222マイケル・ジャクソン 死の謎 陰謀か?薬物依存か? 親友が語った衝撃の真実とは?
緊急取材!親友が語る、マイケル・ジャクソンの真実
キング・オブ・ポップ 「マイケル・ジャクソン」
マイケル・ジャクソンは、1963年、兄弟ユニット「ジャクソン5」でデビュー。
1982年に発売されたアルバム「スリラー」は、全世界で、1億5000枚以上の売り上げを記録。
生涯のアルバム、シングル、DVDなど、総売り上げ枚数は、推定7億5000万枚以上。
グラミー賞をはじめ、数々の賞を総なめにしてきました。
「人類史上、最も成功したエンターティナー」としてギネスに登録された、まさにキング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソン。
あの悲劇から7年……
”マイケル・ジャクソンが、およそ3時間前に死亡しました”
キング・オブ・ポップの突然の悲報に、世界中が震撼しました。
公表された死亡原因は、「医師の過失による麻酔薬プロポフォールの過剰投与」。
しかし、マイケルの死は、未だに多くの謎が残されていて、様々な説が飛び交っています。
陰謀なのか!?
薬物依存による、自らが招いた死なのか!?
今回、亡くなる1週間前にマイケルに会っていたという親友が、衝撃の新事実を告白!
彼が明かした、マイケル・ジャクソンの真実とは!?
いったいマイケルは、なぜ命を落としたのか?
謎に包まれた死の真相に迫ります!
マイケルの親友、マーク・レスター
イギリス・ロンドン郊外に、生前のマイケルをよく知る人物が住んでいます。
彼の名は、マーク・レスター、生前のマイケルの親友だった人物です。
1971年の映画「小さな恋のメロディー」に出演して大ブレイク。
今は俳優を辞め、ロンドン郊外で家族と共に暮らしています。
彼がマイケルに会ったのは、18、19歳の頃でした。
会った瞬間から、生涯親友のような感じでした。
以来彼とマイケルは親友で、家族ぐるみの付き合いをしてきました。
彼は、マイケルが亡くなる1週間前も会っていました。
緊急隊員の通話記録
2009年6月25日、マイケルは50歳の若さで急死し、世界に衝撃が走りました。
自宅で容体が急変したマイケルは、救急車が駆けつけた時には、すでに呼吸停止状態だったといいます。
実際に側近が救急車を呼んだ時の、貴重な通話記録が残されています。
隊員)救急です、どうしました?
側近)至急、救急車をよこしてください。
当時の救急隊員の証言……「2009年6月25日、ロサンゼルス消防局に通報が入りました。急病の男性はマイケル・ジャクソンだったのです」
側近)救助が必要な男性がいます!息がありません、蘇生をしても呼吸が戻りません。
通報したマイケルの側近によると、マイケルはベッドに横たわったまま、意識も呼吸も無かったため、蘇生処置を行ったが意識が戻らないのだといいます。
隊員)誰か診察した人は?
側近)専属の医師がいます。
隊員)そこに?
当時の救急隊員の証言……「マーレー医師は、全責任を負うと言いました。そうなると、我々は医師の指示に従うしかありません」
このとき、マイケルの側近だけでなく、マイケルの専属医師も側にいたのです。
隊員)男性に何があったのですか?
側近)知りません、医師が診ていました。マーレー先生、何があったんですか?
マーレー)……。
側近)とにかくどうか来てください。
隊員)急行中です。
マイケルの容体を聞かれたマーレー医師は、なぜか返答しようとしませんでした。
その後、病院で懸命な治療が続けられましたが、マイケルは還らぬ人に……。
10年ぶりにロンドンで開催される復帰公演直前の悲劇でした。
マーレー医師はいったい何者?
当時の救急隊員の証言……「なぜ担当医のマーレー医師は、直ちに通報しなかったのか大いに疑問です。生死を分けるのが最初の45分です。迅速な対応が救命の鉄則です」
あの時マーレー医師は、マイケルが昏睡状態になってから、30分も経過してから通報していたといいます。
当時の救急隊員の証言……「医師が30分も救急車を呼ばないなんて考えられません」
命を預かる者としてあるまじきミスを犯したマーレー医師とは、いったい何者なのでしょうか?
この事件に詳しい弁護士、スティーブン・マチャトが驚きの正体を明かす!
「マーレーはテキサスの医師だ。テキサスには、医療ミスの賠償金に上限を設定する法律がある」
”テキサス州の医師は、医療ミスに対する賠償金が他の州より安い”
マイケルの親友、マーク・レスター「マイケルの財力なら、本人の望む医師が雇えたはずだ」
しかしそうであれば、いったい誰が賠償金の安いマーレー医師を雇ったのか?
スティーブン・マチャト弁護士「マーレー医師を雇ったのは、ロンドン公演の主催者だ」
彼曰く、マーレー医師を雇ったのはロンドン公演の主催者で、雇い始めたのは、死のわずか11日前のことだったといいます。
そこで浮上する説が、「復帰公演の主催者陰謀説」
復帰公演の主催者陰謀説
世界が注目する、マイケル10年ぶりの復活ライブ・ロンドン公演。
マイケルは、そのリハーサルを長期に渡って行っていましたが、主催者側にある不可解な動きがあったといいます。
スティーブン・マチャト弁護士「リハーサルをかなり念入りに撮影していたのはおかしいね。リハーサルにいつ現れるか分からない気まぐれなマイケルに、クルーを待機させて撮影?何か特別な目的がない限り、時間と金の無駄だ」
彼曰く、「莫大な資金を投じてマイケルのリハーサルを撮影する、それには、何か儲かる保証がないと不自然だ」といいます。
アメリカのエンタメ情報に詳しい、芸能情報サイト主催者、ハーヴェイ・レヴィンによると……。
「マイケルの遺産は今後も増えていくよ。ビッグアーティストは死んだ方が儲かるから」
事実、このリハーサル映像を元に勢作された映画「THIS IS IT」は、興業収入290億円以上の大ヒット!
さらに、DVDの売り上げを含めると、莫大な利益になります。
スティーブン・マチャト弁護士「マイケルが死んで、リハーサルの映画化で儲けるのは誰か?私なら、あの会社を捜査するね」
「死んだ方がビッグビジネスに」、ゆえに、”主催者が医師を雇い犯行に及んだ説”を彼は唱えます。
しかし、マイケルの死にまつわる噂は、陰謀説だけではありません。
長年の薬物依存による事故説
マイケルの死因は、麻酔薬プロポフォールの過剰投与。
麻酔に詳しい専門医によると……。
グレゴリー・スミス医師「プロポフォールは強力な麻酔薬です。家庭で使用するケースはあり得ません。点滴で投与すれば、数秒で眠ります」
ジョン・ハーバート麻酔医「深い昏睡状態に入ります。意識が回復しない恐れもあります」
プロポフォールは、強力な睡眠効果がある、一般では決して手に入らない麻酔薬。
使用量を間違えると、心拍数低下、呼吸不全に陥り、死の危険があるといいます。
マイケルは、どこから入手したのでしょうか?
マーレー医師が、病院から無断で大量に持ち出したのでしょうか?
すると、医療関係に携わっていたマイケルの友人が、衝撃の事実を告白!
マイケルの友人、スーザン・イートック「要求されたのは、麻酔薬のプロポフォール。マイケル自ら薬を買いたいと持ち掛けてきたんです。50万ポンド(約8000万円)出すと言われました」
なんと、マイケル自らが大金を出して、強力な麻酔薬を違法に大量入手しようとしていたのです。
しかし、なぜ強力な麻酔薬が必要だったのでしょうか?
マイケルの親友、マーク・レスター「マイケルはいつも私に、睡眠障害で苦しんでいると言っていた。一番の原因はストレス。マスコミに様々な事を書かれてすごく傷ついていたんだ」
輝かしい栄光の裏に、マイケルは数々のゴシップに悩まされていました。
【整形疑惑】【幼児虐待の容疑】
世界中に配信された映像がきっかけで、幼児虐待の容疑をかけられることに。
親友のマークはこの時、部屋の中にいたといいます。
マイケルの親友、マーク・レスター「実はあの時、私は部屋の中にいました。彼は全世界のファンに、生まれた子を紹介したかっただけなんです。彼もしっかり赤ん坊を抱いていたし、非難されたような危険はなかったんです。でも、翌日、新聞やテレビで、別の意図で取り上げられたのです」
その後もマイケルは、少年への性的虐待疑惑などをかけられ、何年もの間、裁判を続けました。
マイケルの親友、マーク・レスター「無実なのに裁判の行方次第では、冤罪だって起こりうる。3ヶ月間毎日出廷したストレスで、マイケルはやつれ、生気を失ってしまった。マイケルにとってあの裁判は、生涯で最悪の出来事で、心身共に深く傷ついたんだ」
全ての裁判においてマイケルは無罪という結果を勝ち取ったが。この間にかなりのストレスで不眠症に陥ってしまい、強力な睡眠薬に頼らざるを得なかったといいます。
マイケルの人生を変えた衝撃の大事故
精神的なストレスから、睡眠薬に依存してしまったマイケル。
さらに、マイケルの人生を変えた衝撃の事故が発覚!
マイケルの親友、マーク・レスター「あの事故がなければ、マイケルは生きていたかもしれない」
あまり知られていない、マイケルの人生を変えた衝撃の大事故とは?
それは、今から32年前、CM撮影の登場シーンで起きました。
【Michael Jackson’s – Pepsi Commercial Accident in 1984】
マイケルの背後で爆発する花火の火の粉が、髪の毛に燃え移り、それが瞬く間に頭全体へと燃え広がってしまったのです。
マイケルはこの事故で、外科手術が必要なほどの重度の火傷を頭皮に負ってしまいました。
事故について、ジャクソン家の弁護士、ブライアン・オックスマン氏はこう語ります。
「この事故の頭皮の火傷がきっかけとなり、鎮痛剤を使い始めました。ステージからの転落による骨折や脊椎骨の亀裂がもたらす痛みは、相当なものでした」
ブライアン氏によれば、この火傷の痛みを抑えるために使われたのが鎮痛剤で、徐々に使う量が増えていったのだといいます。
マスコミや裁判による度重なるストレス、そしてCM撮影時に起きた大事故による肉体的ダメージ、この2つの原因により、マイケルは薬なしの状態では生活できなくなっていたのです。
最後に、親友マークはこう語ります。
マイケルの親友、マーク・レスター「あの事故がなければ、マイケルは生きていたかもしれない。マイケルは、不幸な偶然が重なって亡くなってしまったんだろう」
マイケルの死は、マーレー医師の過失と見なされ、懲役4年の有罪判決に。
しかし、マーレー医師は、多くを語っていない。
事故か?陰謀か?解明は続く……
[出典:2016年4月6日放送「トリックハンター 春の2時間スペシャル」]
参考資料
救済 マイケル・ジャクソン児童性的虐待疑惑(1993年)
[ ジェラルディン・ヒューズ ]
1993年、マイケル・ジャクソンが13歳ノ少年(原告)とその父親エヴァン・チャンドラーから性的虐待で提訴されたとき、著者は法務秘書として、原告側代理人であるバリー・ロスマン弁護士のもとで働いていた。ロスマン弁護士事務所内で秘かに進められていた「マイケル・ジャクソンから金を強請るための陰謀」の一部始終を目撃した著者が、原告側の偽証を暴き、マイケル・ジャクソンの無実を「証明」する。
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