上方落語の『袈裟茶屋』の舞台を吉原遊廓に置き換えて東京に移入し、さらに明治期に初代柳家小せんが登場人物を増やして改作したもの。
金襴の袈裟(きんらんのけさ)・錦の下帯(にしきのしたおび)・ちん輪(ちんわ)とも。
主に東京で広く演じられる。
『袈裟茶屋』および『錦の袈裟』の原話は、1777年(安永6年)に出版された笑話本『順会話献立』の一編「晴れの恥」(男が遊廓で見せびらかすためにちりめんの長襦袢を古着屋から借りたが、遊郭で踊った拍子に値札が見えて恥をかいてしまうという話)。
昭和の戦時中には作中のエロティックな描写が問題視され、「禁演落語五十三種」のひとつに指定された。
主な演者に3代目三遊亭金馬、5代目三遊亭圓楽などがいる。
昔は男が遊びに行こうと言えば吉原に決まっていた。男連中が集まるとこの話になり、隣町の連中が吉原で緋縮緬の揃いの長襦袢で遊んで、帰り際に「隣町の連中はしみったれだから出来めぇ」と言って帰っていった。その相談で、我々も負けない御嗜好で遊びたいという。
「錦の布の揃いの褌で総踊りしたらワッと驚くぜぇ」、「だめだ。1寸幾らという高価な布で、我々が先に驚いてしまう」、「実は伊勢六質屋の番頭に『錦の布が10枚あるので、何かの時は使ってください』と言われていた」。「それに決めよう」で衆議一決。参加者は11人、与太郎さんの分が無い。行かないだろうと思った与太さんに聞くと、女遊びをするのにおかみさんに聞いてみるからという。来る時は錦の褌でなければダメだぞ。
家に帰っておかみさんに相談すると、あきれるやら、バカにされるやらだったが、行かせないと後でバカにされるからと、錦の褌の算段に入った。
「お寺さんに行って借りておいで」と良い知恵が湧いた。「褌にするから錦の袈裟を貸してくれでは誰も貸してはくれないから、ウソでも良いから『親戚の倅に狐が付きました。偉~い和尚さんの袈裟を掛けると治ると言います。どうか人助けだと思ってお貸し下さい』と言えば貸してくれるだろう」。と言う事で、ご住職さんに掛け合った。古い方が御利益があるからと勧められたが、新しいきらびやかな方をどうしても借りたい。しかし、これは納め物でその人の法事が明日あるので、必ず明日朝に返却する約束でやっと借りられた。
家に帰って締めてみたが、白い丸いものが邪魔してサマにならなかったが、取り去る訳にもいかずそのまま出掛けた。仲間と点検すると与太さんのが一番綺麗だった。吉原では芸者幇間を揚げてどんちゃん騒ぎ、最後に尻まくりをして総踊りをした。当然座は盛り上がり大盛況であった。
奥に戻って、芸妓が女将から聞くには、「あれは職人ではなく、大名の隠れ遊び」だと言う。その証拠には「高価な布を下帯にするのは、普通の人では出来ない。だから大名で、特に丸い輪をぶら下げているのがお殿様で、他は家来である。小用を足す時に手を使うのは不浄なので、輪に通してするのだ。その後白い房で払うのだ」と言うチン解釈を女達に授けた。「殿様のお相手になった”むらさき”さんは幸せ者で、玉の輿に乗れるかも知れない。他は家来だからほっときなさい!」。
と言う事で、与太さんはめちゃめちゃモテた。その代わり、仲間連中は全員振られてしまった。朝、「大一座振られた者が起こし番」で、お起こし合ったが誰も女は来なかったという。与太さんが居ないのに気づき、部屋に訪ねるとまだ屏風を立て回して女と一緒だった。
「花魁早く起こしてくださいよ」、「無礼である。下がれ家来ども!輪無しやろうが・・・」、「輪無し・・・??」。
「与太、先に帰るぞ」、「だめだよ。花魁早く起こしてよ。」、「いけません。主はどうしてもケサは返しません」、「それは大変だ。袈裟を返さないとお寺をしくじっちゃう」。[出典:落語の舞台を歩く http://ginjo.fc2web.com/104nisikinokesa/nisikinokesa.htm]
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