★林家彦六(八代目 林家正蔵)笠と赤い風車

林家彦六(八代目 林家正蔵)

浅草馬道にお豆腐屋さんの嘉吉(かきち)という店があった。夫婦の間に男の子が産まれた。喜んでいると3日目に産後の肥立ちが悪く、おかみさんは亡くなってしまった。水子を抱えてどうしようかと思案していたら、亡くなったおかみさんの妹でおせんが何くれと細やかに赤子の面倒を見てくれた。大家さんを始め周りの者も推め、それに従って後添いとした。おせんさんと嘉吉の間には子供が無く、男の子には常吉と名を付け幸せに暮らしていた。
常吉、多感な十五歳の時、「お前のおっ母さんは、継母で実の親が亡くなる前から、父親と付き合っていた。」と、まだ世間知らずの子供に吹き込んだ。ここで常吉は根性が曲がってしまい、二十歳の時には三道楽三昧をするほど落ちてしまった。それを苦にしながら嘉吉は亡くなってしまった。
母親のおせんが何をやっても、悪く悪く取って始末に負えなかった。所帯を持たせば落ち着くだろうと、遠縁の器量好しで気立ての良いお花を迎えたが、それにも難癖を付けた。
その頃町内でも有名な縛連崩れの悪女、おぎんと言う女が常吉に付いた。常吉は知らないが、おぎんには仙太というヒモが付いていた。
大家が訪ねてきて、無尽が満期になったお金と、生前嘉吉が預けておいた金、合わせて15両がある。6月10日法華講が身延に参詣に行くので、一緒に行こう、と誘われた。嘉吉の遺骨を収めに行きたい、と話はまとまり、大家が15両預かってくれた。
この話がおぎんの耳に入り、仙太と悪い相談が決まった。おぎんの口から常吉に伝え、親孝行の真似をしてお金を巻き上げろと悪知恵を与えた。親孝行の真似事をしていると、おせんもほだされ15両の一件を話し、身延に行く事を了承して欲しいと頼むと、遠いし大変だから自分が行くと言い出した。おせんも快く了承し、大家も最近の行いを見ていたので同行を許した。
10日が近づくと、おせんは15両を胴巻きに縫い込み、あれこれと旅立ちの用意をした。当日、菅笠には実の母親からの形見の赤い風車を縫い付けておいた。この赤い風車も母親だと思って、身延に収めて欲しいと持たせた。金が欲しいだけの常吉は気ィ良く持って出た。
一行は東海道の道を取り、初日、戸塚泊まり。常吉は一緒の宿には泊まらず、おぎんと逢って別の宿に投宿した。翌日二人は歩き始めたが赤い風車が気になったが、しっかり縫い付けられていたので取れず、茶店で置き忘れたように捨てた。小田原に宿を求めると、赤い風車が付いた笠が届いていた。茶店のお婆さんが届けたという。翌日、歩き始めてドブに笠を捨ててしまった。箱根にさしかかり、茶屋に腰を下ろすと、赤い風車を付けた笠が届いていた。品の良い2人の婦人が届けたという。さすがの常吉もゾーッとした。
箱根で宿を取ったが、酒を飲んでも気が晴れない。散歩をしようと宿の下駄を引っかけ真っ暗闇の中歩いていると、後ろから思いっ切り突き飛ばされて、谷川に転落。突き飛ばしたのはヒモの仙太で、金を懐におぎんと二人は箱根越えを始めた。
常吉は気が付いたら箱根の宿であった。聞くと、炭焼きが赤い物を見付け、谷川を下りると、川の中に倒れていた。笠が常吉を支えるようにして、水も飲まず怪我もせず助かった。笠はぐっしょり濡れて、その時の状況が見えるようだった。笠の中に母親の姿をだぶらせたが、その母親は継母のおせんの事であった。居ても立っても居られず、とって返して我が家に。
線香の煙の中、おせんは横たわっていた。お花が言うには、毎日手を合わせていたが、昨夜気が付くと、両手を上につきだして重いものを支えるような恰好で、水につかったようにぐっしょりと濡れて息絶えていた。
「おっ母さん、おっかさ~ん」と子供のように泣きじゃくる常吉の背中で、風車が風もないのに回りました。クルクル、クルクル、クルクル。

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