインタビューされると、今はもう考えていないと告白。
恋人のフィリップと別れ、脱獄の理由がなくなったのだそうです。
もっと早くに別れてたら良かったかも!?
この頭の良さ、もったいなかったですね。(S.A.)
映画にもなりました
[出典:2015年8月12日(水)放送「ザ!世界仰天ニュース」]
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