粗忽の使者(そこつのししゃ)は古典落語の演目の一つ。
原話は、元禄14年(1701年)に出版された笑話本『軽口百登瓢箪』の第二巻・「そそうな寄合い」。
別題は『尻ひねり』。主な演者として、5代目柳家小さんや2代目桂小金治などがいる。
あらすじ
杉平柾目之正(すぎだいら_まさめのしょう)の家臣、地武太治部右衛門(じぶたじぶえもん)が、殿の使者として赤井御門守の屋敷を訪れることになった。
出掛ける前から大騒ぎ。慌てるあまり犬と馬を間違えたり、馬にまたがれば前後反対にまたがり、首をすげ替えろとか、腰を上げている間に馬を回せと言う始末。
本郷の赤井御門守にはお付きの者が居るので無事着いた。
使者の間に通され、田中三太夫が使者の口上を問うが、どうしても思い出せない。思い出せないのでここで一服する、いえ、切腹すると言い出したが、三太夫さんが止めた。幼い頃より父に居敷(いしき=尻)をつねられて思い出すのが癖になっているので、三太夫に居敷をつねってくれるように頼む。
三太夫が早速試したが、 今まであまりつねられ過ぎてタコになっているため、いっこうに効かない。
「ご家中にどなたか指先に力のあるご仁はござらぬか」と尋ねても、武道は出来ても、指先の力は・・・、若い侍はみな腹を抱えて笑うだけで助けてくれない。
これを耳にはさんだのが、屋敷で普請中の大工の留っこ。そんなに固い尻なら、一つ俺が代わってやろうと、釘抜きのエンマを忍ばせた。三太夫さんに、面会し、指には力があると申し上げた。
だが、大工を使ったとあっては当家の名にかかわるので、留っこを仮の武士に仕立て、着物を着せたが袴もはけないので手伝ってもらった。チョンマゲも直して、留っこでは、らしくないので、中田留五郎ということにし、治部右衛門の前に連れて行った。
三太夫さんが留五郎殿と何回呼んでも返事がないので、ついに”留っこ”と言うとすかさず返事が戻ってきた。 あいさつは丁寧に、頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだと言い含められた留っこ、初めは「えー、おわたくしが、おあなたさまのおケツさまをおひねりでござりたてまつる」などと言っていたが、三太夫さんはしかめっ面。
早速始めようとしたが、見られるといけないので三太夫さんを次室に追い出して、治部右衛門と二人になると途端に職人の地を出し、「さあ、早くケツを出せ。なに、汚ねえ尻だナ。硬いな、かかとみたいになっている。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」。
エイとばかりに、釘抜きのエンマで尻をねじり上げる。「うー、キクー……もそっと強く」
「このエンマ、なまってしまったのか?。どうだこれで」
「ウーン、あぁー、痛たタタ、思い出してござる」
すかさず次の間の三太夫が「して、ご口上は」
「聞かずに参った」
[出典:落語の舞台を歩く]
http://ginjo.fc2web.com/264sokotunosisya/sokotuno_sisya.htm
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