第30話:(2023年8月6日)
羽柴秀吉は、脅威となった明智光秀を討つことで大きな影響力を獲得しました。
物語は、織田信長の死後、11日目に彼が光秀を討つ様子から始まります。
秀吉はその時点で毛利との戦いの真っ最中にあったのですが、信長が亡くなったとの報告を受けると、速やかに毛利との和平を結び、兵を率いて京都に向かい、光秀を討ちました。
秀吉は、この行動によってその地位を一気に向上させ、2歳の三法師(信長の孫)を織田家の新たな当主に指名しました。そして織田家の利益を名目に、信長の次男信雄と三男信孝を政権から追い落としました。
時は流れ、1582年6月27日(天正10年)、清須会議が開催されました。この会議で、未成年の三法師が成人するまでは、秀吉、柴田勝家、丹波長秀、池田恒興の四人が共同で政治を行うことが決定されました。また、信長の娘であるお市が勝家の正室となることも決まりました。
家康は秀吉からの書状でこの情報を得ると、しっかりと情勢を見定めて行動することを決めました。一方、家康の家臣たちの中には、早く行動すれば徳川が光秀を討てていたのにと不満を持つ者もいました。家康は彼らに対し、「わしはいずれ必ず天下を取る。だが、急いではいかん。我々が今やることは、揺るぎない力をつけることだ」と語り、自分の長期的な計画を示しました。
信長の死後、甲斐、信濃、上野の三国は一時的にリーダーシップを失っていました。真田がこれを狙っており、家康もまたこれらの国々を獲得するために行動を開始します。しかし、家康の計画は、北条氏政・氏直親子によって妨げられます。北条氏は関東最大の小田原を本拠地とし、広大な領地を持つ強大な勢力でした。
一方、羽柴秀吉と柴田勝家の間で争いが勃発します。原因は、秀吉が信長の息子二人を政権から排除したことと、勝家が信長の孫・三法師と三男・信孝を擁して天下を治めようとしたことにあります。その結果、信長の息子二人は秀吉と勝家の戦いの道具となりました。
そして、家康にとって衝撃的な出来事が起こります。彼の信頼する家臣、柴田勝家が自害し、その妻であり信長の娘であったお市もまた自害するという悲劇です。家康は自身の手で助けることができなかった勝家とお市の死に深い悔いを抱きつつも、自身の目指す未来に向かって進んで行きます。
「どうする家康」は、このように戦国時代の激動の時代を描いています。主人公家康の賢明さと決断力、そして時代の流れを読む洞察力が、どのようにして彼を最終的に日本統一へと導いたのかを描いた、見ごたえのある作品です。
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