【男はつらいよ】寅さん・啖呵売口上【書き起こし】

男はつらいよ

 

 

 

結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけ。

タコはイボイボ、ニワトリりゃ、ハタチ、イモ虫ゃ十九で嫁に行く。

色が黒いか黒いが色か、色は黒いが味見ておくれ、味は大和の吊るし柿。

やけのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ。

たいしたもんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。

テキ屋殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。

物の始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりが隣のオジサン!

兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、仁吉が通る東海道、日光結構東照宮、憎まれ小僧が世に憚る。仁木の弾正、お芝居の上での憎まれ役。

産で死んだが三島のおせん。おせんばかりがおなごじゃないよ。京都は極楽寺坂の門前で、かの小野小町が三日三晩飲まず食わずに野たれ死んだのが三十三。とかく三という数字は、あやが悪い。三、三、六ぽうで引け目がないという!

四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちしょんべん。白く咲いたがゆりの花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。一度変われば二度変わる、三度変われば四度変わる。淀の川瀬の水車(みずぐるま)、誰を待つやらくるくると。

ごほん、ごほんと波さんが、磯の浜辺で「ねぇあなた」あたしゃあなたの妻じゃもの、妻は妻でも「阪妻(ばんつま)よ」ときやがった!。

昔、武士の位を禄(ろく)と言う。かの後藤又兵衛が槍一本で六万石。ロクでもないガキができちゃいけないというので、教育資料の一環としておまけしましょう、真っ赤な表紙のこの絵本!赤い赤いは何見て分る、赤いもの見て迷わぬものは、木仏金仏石仏(きぶつかなぶついしぼとけ)。千里旅する汽車でさえ、赤い旗見てちょいと止まる。

七つ長野善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に茅の屋根、手鍋さげてもわたしゃいとやせぬ。信州信濃の新蕎麦よりも、あたしゃあなたのそばがよい。あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで。

さぁ、買い手がなかったら、わたくしこれで稼業三年の煩いと思って諦めます。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないが腹切ったつもりでまけましょう。

ねぇ?これで買い手がなかったら、右に行って上野、左に行って御徒町、西と東の泣き別れというやつ。

ねぇ?角は一流デパート赤木屋黒木屋白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)付けたお姉ちゃんに下さい頂戴で願いますと、六百が七百くだらない品物だが、今日はそれだけ下さいとは言わない!

どう?タダでやっては義理が悪い、ね?はい、わずかの二百だ!これで買い手がなかったら、しょうがない。今日は貧乏人の行列だあ!

 

 

コメント

  1. レンマ学(メタ数学) より:

     ≪…物の始まりが一(いち)なら、国の始まりが大和の国だ…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面(2次元)からの送り返しモノとして眺めると・・・

        一のはじまり

     ものの個数、体で言えば、たとえば、手は、2本、その部分である指は、10本と数える。形のあるモノを分離してモノは数えられるが、手と指は、身体で繋がっていて分離できないがあるぼやける線で区切り数えることができる。ヒトは、空間の1を面積・体積とそれぞれ1で表している。ある人が生きている時もヒトが社会生活を営んでいる限り変わらない。そこには、時間の1は入り込めない。しかし、時間の1は、存在させている。時間は、太陽と地球の関係から創り出されている。回る行為の地球の1自転が一日であり、地球の1公転が一年である。これらをヒトは、光によって手に入れる。 
     一の始まりを言葉の点・線・面、平面の形の〇(円)・△(正三角形)・▢(正四角形)、立体の形の球・正立方体で、1・2・3・4次元の関係をありのままで観えるコトを行為(運動)で築(気付)く。 
     言葉の点・線・面のセマンティックスと
    数の言葉の符号の足す(+) 引く(‐) 掛ける(×) 割る(÷) 平方根(√) 等しい(=)のシンタックスとの関係をありのままで観えるコトで築(気付)く。
     数学からの送りモノとして、虚数(i) 円周率(π) 自然数の底(e) 平方根(√)などのシンタックスを私なりのセマンティックにして観る。
     虚数(i)の平面から観えるセマンティック
     直交座標のマス目(正方形・▢)を構成する。
     i×i×i×i=1 は、(-1)×(-1)=1 で、正方形(▢)の1×1=1となり平面の単位の1を獲得する。
     円周率(π)は、正方形(▢)の1×1=1を抱え込んだ円(〇)で極座標の平面の単位のπを獲得する。 自然数の底(e)は、自然比矩形(絵本「もろはのつるぎ」)から自然数を創る。
     平方根(√)は、4までの自然数の平方根を円(〇)の等分割のありのままで観えるコトで築(気付)かれる操作で直線を創る。平面の単位のπは、2等分割で2,3等分割で√3、4等分割で√2である。ここで、ありのままで観えるコトで築(気付)かれる直線の1~2と平面の1~2へのシンタックスとセマンティックで捉える。
     ここに、2のセマンティックスを平面という共通項で捉えると〇(π)と◇(√2×√2)の4等分割の操作でできる正方形(原始正方形)の面積が、ありのままで観えるコトで築(気付)かれる2次元の意味(セマンティックス)をも創生し・される。 
     ヒトが、長さの1を数の言葉として概念化(セマンティックス)するコトは、どんなに小さくても、どんなに大きくても円(〇)と原始正方形(◇)との関係(セマンティックス)から言葉の点・線・面の分節(セマンティックス)と算数の符号(シンタックス)が、ありのままで観えるコトで築(気付)かれる行為(運動)と同じ状況で、数の世界(自然数)と言葉の点線面の世界にシンタックスとセマンティックスの同じで違う結合(計算できる)を獲得し・させる。
     数学からの送りモノとして具体的にありのままで観えるコトでの築(気付)は、πが2次元単位であり、これに相当する直線の1との結合が3分割できる正三角形(原始正三角形)の行為(運動)から数の言葉の世界(自然数)と言葉の世界との数学(シンタックス)と国語(セマンティックス)とを列挙する。
     原始正三角形の頂点を円環の4等分割で観る頂点の対辺が創る正方形は、直線の1で創り・創られる自然数の二次元単位の1(1×1)である。
     ここに、円環で数学からの送りモノとして、
    自然数(シンタックス)の1・2・3・4と、円(〇)と正方形(1×1 ▢)との意味(セマンティックス)を確立し・させている。
     1周する行為を4分割の前後左右で経由して捉えるコトに時間と空間の結合あり、数学ではシンタックスであり国語ではセマンティックスである。1次元と2次元のシンタックスとセマンティックスは、原始正三角形の仲立のありのままで観えるコトで築(気付)かれる行為(運動)で捉え・捉えられる。
     空間(3次元)と時間(4次元)の関係を球と立方体に数学からの送りモノとしてシンタックスとセマンティックスで捉える。
     球に内接する立方体の関係は、球の半径1で立方体の辺1である。立方体の対角線は、√3で、立方体の面の対角線は、√2である。
     空間 面の数学のシンタックスからありのままで観えるコトで築(気付)きで観えるモノのは、3次元、2次元にセマンティックスしていることに気付く。
     4次元は、数学からの送りモノとして球の表面積の4πにセマンティックスでき、直交空間では立方体の面の√2の水平面垂直面のなぞりの合体は、√2単位の空間軸を創り創らせている。 
     √2のなぞりの分岐が最初に現れるのが数の言葉の世界の確率のセマンティックでシンタックスなのか?
    分岐により6面のうち2面はなぞれない?

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