映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」
「世界でいちばん貧しい大統領」ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の心に響く名言
2016年4月8日(土)放送「“世界でいちばん貧しい大統領”ムヒカ来日緊急 特番~日本人は本当に幸せですか?~」より
池上 彰さんがわかりやすく解説してくれました。
ホセ・ムヒカ氏とは!?
今、世界が最も注目するホセ・ムヒカ氏は、2010年から2015年までウルグアイ東方共和国第40代大統領を務めました。
本名は、ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ。(José Alberto Mujica Cordano)
1935年5月20日生まれの80歳で、ウルグアイの首都・モンテビデオ出身です。
2012年6月20日の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で、「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだと。大切なのは考え方です」と、環境問題を話し合う会議で、”発展は幸福の邪魔をするものではなく、幸福をもたらすものでなければならない”という、現代の消費主義社会に警鐘を鳴らすスピーチは、ネットを通じて広まり、世界中の人々が感動しました。
大統領時代は、給料の9割を慈善事業に寄付し、月収約10万円で生活。
外遊はエコノミークラス、豪華な大統領公邸ではなく郊外の質素な農家に住み、個人の資産は中古のフォルクスワーゲンのみ。
街の食堂で庶民と一緒に昼食をとり、服装は常にノーネクタイにサンダル履き。
このような公私に渡る清貧さから、ウルグアイ国内で“ペペ”の愛称で親しまれ、国内のみならず世界中の人々に熱狂的なファンを生み、“世界でいちばん貧しい大統領”と呼ばれています。
日本で出版されたムヒカ大統領の絵本「世界でいちばんまずしい大統領のスピーチ」(汐文社)により、多くの日本人が知る事となりました。
2015年3月に大統領を退任し、来日後には上院議員も辞めて、ウルグアイの子供たちの教育に余生を注ぐそうです。
2013年と2014年には、ノーベル平和賞にノミネートされています。
ゲリラから大統領に
しかし、この「世界でいちばん貧しい大統領」には、もう一つの顔がありました。
ムヒカ氏は、大統領になる前、当時の政権に反発し、ゲリラ活動をしていました。
なぜ彼は、ゲリラ活動をしていたのでしょうか?
そして、なぜゲリラだったムヒカ氏が大統領になったのでしょうか?
そんなムヒカ前大統領は、日本に対し、こんなメッセージを発していました。
「日本人は本当に幸せなのだろうか?」
このメッセージには、いったいどんな意味が込められているのでしょうか?
2016年4月5日(火)初来日
4月5日(火)羽田空港、初来日。
「私は聞いてみたい。日本の若者はお年寄りたちより幸せなのかと。今の日本は、あまりにも西洋化してしまい、本来の歴史やルーツはどこに行ってしまったのかと問いたくなる」
4月6日(水)東京・飯田橋。
「人間は一人では生きられません。エゴイズムは競争を生み出し、科学や技術の進歩をもたらしました。だが、同時に危険なほどの欲望も生み出したのです。その欲望は全てを破壊しかねません。私たちは地球上の全ての人々が生きていけるだけの資源を持っているんです。それなのに私たちは地球に”借金”をしている状態です。こんな愚かな間違いをしないよう、若者に伝えなければいけない」
4月7日(木)東京・築地。
「(街で大きな看板を見て)なんでヨーロッパ系のモデルを広告に使うの?美しい日本人女性がいるのに」
Q. 日本人が幸せになるために何が必要ですか?
「過去の歴史に自分のルーツを見つけだす必要がある。かつての日本人は、すごく強かったんじゃないかな。多くの障害を乗り越える強さを持っていた。それがあなたたち(日本人)なんだよ」
4月7日(木)東京外国語大学(東京・府中市)。
「例えば、スーパーマーケットに行けば色々なものを買うことができます。しかし、人生の”歳月”を買うことはできません。2年ごとに車や冷蔵庫を買い替えて、一生ローンを支払い続ける。家が小さくなるから、もっと大きな家を買わなければいけなくなる。それでも足りなくて、違う家がどんどん必要になる。それが”社会の仕組み”なんです。買って買って買って、モノを買い集めていく”儀式”に人生の時間を費やす、そんな社会なんです」
「人生で最も重要なことは、勝つことではありません。最も重要なのは、”歩み続ける”こと。これはどういうことなのか。それは、何度転んでも起き上がること。打ち負かされても、もう一度やり直す勇気を持つことです」
Q. 学生の質問・・・愛が(愛する女性を手に入れるために)闘争や貧困を生み出すのではないでしょうか?
「あなたは好きな女性を自分のものにしたい。でも、そもそも彼女の気持ちを聞くべきじゃないですか?あなたは、”決定権が自分にある”と勘違いしていないですか?だって、選んでいるのは女性の方なんですから」
Q. 学生の質問・・・本当に全世界が幸せになれると思いますか?
「確かに、私たちは神ではありません。自分にとっての幸せを探してください。世界を変えられるわけではありませんが、あなた自身は変わることができるんですよ」
常識はずれな大統領
ウルグアイの経済財務大臣就任式での写真を見ると、大統領として列席しているのに、サンダル履きにノーネクタイ。
さらには、オバマ大統領、プーチン大統領との公式な首脳会談・外交の場でもネクタイをしていません。
ネクタイに関しては、ある信念を持っていました。
「ネクタイは、政治家が嘘を吐き出さないためにするもの」
「ネクタイなんて、首を圧迫する無用なボロ切れ」
ネクタイさえ締めていれば信用されるという欧米的な考え方に反発しているということですよね。(池上)
腹を割って話しましょう、フォーマルはやめましょう、これが実は、人の心をとりこにする魅力なのかも知れません。(池上)
世界を感動させた国連のスピーチ
そのスピーチは、2012年6月20日~22日まで、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた、国連持続可能な開発会議(リオ+20)で行われました。
この会議は、1992年開催「地球サミット(リオデジャネイロ)」から20年が経ち、20年間の取り組みや、今後の取り組みについて考える会議でした。
そこで、「リオ、プラス20(年)」という言い方になりました。
その会議の初日の最後に壇上に立ったが、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領でした。
最後になると、自分のスピーチが終わると帰る人もいたので、実は会場はガラガラだったと言われています。
ところが、南米の小さな大統領が語った10分間のスピーチが、会場にいた全ての人に感動を与えました。
ムヒカ大統領のスピーチの始まりはこうでした。
「質問させてください。もしドイツ人が、ひと家族ごとに持っているほどの車をインド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうのでしょう?私たちが呼吸できる酸素は残されるのでしょうか」
どんなに支援をしても、地球上の人たち全員が先進国と同じレベルの生活をする、そんなことが一体できるのか、みんな薄々できないなと思っているくせに、なぜその本音をしゃべらないのか、それが「質問させてください」というところに表れているわけですね。(池上)
キレイごとを並べる政治家が多い中で、建前抜きで本音で世界に向かって呼びかけた、これが感動を呼んだということですね。(池上)
さらにムヒカ大統領は、私たちは何のために生まれてきたかを語ります。
「我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです」
そして、本当の貧しさとは何かについて語った言葉は、聴衆の胸を打ちました。
「『貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだ』と」
これは、彼がよく引用する言葉で、「哲学者・セネカ」の言葉として知られているんですけど、実は南米の先住民族も同じようなことを言っていたというんですね。(池上)
結局、いくらお金持っていても、欲しい物を手に入れて満足することができない人こそ、貧しい人であると。(池上)
先進国の大統領が言っていたら、「キレイごと言ってるよね」となっていたかも知れません。
実はムヒカ大統領は、この言葉に恥じることのない行動をしてきた、だからこそ、感動させられる説得力があったと思うんですね。(池上)
実際の会場では、聞いている人は少なかったのですが、翌日各国のマスコミが取り上げました。
「ホセ・ムヒカが世界を叱る」(コロンビア)
「極めて正直なムヒカ大統領のスピーチ」(チリ)
かつて、リンカーン大統領が言った「人民の人民による人民のための政治」と演説したとき、聞いている人は全然印象がなくて、全然知られていませんでした。
それが、徐々に「素晴らしいことを言った」と広まって、今やリンカーン大統領の有名な言葉になっています、それを思わせるところがありますね。(池上)
“世界でいちばん貧しい大統領”
ムヒカ大統領が就任の際に公開した資産、それは、資産価値が約18万円の「1987年型のドイツ車」一台だけでした。
さらに、ムヒカ大統領の収入は、月収約10万円でした。
元々、約100万円が支払われていたのですが、9割を福祉や慈善事業に寄付していました。
そして、この月収約10万円も、将来農業学校を作るために貯蓄していたそうです。
フランスのAPF通信のインタビューで、世界でいちばん貧しい大統領と呼ばれることに対して、こんな風に答えています。
「私は貧乏ではない、質素なだけです」
つまり、貧乏というのは、欲しいものがいっぱいあって、欲望が絶えることがない、それが貧乏である、私はつつましい生活をしているだけだよ、ということなんですね。(池上)
2013年にキューバで行われた国際会議から帰国する際、メキシコの大統領専用機に、ムヒカ大統領は相乗りさせてもらいました。
ウルグアイには元々、大統領専用機はありません。
それで、外遊の際には、民間の飛行機、しかも、エコノミークラスを使っていました。
実は、アルゼンチンの大統領専用機にも、相乗りさせてもらったことがあるそうです。
ムヒカ前大統領が愛される理由
大統領の任期は5年、2015年2月27日に、大統領府を後任に明け渡すときのセレモニーで、一目ムヒカ大統領の姿を見ようと、大勢の国民が集まりました。
ムヒカ大統領の愛称は「ペペ」。
あいさつが終わると、 ムヒカ大統領はみんなに手招きをして、みんながどっと集まりました。
世間の目は、新しい大統領にいくはずなんですが、退任する人のところにたくさんの人たちが集まった、いかに国民に愛され、惜しまれながら退任していったかということなんです。(池上)
就任中に最も力を入れていた政策が「貧困をなくすこと」でした。
実際に行った政策が、貧困層向け住宅政策「プランフントス」です。
主に、シングルマザーとかホームレスなど、およそ1万5千世帯を対象にした無償の住宅です。
「貧困層向け住宅に住むためには、週20時間以上、住宅建設を手伝わなければならない」という条件をつけました。
つまり、国が作るだけではなくて、自分の住むところなんだから汗を流しなさい、ということなんですね。(池上)
ムヒカ大統領の政策で、世界中に最も注目されたのが、「大麻の売買や栽培を合法化(2014年5月)」
今まで大麻を禁止していたときは、闇の世界で高値で売買され、犯罪組織の資金源になってきました。
それよりは、むしろオープンにして、きちんと管理をすれば、闇の犯罪組織にお金が流れないのではないか、という政策でした。(池上)
そうすることで、貧困層を犯罪から守ることになると期待したのでした。
ムヒカ大統領の言葉は正直で、その言葉を守る姿勢も、国民に愛される理由の一つでした。
大統領ムヒカのゲリラ時代
1972年、若かりし頃のムヒカ氏は、目をぎらつかせ、革命に燃えるゲリラ戦士でした。
1964年7月の新聞には、ある工場を襲撃し、初めて逮捕されたときの記事が載りました。
でかでかと載った顔写真は、いかにも「危険な男」でした。
いったいなぜ、ゲリラ活動をしていたのでしょうか?
貧しい家庭に生まれ、7歳にして父を亡くし、極貧生活を送りました。
当時のウルグアイは、大農場の経営者などが富を独占し、多くの国民が貧しさにあえいでいました。
そのころから、ムヒカ氏は考えはじめたといいます。
「なぜ金持ちは貧しい人々と分け合わないのか」
24歳のとき、同じくラテンアメリカのキューバで革命が起きました。
当時のキューバも、貧富の差が激しかったのです。
そこに、フィデル・カストロや、チェ・ゲバラが銃を手に立ち上がり、革命に成功。
「俺も、貧しい人々を救いたい」
そんな思いを抱き、1960年にキューバに向かい、チェ・ゲバラの衝撃的な演説を聞きました。
「どんなに平和的なデモや政治活動よりも、時として何より強烈で効果的なのが、しかるべき者への一発の銃弾だ」(チェ・ゲバラ)
ウルグアイに戻ったムヒカ氏は、銃を手に政府と戦うある組織に参加します(当時27歳)。
それが、都市ゲリラ組織「トゥパマロス国民解放運動」、当時、南米最強と謳われたゲリラ組織でした。
ターゲットは、私腹を肥やし富を独占する企業ばかりで、貧しい人々からの圧倒的支持を得ました。
誰一人として、私利私欲のためには動かず、貧しい人々のために命を懸けて戦っていたのです。
ある日、銀行を狙う計画をしていたところ、政府に通じる密告者によって警察にかけつけられ、仲間を逃がしたムヒカ氏は6発の銃弾を浴びました。
「反乱者ムヒカ 銃弾を受け重傷」(1971年3月24日付 ウルグアイの日刊紙)
3ヶ月の入院で一命を取り留め、刑務所へ収監されました。
しかし、1年半後、ムヒカ氏は脱獄に成功。
すると政府は、軍隊を投入してゲリラ壊滅作戦を行い、ゲリラと疑われた人間は無差別に殺されました。
その凄まじさを、ムヒカ氏はのちにこう語っています。
「ハエがたたきつぶされるように仲間が殺されていった」
そんななか、辛くも難を逃れたムヒカ氏は、仲間と共に山の中へ(1972年4月)。
そこで、ムヒカ氏の運命を変える出会いが訪れました。
「絶対に負けちゃいけないんだ」(ムヒカ)
「そう、私たちは負けない」(女性)
「君は?」(ムヒカ)
その女性こそ、ルシア・トポランスキー、のちのムヒカ氏の妻です。
彼女は、貧しかったムヒカ氏とは逆に、裕福な家庭に育ちました。
しかし、正義感が強く、「貧しい人々を助けたい」と、ゲリラ活動をするようになりました{当時26歳)。
極限状態の中、二人は惹かれあっていきました。
ルシア・トポランスキーさん
「私たちを結びつけたのは、一つの同じ想いです。国民のため、家族のため、ウルグアイという国を変えたいという想い。戦い続ける理由があるからこそ、人は生き抜くことができるのです」
しかし、そんな二人を引き裂いたのは、1972年8月20日、ムヒカ氏の4度目の逮捕でした。
本当の戦いはこれからでした。
ゲリラの情報を得るために、徹底的な拷問にかけられました。
暴力、電気ショック、水責め、拷問は連日のように続きました。
拷問の中でも特にひどかったのが独房。
飢え死に寸前の食べ物しか与えられず、狭い部屋で、誰とも話せない監禁生活が続きました。
そんな毎日が、なんと9年間。
どうしようもない孤独と栄養失調が、ムヒカ氏の心と体をむしばんでいきます。
それでも狂わずに済んだのは、投獄10年目で許された読書と、手紙を出せるようになったお陰だといいます。
許されたのは、自然科学の本ばかりでしたが、ムヒカ氏はむさぼるように読みました。
”どうしたら革命が成功するのか?”考え続けていました。
「独房で本を読みながら、人間とは何なのか、何度も自分に問いかけた。人間はひとりでは生きられない、おかしな生き物だ。本人が自覚していようがいまいが、人間には他人や社会が必要なのだ」
「暴力で世の中は変えられない・・・」ムヒカ氏がそう気づいたのはこの頃でした。
その決意を、ルシアさんへの手紙にしたためます。
「愛するルシアへ、ここを出たら一緒に農場で暮らそう ムヒカ」
そして、ルシアさんからの手紙。
「愛するムヒカへ、いいわ、一緒に農場で暮らしましょう ルシア」
一見、革命を諦めたようなこの手紙のやりとりには、武力ではなく、別の方法で戦い続けようという二人の決意が込められていたのです。
そして、1985年3月10日、ムヒカ氏はついに釈放されます。
4度目の投獄から13年ぶりの自由を得ました。
時の政権が代わり、どんな拷問にも屈しなかったムヒカ氏は、熱狂的な市民に迎えられます。
このとき、ムヒカ氏49歳、ルシアさん40歳、13年ぶりの再会を果たしました。
釈放後、初めて市民に語った言葉は、のちに「世界でいちばん貧しい大統領」へとつながるものでした。
「私は、たとえ私たちにひどい仕打ちをした人々でも、憎もうとは思わない。憎しみは何も生まないからだ。私はあの獄中生活の中で学んだ。人はわずかなものしか持っていなくても幸せになれることを・・・」
2016年4月7日 東京外国語大学でのムヒカ前大統領と池上彰の対談
池上)話を聞くと、「世界で一番貧しい大統領」というより、「世界で一番豊かな大統領」に思えるのですが、これは出版社の販売戦略ですかね?
ムヒカ)全く同感です。貧しい男にさせられましたが、実はとても豊かなんです。
池上)正式に(ルシアさんと)結婚したのは2005年ですが、大統領になることを意識してようやく結婚したのですか?どちらが結婚しようと言ったんですか?
ムヒカ)私です。
ルシア)その日彼はテレビ番組に出演していて、私たちの結婚を発表したんです。
池上)直接プロポーズしてないんですか?
ムヒカ)わざわざ言うまでもないだろうと・・・。実際、私たちの結婚式は、台所で挙げました。
池上)社会主義を目指してゲリラ活動をして投獄された、この時点で挫折を味わったのではないですか?
ムヒカ)そうですね、でも人生が教えてくれたのです。不可能に挑むことは、それなりの犠牲を払うものだと。だから粘り強く戦い続けなければならないということを学びました。
池上)刑務所の看守が、ムヒカさんたちをまじまじと見て、「この中から大臣が何人出るかな」という話を聞いたそうですが。
ムヒカ)悪い冗談を言うなと思いました。大臣ましてや大統領が出るなんて夢にも思わなかったですよ。
でも、私たちが武力を持って闘争していた当時を知らない人々が、のちに私たちを信じて支持してくれたのです。
なぜなら、国民も学んで成熟していくからです。信じられないでしょうが、投獄中の仲間2人が、のちに内務大臣と防衛大臣になりました。
なんというストーリーでしょう。
池上)「今一番欲しいものは?」のアンケートで、日本は1位が時間、2位がお金でした。
ムヒカ)日本ではお金が2位!16%以上ですか!世界第3位の経済大国なのに。嘘でしょ?ウルグアイはお金が4位です。7.7%ですね。これも嘘です。誰だってお金は欲しいでしょ?
池上)日本では、時間が欲しいと思っている人が多いですね。
ムヒカ)何のための時間でしょうか。問題は、何のために時間を使うのかということです。
何をする時間が欲しいのですか?子どもと過ごす時間?家族と過ごす時間?友人と過ごす時間?
あるいは自分の人生を生きる時間?それならOKです。
それとも、もっと働いてもっとお金を稼ぐための時間が欲しいのですか?それは消費社会に支配されています。
人生は一度きりで瞬く間に過ぎていきます。人間としての時間をどう使うべきか。
人生は時計のようなものです。ぜんまいはやがて止まります。だから何に時間を使うのか、一人一人が自分に問いかけるべきなのです。
なぜなら、生きることは死に向かうことだから。これは変えようのない事実であり、私たちの存在において最も大事なことなのです。
池上)仏教の高僧の話のように思えました。「足るを知る」という言葉があります。持っていなくても満足をする、それこそが幸せな生き方をするという伝統的な考え方が、日本にはあるんですね。
ムヒカ)私は、真新しいことは何一つ言ってはいません。昔からある思想を述べているだけです。
富が幸福をもたらすと思わないでください。比較的豊かになると、失うことへの恐怖が生まれます。
富を失うことへの恐れが・・・。そうするとお金があっても、幸せを感じられません。失うことを恐れるからです。
これがまさに中流階級の苦悩なのです。目標に向かって前進し戦う者は、恐れるものがないのでとても幸福です。
なぜなら希望があるから。幸せであるということは、生きていることに心から満足していることです。
毎日太陽が昇るのを見て感謝する。幸せとは、人生を愛し憎まないこと。でもそのためには大義が必要で、情熱を傾ける何かが必要なのです。
池上)経済学者は、みんなが質素になれば経済力が落ちていくと批判すると思いますが。
ムヒカ)経済は、なぜ存在するのでしょうか。それは、不足しているものがあるからです。
100年前には、水に経済は存在しませんでした。なぜなら水は豊富にあったからです。
でも、今はその経済が存在しています。水が不足し始めたからです。経済というのは、不足している財をいかに分配するのかということ・・・。
例えば、日本では高齢化が急速に進んでいます。一人暮らしの高齢者がたくさん孤独に苦しんでいるのです。
以前のように家族は、高齢者を支えられなくなっています。日本はこういう高齢者に公共の施設を造るべきです。
どれだけお金がかかっても。国は施設を造って住まいを用意し、孤独な老人をサポートするべきです。
日本は先進国、だから国民と政府が一体となって行動すべきです。彼らに寄り添い、高齢者を置き去りにしてはいけない。
そのために税金を使うべきです。これは社会全体で決めることです。
個人も家族も一人では生きていけません。だから政治が必要なのです。
池上)日本では、若者の政治離れが問題になっています。
ムヒカ)同感です、だから深い見方ができるように手助けをするべきです。現状に不満があるのなら、何か行動を起こしてください。
勇気を持って新しいことを提案し、立ち上げてください。それはあなたたちと、その後に続く世代のために。
皆さんもいつかは子供や孫ができるでしょう。考えなければいけないのは、子供や孫が生きていく世界。
彼らにどんな世界を残すのか?私は自分の言う事に責任を持ちたいと思います。
政治の”病気”というのは、お金に執着しすぎることです。政治に利害関係がないわけではありません。あるのです。
しかし、政治の真の利害は、お金ではありません。人々から慕われる名誉です。人生はお金が全てではありません。
人々の愛情、名誉、そして人々が決めたこと、それはある人たちにとっては、お金よりも価値があるのです。
問題は、お金の好きな人物が政治家になろうとすること・・・。こ
れは非常に危険です。汚職の原因なのです。そういう政治家を見ると、国民は政治を信じなくなります。
「結局、誰も同じだ」と思うようになる。でも、それは試合を捨ててしまうことです。
この絶望感こそがまさに、汚職を可能にしてしまうのです。
しかし、ゆっくりでも人間は、少しずつ良くなっていけるのです。ですから皆さん、どうぞ失望しないでください。
若者は世の中を新しくする希望そのものなのです。ただ、肉体は若くても魂が老いていることがあります。これも危険です。
(了)
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