★桂文楽(八代目)しびん(花瓶)

桂文楽(八代目)

しびんは古典落語の演目の一つ。原話は、宝暦13年(1763年)に出版された笑話本「軽口太平楽」の一遍である「しびんの花活」。
別題は『尿瓶の花活け』。主な演者として、東京の8代目桂文楽や金原亭伯楽、上方の橘ノ圓都や4代目桂文我などがいる。

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あらすじ

珍品の花器を道具屋で探しているお侍さん。主人に勧められる花瓶には目もくれず、心に響く一品に引きつけられていた。道具屋に汚いものだからとか、”しびん”と言われても洗えばいいからと気にも留めない。明日国元へ帰るから土産にしたいと言うので、道具屋に悪い気が起きた。お客様は目が高いと褒めておいて、京都とここだけにしかない南蛮物の珍品、5両で売ってしまった。知らないとは恐ろしいもので大金をはたいて、白昼宿に裸で持ち帰りった。

宿の女中に生け花用のハサミなどを借りて生け始めると、そこに本屋が頼んだ本を持って現れた。江戸砂子2冊、漢楚軍談は6冊しかまとまらないので、まとまったら国表まで送ります。お子さんにお土産だからと東錦絵を合わせて持ってきた。
花に目が止まって、旦那さんは古流ですな。それに・・・、その花器・・・は、「本屋さん目が高い、これはしびんである」、「旦那様、それは新しいのでしょうね」、「イヤ、古いもので、道具屋で5両で求めた。国に帰ったら床の間に飾ると、みんなは驚くであろう」。(そりゃ~、驚きますよ)
「旦那様、釈迦に説法ですが、しびんとは陶工の名ではなく、寝起きの出来ない大病を患った病人の下のものを取る小便壷です。瀬戸物屋で買っても20文か25文、5両とは法外な値段」、「本屋さん、それは本当か。憎っくきヤツ」、「ダメです。お怒りになっては」、止めるのも聞かず、刀をわしずかみに足袋裸足のまま駆け出した。

そんな事は知らない道具屋は、目を上げるとくだんの武士が血相変えて走ってくる。しまった、と思ったが間に合わない、土間に片足降りたか降りないうちに、「道具ヤー!」、「しばらく、しばらくお待ち下さい。私が悪うございました。私には一人の母がございまして、病で床に伏せっております。高価な人参を飲ませれば治ると聞かされておりましたが、5両の大金、飲ませる事が出来ません。悪い事とは存じていましたので、母に飲ませ、喜びの顔を見たら、私の方から名乗って出ます。旦那様、それまでは私に命をお預け下さい」、「バカ者。もう少しで切るところであった。そんな横道な事で親孝行が出来るか。親孝行に免じて、金も命もくれてやるワ」と刀を納めて帰っていった。

仲間が心配して覗き込んだ。「首は繋がって居るかい。5年前に亡くなった親父の、使い古しのしびんを5両で売ったんだ」、「ふっかけるのもいい加減にしなよ。お袋とか言っていたが、見た事無いがどうしたんだぃ」、「3年前に死んだよ」、「どうしてそんな」、「助かりたい一心だ」。
「侍は偉いね。金の事はこれっぽっちも言わないで、『金も命もくれてやる』と、スーっと行くとこなんぞ、『花は桜、人は武士』と言うが偉いね。よく、金を返せと言わなかったな」、
「小便は出来ないんだよ。しびんが向こうにあるから」。
[出典:落語の舞台を歩く]

道具屋の符牒で、注文をつけるだけ付け、結局買わずに帰る客を『小便』というが、しびんと小便をかけたサゲ。似たようなオチは『道具屋』にも登場している。武士を茶化した内容ではあるが『棒鱈』のようにただ一方的にこき下ろすのではなく、親孝行の徳に免じて道具屋を許させることで武士の寛大さを表している。

何とかもうけたい道具屋と、何とか品物を安く買いたい客。そんな両者の攻防は、落語の中に数多く登場している。
■壺算
何が何でも壺を定価で買わせようとする道具屋と、詭弁で壺を安く買おうとする客の攻防戦。結局お客が勝ってしまう。

■道具屋曽我
曽我狂言のセットを引き取るはめになった道具屋が、芝居マニアがセットで芝居を始めたのに乗じて道具を売りつけようとして…。

■竃幽霊(へっつい幽霊)
幽霊の出る…という「へっつい」を手に入れた道具屋が、それを利用してぼろ儲けしようとしてえらい目にあう。

■初音の鼓
お屋敷に変なものばかりを売りに来る道具屋が、中古の鼓を「狐忠信」に出てくる『初音の鼓』だと偽って売りつけようとする。

■人形買い
節句のお祝いのお返しに、人形を買おうと考えた二人組が人形屋に騙されてしまう話。

■無いもん買い
『どう考えても売っていないもの』を店に注文し、困らせてやろうとする男とその弟分が登場する上方落語。

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