あらすじ
若だんながこのところ患いつき、飯も喉に通らないありさまで衰弱するばかり。
医者が「これはなにか心に思い詰めていることが原因で、それをかなえてやれば病気は治る」
と言うので、しつこく問いただしてもいっこうに口を割らない。
ようやく、出入りの熊さんになら話してもいいと若だんなが言うので、だんなは大急ぎで呼びにやる。
熊さんが部屋に入ってみると、若だんなは息も絶え絶え、葬儀屋に電話した方が早道というようす。
話を聞いても笑わないことを条件に熊さんがやっと聞き出した病気のもとというのが恋煩い。
二十日ばかり前に上野の清水さまに参詣に行った時、清水堂の茶店に若だんなが腰を掛けて景色を眺めていると、目の前にお供の女中を三人つれたお嬢さんが腰を掛けた。
それがまた、水の垂たたるようないい女で、若だんなが思わず見とれていると、娘もじっとこちらを見る。
しばらくすると茶袱紗を落としたのも気がつかず立ち上がるので、追いかけて手渡したちょうどその時、桜の枝から短冊が、糸が切れてはらりと落ちてきた。
見ると「瀬を早み岩にせかるる滝川の」
と、書いてある。
これは下の句が「われても末に逢はむとぞ思ふ」
という崇徳院の歌。
娘はそれを読むと、何を思ったか、若だんなの傍に短冊を置き軽く会釈して行ってしまった。
この歌は、別れても末には添い遂げようという心なので、それ以来何を見てもあのお嬢さんの顔に見える、というわけ。
熊さん、何だ、そんなことなら心配ねえ、わっちが大だんなに掛け合いましょうと安請け合いして、短冊を借りると早速報告。
だんな、いつまでも子供だ子供だと思っていたがと、ため息をつき、その娘を何としても捜し出してくれと頼む。
もし捜し出せなければ、せがれは五日以内に間違いなく死ぬから、おまえはせがれの仇、必ず名乗って出てやると、脅かされたから、大変。
帰って、かみさんに相談すると
「もし見つければあのだんなのこと、おまえさんを大家にしてくれるかもしれない」
と、尻をたたかれ
「とにかく手掛かりはこの歌しかないから、湯屋だろうが床屋だろうが往来だろうが、人の大勢いる所を狙って歌をがなってお歩き。今日中に見つけないと家に入れないよ」
と、追い出される。
さあそれから湯屋に十八軒、床屋に三十六軒。
セヲハヤミセヲハヤミーと、がなって歩いて、夕方にはフラフラ。
ことによると、若だんなよりこちとらの方が先ィ行っちまいかねねえと嘆いていると、三十六軒目の床屋で、突然飛び込んできた男が、出入り先のお嬢さんが恋煩いで寝込んでいて、日本中探しても相手の男を探してこいというだんなの命令で、これから四国へ飛ぶところだと話すのが耳に入る。
さあ、もう逃がさねえと熊五郎、男の胸ぐらに武者振りついた。
「なんだ? じゃてめえん所の若だんなか? てめえを家のお店に」
「てめえこそ家のお店に」
ともみ合っているうち、床屋の鏡を壊した。
「おい、話をすりゃあわかるんだ。
家の鏡を割っちまってどうするんだ」
「親方、心配するねえ。
割れても末に買わんとぞ思う」
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