たいこ腹(たいこばら)は、古典落語の演目の一つ。別題は『幇間腹』。
原話は、安永9年(1780年)年に出版された笑話本『初登』の一編である「針医」
元々は上方落語の演目で、主な演者には2代目柳家小さんや5代目古今亭志ん生。
現代では三遊亭小遊三がいる。上方では3代目林家染丸がいる。
あらすじ
道楽者の若だんな、家が金持ちであるのをいいことに、あらゆる悪行をし尽くして、もうすることがなくなってしまった。
そこではたと考え込み「こうやって道楽をして生涯を終わってしまうのは、実にもったいない。
これからはせめて、同じことなら人助けになる道楽をしてみよう」と妙な改心をした挙げ句、
人助けならいっそ医者だが、なるのが大変だから、どうせなら簡単に免許が取れそうな鍼医にでもなってやろうと思いつく。
思い立ったが吉日と、早速杉山流の鍼医の先生に弟子入りしたが、書物の講釈ばかりして一行に鍼を持たせてくれない。
根がお調子者で気まぐれだから、じきに飽きてしまい、すぐにでも「人体実験」をしてみたくてたまらなくなった。
猫を突っついてみても練習にはならない。
やっぱり人間でなければと、そこで思い出したのが欲深の幇間の一八。
金の五両もやれば文句はあるまいと、喜び勇んで一八の家に出かけていく。
一八もこのところ不景気なので、久しぶりに現れた若だんなを見て「さあいい獲物がかかった」と大はりきり。
その上「三百人も芸人とつき合った中で、頼りになるのはお前一人」とおだてられ、
つい調子に乗って「若だんなのためなら一命も捨てます」と口走ったのが運の尽き。
若だんなの「一生の頼み」と聞いて仰天したがもう遅く、いやいやながら五両で「実験台」を引き受けさせられてしまう。
南無阿弥陀仏と唱え、今日がこの世の見納めと観念して横になると、舌なめずりの若だんな、初めてなので手が震える。
まず一本水落へブスリ。
スッと入るのでおもしろくなって、全部入れちまったからさあ抜けない。
「こういう時はもう一本友達のハリを打って、意見をして連れ戻してもらうよりしかたがない」というのでもう一本。
またも抜けない。
「若い奴を迎えにやったから、ミイラ取りがミイラになって、いっしょに遊んじまってるんだ、ウン。
今度は年寄りのハリを送って、連れ帰ってもらおう」ともう一本。
またまた抜けない。
どうしようもなくなって、爪を掛けてグーッと引っ張ったから、皮は破れて血はタラタラ。
あまりの痛さに一八が「アレー」と叫んだから、若だんな、びっくりして逃げ出してしまった。
「一八さん、どうしたい。切腹でもしたのかい」
「冗談じゃねえ。これこれこういうわけで、若だんなを逃がしちまって一文にもならない。
ああ、ならないわけだよ、破れだいこ(たいこ=幇間)だからもう鳴らない」
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