『どうする家康』第46話:大阪冬の陣/ネタバレ・あらすじ

どうする家康
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第46話:大阪冬の陣(2023年12月03日)

大坂の陰謀と天下の動乱

待望の平和か、新たな戦乱か

江戸時代の黎明期、日本の政治舞台は緊迫の糸で結ばれていました。幕府の実力者でありながら隠居を装う徳川家康は、大阪の地で力を蓄える豊臣秀頼に目を光らせており、穏やかな時代の夜明けか、それとも暴風が先かを見極めていました。

神聖な鐘の不穏な音色

家康の耳に、ある日突如として不吉な報告が届けられます。方広寺で祝されるべき大仏開眼供養の前夜、その巨大な鐘に刻まれた文字が波紋を呼んでいたのです。

「……鐘に何と?」家康は本多正純からの報告に顔をしかめました。

「御名をもじり、呪詛に近い言葉を刻んでおります」との報告。徳川を嘲笑い、豊臣の永続を願うかの如き文言に、家康の怒りは天を衝くことでしょう。

家康の苦悩と対応策

豊臣家は、この非難に対し口実と否定を繰り返しました。悩む家康のもとに、片桐且元が豊臣秀頼の意向を伝える役目を負います。「鐘を砕き、大坂を去れ」という厳命が下されたのです。

「戦を望むのか!」と、大野治長は憤りを隠せずにいます。豊臣家内部では、この要求が片桐の家康への通謀ではないかとの疑惑まで生まれつつありました。

決断の時、そして大坂の冬

徳川と豊臣、双方の間に和平の余地はなくなりつつあります。「全てを賭けて戦う」という家康の決意は固いものでしたが、心の片隅には孫娘・千姫への心配がありました。家康は正信と共に、甲冑を前に戦の是非を語り合います。

「我々の戦は名誉を汚すものとなるだろう… 汚れは私一人で充分」と、家康は苦悩しつつも覚悟を決めていました。

炎上する大坂、そして歴史の狭間で

慶長19年の冬、大坂冬の陣が勃発。徳川の軍は大坂城に迫り、猛将真田の陣地を目指しましたが、真田の策に翻弄され大きな損害を被ります。

「また真田か……」家康の嘆息が、冬の空に響き渡ります。しかし彼は和睦を選択し、大砲による圧倒的な力を見せつけることで、豊臣側に譲歩を促そうとしました。この冬の陣は、やがて日本の未来を左右する重大な転機となるのでした。

まとめ

御所柿は独り熟して落ちにけり木の下に居て拾う秀頼

江時代の日本を背景に、権力と政略が複雑に絡み合った戦国の終焉を描く物語が、一つの狂歌から始まりました。それは、豊臣秀頼の時代が近いという民衆の間で広まる言い伝えでした。この狂歌は、時の権力者である徳川家康と若き豊臣秀頼の間の権力闘争を象徴していました。

この緊張感のある時代に、大仏の巨鐘に隠された呪詛のような銘が発見され、これが家康のもとで大きな問題となります。銘には、「国家安康 君臣豊楽」と刻まれ、これを豊臣の挑戦と捉えた家康は、慎重に対応を協議します。家康の側近たちは、この問題に頭を悩ませますが、同時に豊臣家内の緊張も高まっていました。

豊臣家の家老、片桐且元は秀頼に、徳川からの退去要求や国替えの脅迫を伝え、豊臣家の怒りを買います。豊臣家の一員である大野治長は、予想していた事態を利用して徳川への対立を煽ります。

両家の対立は避けられず、大坂では戦いの気運が高まります。家康は、家族を守るため、そして徳川家の名誉のために自らが戦争の汚名を被ることを決意します。そのために、彼は家康が自ら薬を調合し、若き武将たちを導く役割を果たしていました。

やがて「大阪冬の陣」が勃発し、徳川勢は20万の大軍をもって大阪城に迫ります。しかし、豊臣側も意地を見せ、特に真田信繫は真田丸を構築して徳川勢の攻撃に備えます。戦いは熾烈を極め、徳川家康は和睦を試みますが、豊臣側はこれを拒否します。

最終的に、家康はイギリスからの大砲を駆使し、圧倒的な武力を示して大阪城に圧力を加えます。この力の差を見せつけることで、戦いに終止符を打つことを画策したのでした。

このように、家康と秀頼の間の知恵と力の駆け引きは、戦国時代の終わりとともに新たな時代への幕開けを予感させるものでした。歴史の一コマを飾るこの物語は、権力の移り変わりと、人々の生きざまを鮮やかに描いています。


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