ぼくの日常のほうが怖い。ホラー・不穏コンテンツ再ブームの正体

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ここ最近、はっきりした怪異が起きないのに、なぜか怖い。
血も叫び声もないのに、じわじわ不安になる。
そんな「不穏コンテンツ」が、Z世代を中心に再び伸びている。

いわゆるホラー再ブームだが、中身は一昔前とは別物だ。
幽霊が出て驚かせる時代は終わった。
今ウケているのは、説明されない違和感、理由のわからない不安、後味の悪さ。

まず押さえるべきは、代表例だ。
映画で言えば ミッドサマー
明るい昼間、花畑、笑顔。
それなのに終始まとわりつく不気味さ。
怖いのは映像ではなく「価値観が少しずつズレていく感覚」だ。

日本でもこの流れは強い。
変な家 は、怪物も幽霊もほぼ出てこない。
間取り図という日常的なものが、徐々に「何かおかしい」に変わっていく。
正体不明のまま話が進む構造が、多くの若者に刺さった。

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この再ブーム、理由は単純だ。
Z世代の現実が、すでに不穏だから。

将来は不透明。
努力が報われる保証はない。
SNSでは他人の成功だけが流れてくる。
安心できる正解ルートが存在しない。

こうした環境では、露骨な恐怖は逆にリアルすぎてしんどい。
ゾンビや殺人鬼より、
「何が起きているかわからない状態」の方が、現実に近い。

不穏コンテンツは、感情の避難所でもある。
はっきり怖いものを見ると、人はスッキリする。
だが、現実の不安は名前がつかない。
だから、同じく名前のない不安を描いた作品に引き寄せられる。

特徴を整理すると、今のホラーはこうだ。

・説明しない
・オチを与えない
・原因を明かさない
・日常から始まる

この「未回収」が重要だ。
すべて理解できる物語は安心につながる。
だがZ世代は、安心より納得を求めていない。
「わからないまま終わる感覚」に、むしろ現実味を感じている。

SNSとの相性も抜群だ。
不穏なワンシーン、意味深なセリフ、解釈が割れるラスト。
考察、妄想、解釈合戦が起きやすい。
一度観て終わりではなく、何度も擦れる。

さらに重要なのは、ホラーの舞台が「特別な場所」ではなくなったことだ。
廃病院でも、呪われた村でもない。
普通の家、普通の職場、普通の人間関係。

つまり「自分の生活圏」に入り込んでくる。

これは心理的にかなり効く。
人は安全圏が侵食されると、強い違和感を覚える。
それが恐怖に変わる。

もう一つ、Z世代特有の理由がある。
彼らは「感情を大きく動かす」ことに疲れている。

大号泣も、絶叫も、過剰なカタルシスも要らない。
欲しいのは、静かなザワつき。
心の奥に小さな石を落とされる感覚。

不穏コンテンツは、その温度感がちょうどいい。

TikTokやYouTube Shortsでも、この流れは見える。
突然終わる動画。
意味不明な日常風景。
コメント欄で「これ何?」「怖いんだけど」と盛り上がる。

説明しないことが、コンテンツになる時代だ。

ここで勘違いしてはいけない。
Z世代は怖がりだ。
だからホラーを見ている。

むしろ逆だ。
怖さをコントロールできる形で摂取している。

現実は選べない。
だがコンテンツなら、再生も停止もできる。
安全に不安を体験できる。

この構造は、今後もしばらく続く。
派手な心霊より、静かな異物感。
説明より、余白。
安心より、不確かさ。

ホラー・不穏コンテンツ再ブームは、流行ではない。
現代人の精神構造をそのまま映した鏡だ。

怖いのは、怪異ではない。
何が普通かわからなくなっている、この世界そのものだ。


文責:夜更かしロジック
心理とエンタメの境界を覗く観測者。
X:@logic_midnight #不穏考察

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