山崎育三郎 誰にも言えなかった真実を語る 恩師に感謝の涙
少年野球で全国ベスト8「山崎育三郎」
山崎育三郎さんは、1986年東京都港区に生まれ、中学1年生でミュージカル主演デビュー。
その後、トップミュージカル俳優として、「レ・ミゼラブル」や「モーツァルト!」など、数々の舞台で活躍。
2015年に放送された「下町ロケット」でも、迫真の演技が話題に!
そんな話題の山崎さんが、今何をしているのか気になるのは、子役デビューをする前に所属していた少年野球のチームメイト。
3年生の頃から、歌と野球を両立していたそうで、野球は「全国ベスト8」まで行きました。
「西武球場で投げました」「ずーっとレギュラーです」
野球をやっていたことは今まで隠していて、今回初めてテレビで言いました。
4番バッターの原くん(はらっち)のその後は?
4番バッターは、原くん(はらっち)。
原くんは、結構体格が良くてぽっちゃり、ぼけーっとしているキャラでした。
山崎さんは「(原くんは)野球をやったほうがいいんじゃないか?」と思い、チームにスカウトしました。
「おとなしくて太ってるけど、野球やったら化けるんじゃないか?」
最初は打てなかったのが、6年生で体が締り、バンバン ホームランを打つようになりました。
勉強もすごく出来る子で、その後野球を続けたかはわかりません。
「なんか、東大に行ったってウワサがある」
山崎さんの予想は、「野球を辞めてサラリーマンをしている」
はらっちに会いにアメリカへ
山崎さんのお母さんの情報によれば、「アメリカのサンディエゴにいらっしゃると聞いたことがあります」とのこと。
そこで、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴへ。
サンディエゴは、西海岸に位置するアメリカ屈指の観光地。
サンディエゴの人口は約137万人。
IT企業などが集まるビジネス街もあり、世界最先端の街としても知られています。
「はらっち、サンディエゴで何してるんだろう?」(山崎)
はらっちに指定されて、スタッフが到着したのは謎の施設……。
そして、はらっちと対面!
日本から約10時間、本当にサンディエゴにいました。
小学校卒業から18年、サンディエゴで何をしているのでしょうか?
「ここが僕の職場です」と案内された場所は、研究室のよう。
「私は今、ここアメリカで、研究者としてガンの基礎研究をしています」
「うっそー!?」(驚く山崎さん)
彼の研究とは、ガンの弱点を見つけて新しい治療薬とか治療法などの開発につなげるような研究だそうです。
成績優秀な4番バッター「はらっち」は、アメリカでガンの研究者になっていました。
はらっちは、山崎さんと共に港区立高輪台小学校を卒業後、国学院大学久我山中学高等学校へ進学。
その後、国立大阪大学薬学部に現役合格。
親族をガンで亡くしたことから、一人でも多くのガン患者を救いたいという思いで、東京大学大学院でガンの研究を行ない、27歳の時に、現在の職場「ソーク研究所」へ!
「ソーク研究所」は、生物医学系の研究を行う研究機関で、世界中から優秀な研究員が集まっています。
今は、妻・まり子さんと家庭を持っています。
二人の出会いは東大の大学院、共に研究に没頭し、博士課程修了後に結婚!
はらっちに話を聞くと……
「当時、内向的でそんなにスポーツとかも好きじゃなかったんですけど、いっくん(山崎さん)に休み時間ごとに毎日のようにしつこく勧誘されて、1回くらい行くかとなって「高輪クラブ」に入ることになりました」
野球のおかげで自分に自信が持てたそうです。
小学校6年生の学芸会で、「人間になりたがった猫」という舞台をやり、当時から音楽をやっていた「いっくん(山崎さん)」が主役に。
舞台は大成功で、幕が閉まるときに、いっくんだけが一人だけ、感動して泣き始めました。
それを見て、みなさんが泣いたりして、感動を与えていたのが印象深いそうです。
というわけで、成績優秀な4番バッター「はらっち」は、アメリカ・サンディエゴにで研究員になり、美人な奥様と幸せな生活を送っていました。
本多3兄弟の「けんけん」のその後は?
次に会いたいのは「けんけん」。
本多3兄弟は、山崎さんの1歳上がお兄ちゃん、1歳下がけんけん、4歳下がしょうへい。
山崎さんも男4人兄弟で、次男と山崎さんと弟がチームに入っていました。
兄弟みんなで遊んでいました。
けんけんの家は、山崎さんの自宅から10秒くらいのところにレストランを経営。
そこで毎週土曜日は、ランチを食べに行きました。
けんけんのお父さんがご飯を作ってくれて、野球のコーチもしていました。
けんけんのお父さんは、結構厳しいコーチで、だらだらしてるとグローブを投げつけて「帰れ!」「やる気ないんだったら帰れ!!」とすごく怖かったそうです。
けんけんは、ニコニコしていてムードメーカーだったので、山崎さんの予想は「接客業」をしている……。
けんけんと鬼コーチに再会
「けんけん」こと本多研介さんに連絡をとったところ、東京・恵比寿で働いているとのこと。
スタッフが会いにいくと、昔とあまり変わっていませんでした。
19年後の今、何をしているのでしょうか?
けんけんは、イタリアンの料理人になっていました。
けんけんは、1999年港区高輪台小学校を卒業後、港区立高松中学校でも野球浸けの日々。
そして、東京都立蒲田高校を卒業後、レストランを経営していた父親の影響もあり、調理専門学校へ。
その後、料理人として結婚式場で働いたのち、恵比寿のイタリアンレストランへ。
そんなけんけんの夢は、自分の店を持つこと。
その目標に近付くため、現在は別の店に修業の場を移し、日々奮闘しています。
山崎さんの会わせたい人がいるとのことで、ついていくと、奥さんがいました。
けんけんは、職場で知り合った1歳年上のまどかさんと、3年の交際を経て昨年結婚!
そしてけんけんに電話があり、けんけんのお父さん・本多卓司さんが来ました。
山崎さんのVTRにあった「グローブを投げつけられた」というエピソードを見て、「今となっては時効じゃないですか」と鬼コーチ・卓司さん。
「(野球が)強くなってほしいから」という想いがあったそうです。
「育三郎、昔のことは許してくれ!!」(卓司さん)
というわけで、鬼コーチの息子「けんけん」は、お父さんと同じ料理人の道を選び、鬼コーチのお父さんは、優しくなっていました。
18年間後悔し続けた出来事の意外な真相!!
山崎さんがスタッフとの打ち合わせの時に、「あの時の真相を知りたい」と言っていた「ある出来事」について調べてきました。
全国大会ベスト8の試合の時、エースピッチャーの「だいちゃん」ではなく、何故か監督が「ピッチャー 育三郎!!」と言われました。
それまでずっとキャッチャーをやっていたという山崎さん。
「だいちゃんも、もちろん投げたかったし……」
西武球場で投げられたという嬉しさもあったのですが、「俺が投げたせいで負けたんですよ」
「ベスト8で終わっちゃった」
「何で俺にしたのか分からないし、だいちゃんは悔しかったから泣いてたと思うし……」
山崎さんが知りたいのは、「監督が何故、重要な試合で僕に投げさせたのか?」
山崎さんは、エースのだいちゃんが今まで投げてきて、ずっと勝ってきたのに、自分が投げたせいで負けてしまって、「だいちゃんに申し訳ない気持ち」を今までずっと持ち続けてきたのでした。
「だいちゃんは泣いてました。僕も泣いてたんですけど、みんな泣いちゃって……」
結局、その試合がチームとしての最後の試合になったので、18年間、聞けないままでした。
佐々木監督がピッチャーを交代した理由
佐々木監督は、今も高輪クラブの監督をしていて、34~35年になるそうです。
高輪クラブは、山崎さんの卒業以降、港区の代表として都大会に多数回出場しています。
それでは、本題、「佐々木監督がピッチャーを交代した理由」とは?
山崎さんのエピソードVTRを見て、「覚えてるよ!!」(佐々木監督)
佐々木監督の話
「(試合直前の)練習の時間に、ピッチャーやってる子供が鼻血を出して……。やっぱり、鼻血を出すと動揺するんで……。それで、山崎にスイッチしたという考えもある」
実は、試合直前の練習でエースが鼻血を出したのを見て、佐々木監督は交代を決意したのです。
では、なぜキャッチャーの山崎さんをピッチャーに選んだのでしょうか?
スタッフ)代わりは山崎さんしかいないと?
佐々木監督)いない!!
スタッフ)それは何故でしょうか?
佐々木監督)やっぱり信頼を持っているから。
スタッフ)ピッチャーとしての腕を認めていたということですね?
佐々木監督)そうですね。
スタッフ)自分のせいで負けてしまったと言ってましたけど、いかがですか?
佐々木監督)そんなんじゃない、大丈夫。自信を持って、気にしないで良いと。負ければ監督の采配、勝てば子供。そういうクラブチームなんで。
スタッフ)そのときに山崎さんを選ばれたことに今も後悔は?
佐々木監督)後悔してない。良い経験だと思う。
野球の大会の後に受けたミュージカルの主役オーディションに合格したとき、監督に「野球とミュージカルどっちを取るんだ?両立は出来ないぞ」と言われ、泣く泣く野球人生をそこで止め、中学から子役としてミュージカルのステージに立ち始めた山崎さん。
そのエピソードVTRを見た佐々木監督の話
スタッフ)その話を聞いた時はどう思われました?
佐々木監督)うーん……野球やってほしかったね。(野球の)センスがあった。でも、子供の人生だし、そこまでは責任持てないんで、今となっては良かったなって感じはするね。
スタッフ)その時、監督からかけてあげた言葉は?
佐々木監督)頑張れって言うしかなかったね。頑張れって言ったと思う。
そんな佐々木監督から、最後に山崎さんへメッセージ。
「頑張って、みんなに好かれる芸能人になって!!」
というわけで、山崎さんをピッチャーにした理由は、「エースが鼻血を出すというアクシデントのためで、負けたことを後悔する必要はまったくない」とのことでした。
佐々木監督に対して、山崎さんの感謝の言葉>>>
「自分にとって、父親みたいな存在でもあるっていうか……。僕の人格を初めて作ってくださった方なので、こうやっていまだに自分のことを覚えてくださっていたり、まだ67歳という年齢で現役で球場に立つ姿を見ると、いろんな思いが込み上げてきて、嬉しかったです」
[出典:2016年4月13日放送 あいつ今何してる?]
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