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ホセ・ムヒカ大統領の名言【まとめ】#4,042-0530

名言・格言・金言

更新履歴
2016年04月18日(月):初投稿
2025年05月14日(水):ホセ・ムヒカ氏の死去情報を追記
2026年05月30日(土):死去・政界引退・映画公開の事実関係を全面的に更新

映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」(2020年10月2日公開/田部井一真監督/KADOKAWA配給/98分)

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「世界でいちばん貧しい大統領」ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の言葉と生涯

ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領が、2025年5月13日に死去しました。89歳でした。死因は食道がんとみられています。2024年4月に食道がんの診断を公表し、2025年1月に肝臓への転移と治療の中止を明らかにして緩和ケアを受けていました。後継者であるヤマンドゥ・オルシ大統領が同日、死去を発表しています。

本記事は、ムヒカ氏が2016年4月に初来日した際の記録と、2010年から2015年までの大統領時代の歩みをまとめたものです。

2016年4月8日(金)放送「”世界でいちばん貧しい大統領”ムヒカ来日緊急 特番~日本人は本当に幸せですか?~」より。番組では池上彰が解説しました。

ホセ・ムヒカ氏とは

ホセ・ムヒカ氏は、2010年から2015年までウルグアイ東方共和国第40代大統領を務めた政治家です。

本名はホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ(José Alberto Mujica Cordano)。1935年5月20日に、ウルグアイの首都モンテビデオ近郊の貧しい家庭に生まれました。

2012年6月20日の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で、「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだと。大切なのは考え方です」と語りました。発展は幸福の邪魔をするものではなく幸福をもたらすものでなければならない、という消費主義社会への問いかけはネットを通じて世界中に広まりました。

大統領時代は給料の約9割を慈善事業に寄付し、月収約10万円で生活していました。外遊はエコノミークラスを使い、大統領公邸ではなく郊外の質素な農家に住み、所有する乗用車は中古のフォルクスワーゲン1台だけでした。街の食堂で庶民と昼食をとり、服装は常にノーネクタイにサンダル履き。こうした公私の質素さからウルグアイ国内で”ペペ”の愛称で親しまれ、世界中に熱狂的なファンを生み、”世界でいちばん貧しい大統領”と呼ばれました。

日本では絵本「世界でいちばんまずしい大統領のスピーチ」(汐文社)が出版され、多くの日本人にその存在が知られました。

2015年2月末に大統領を退任した後は上院議員を務めました。妻のルシア・トポランスキー氏は2017年から2020年まで副大統領を務めています。ムヒカ氏自身は2020年10月、高齢などを理由に政界からの引退を表明し、その後は首都モンテビデオ郊外の農園にある自宅で暮らしていました。

2013年と2014年には、ノーベル平和賞の候補に名前が挙がったと報じられました。

ゲリラから大統領に

この「世界でいちばん貧しい大統領」には、もう一つの顔がありました。大統領になる前、ムヒカ氏は当時の政権に反発してゲリラ活動をしていたのです。

なぜ彼はゲリラ活動をしていたのか。そして、なぜゲリラだったムヒカ氏が大統領になったのか。

ムヒカ氏は、日本に向けてこんなメッセージを発していました。

「日本人は本当に幸せなのだろうか?」

この言葉に込められた意味を、来日時の発言からたどります。

2016年4月5日(火)初来日

4月5日(火)、羽田空港に到着し初来日を果たしました。

「私は聞いてみたい。日本の若者はお年寄りたちより幸せなのかと。今の日本は、あまりにも西洋化してしまい、本来の歴史やルーツはどこに行ってしまったのかと問いたくなる」

4月6日(水)、東京・飯田橋にて。

「人間は一人では生きられません。エゴイズムは競争を生み出し、科学や技術の進歩をもたらしました。だが、同時に危険なほどの欲望も生み出したのです。その欲望は全てを破壊しかねません。私たちは地球上の全ての人々が生きていけるだけの資源を持っているんです。それなのに私たちは地球に”借金”をしている状態です。こんな愚かな間違いをしないよう、若者に伝えなければいけない」

4月7日(木)、東京・築地にて。

「(街で大きな看板を見て)なんでヨーロッパ系のモデルを広告に使うの?美しい日本人女性がいるのに」

Q. 日本人が幸せになるために何が必要ですか?

「過去の歴史に自分のルーツを見つけだす必要がある。かつての日本人は、すごく強かったんじゃないかな。多くの障害を乗り越える強さを持っていた。それがあなたたち(日本人)なんだよ」

4月7日(木)、東京外国語大学(東京・府中市)にて。

「例えば、スーパーマーケットに行けば色々なものを買うことができます。しかし、人生の”歳月”を買うことはできません。2年ごとに車や冷蔵庫を買い替えて、一生ローンを支払い続ける。家が小さくなるから、もっと大きな家を買わなければいけなくなる。それでも足りなくて、違う家がどんどん必要になる。それが”社会の仕組み”なんです。買って買って買って、モノを買い集めていく”儀式”に人生の時間を費やす、そんな社会なんです」

「人生で最も重要なことは、勝つことではありません。最も重要なのは、”歩み続ける”こと。これはどういうことなのか。それは、何度転んでも起き上がること。打ち負かされても、もう一度やり直す勇気を持つことです」

Q. 学生の質問……愛が(愛する女性を手に入れるために)闘争や貧困を生み出すのではないでしょうか?

「あなたは好きな女性を自分のものにしたい。でも、そもそも彼女の気持ちを聞くべきじゃないですか?あなたは、”決定権が自分にある”と勘違いしていないですか?だって、選んでいるのは女性の方なんですから」

Q. 学生の質問……本当に全世界が幸せになれると思いますか?

「確かに、私たちは神ではありません。自分にとっての幸せを探してください。世界を変えられるわけではありませんが、あなた自身は変わることができるんですよ」

常識はずれな大統領

ウルグアイの経済財務大臣就任式の写真では、大統領として列席しているのにサンダル履きでノーネクタイでした。オバマ大統領やプーチン大統領との公式な首脳会談・外交の場でもネクタイをしていません。

ネクタイについては、ある信念を持っていました。

「ネクタイは、政治家が嘘を吐き出さないためにするもの」

「ネクタイなんて、首を圧迫する無用なボロ切れ」

ネクタイさえ締めていれば信用されるという欧米的な考え方への反発でした。フォーマルをやめて腹を割って話そうとする姿勢が、人の心をとらえる魅力にもなっていたといえます。(池上)

世界を感動させた国連のスピーチ

そのスピーチは、2012年6月20日から22日まで、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連持続可能な開発会議(リオ+20)で行われました。

この会議は、1992年開催の「地球サミット(リオデジャネイロ)」から20年を経て、これまでの取り組みと今後を考える場でした。そこから「リオ、プラス20(年)」という呼び方が生まれています。

会議初日の最後に壇上に立ったのが、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領でした。終盤になると自分のスピーチを終えて帰る人もいて、会場はガラガラだったといわれています。ところが、南米の小さな国の大統領が語った10分間のスピーチは、その場にいた人々に強い印象を与えました。

スピーチはこう始まりました。

「質問させてください。もしドイツ人が、ひと家族ごとに持っているほどの車をインド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうのでしょう?私たちが呼吸できる酸素は残されるのでしょうか」

どんなに支援をしても、地球上の人々全員が先進国と同じ生活をすることはできるのか。みな薄々できないと思っているのに、なぜその本音を口にしないのか。それが「質問させてください」という切り出しに表れています。きれいごとを並べる政治家が多いなか、建前抜きで本音を世界に呼びかけたことが感動を呼びました。(池上)

さらにムヒカ大統領は、人は何のために生まれてきたのかを語ります。

「我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです」

そして、本当の貧しさとは何かを語った言葉が、聴衆の胸を打ちました。

「『貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだ』と」

これは彼がよく引用した言葉で、哲学者セネカの言葉として知られていますが、南米の先住民族も同じようなことを語っていたといいます。いくらお金を持っていても、欲しい物を手に入れて満足できない人こそ貧しい、という考え方です。(池上)

先進国の大統領が言えば「きれいごと」と受け取られたかもしれません。ムヒカ大統領はこの言葉に恥じない行動をしてきたからこそ、説得力があったといえます。(池上)

会場で聞いていた人は少なかったものの、翌日には各国のマスコミが取り上げました。

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「ホセ・ムヒカが世界を叱る」(コロンビア)
「極めて正直なムヒカ大統領のスピーチ」(チリ)

かつてリンカーン大統領が「人民の人民による人民のための政治」と演説したとき、その場では大きな印象を残しませんでした。それが徐々に評価され、今では有名な言葉になっています。ムヒカ大統領のスピーチにも、それを思わせるところがあります。(池上)

“世界でいちばん貧しい大統領”

ムヒカ大統領が就任の際に公開した資産は、資産価値が約18万円の「1987年型のドイツ車」一台だけでした。

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収入は月収約10万円でした。元々は約100万円が支払われていましたが、その9割を福祉や慈善事業に寄付していました。残る月収約10万円も、将来農業学校を作るために貯蓄していたといいます。

フランスのAFP通信のインタビューでは、世界でいちばん貧しい大統領と呼ばれることについて、こう答えています。

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「私は貧乏ではない、質素なだけです」

欲しいものがいくらでもあって欲望が絶えないのが貧乏であり、自分はつつましい生活をしているだけだ、という意味です。(池上)

2013年にキューバで開かれた国際会議から帰国する際には、メキシコの大統領専用機に相乗りさせてもらいました。ウルグアイには元々、大統領専用機がありません。そのため外遊では民間機、しかもエコノミークラスを使っていました。アルゼンチンの大統領専用機に相乗りしたこともあったといいます。

ムヒカ前大統領が愛される理由

大統領の任期は5年。2015年2月27日、大統領府を後任に明け渡すセレモニーには、ひと目ムヒカ大統領の姿を見ようと大勢の国民が集まりました。

愛称は「ペペ」。あいさつが終わると、ムヒカ大統領はみんなに手招きをし、人々がどっと集まりました。

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本来なら注目は新しい大統領に向かうはずですが、退任する人物のもとに多くの人が集まりました。それだけ国民に愛され、惜しまれながら退任していったということです。(池上)

在任中に最も力を入れた政策が「貧困をなくすこと」でした。実際に行ったのが、貧困層向け住宅政策「プランフントス」です。

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主にシングルマザーやホームレスなど、およそ1万5千世帯を対象にした無償の住宅です。「貧困層向け住宅に住むためには、週20時間以上、住宅建設を手伝わなければならない」という条件をつけました。国が作るだけでなく、自分が住む場所だから汗を流しなさい、という考え方です。(池上)

ムヒカ大統領の政策で世界から最も注目されたのが、大麻の売買や栽培の合法化(2014年)でした。

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大麻を禁止していたときは、闇の世界で高値で売買され、犯罪組織の資金源になっていました。むしろオープンにしてきちんと管理すれば、犯罪組織に資金が流れないのではないか、という政策です。(池上)これにより、貧困層を犯罪から守ることが期待されました。

言葉が正直で、その言葉を守る姿勢も、国民に愛される理由の一つでした。

大統領ムヒカのゲリラ時代

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若かりし頃のムヒカ氏は、革命に燃えるゲリラ戦士でした。1964年7月の新聞には、ある工場を襲撃して初めて逮捕されたときの記事が載りました。

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大きく載った顔写真は、いかにも「危険な男」という印象でした。なぜゲリラ活動をしていたのか。背景には、貧しい生い立ちがあります。

貧しい家庭に生まれ、幼くして父を亡くし、極貧の生活を送りました。

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当時のウルグアイは、大農場の経営者などが富を独占し、多くの国民が貧しさにあえいでいました。そのころから、ムヒカ氏は考えはじめたといいます。

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「なぜ金持ちは貧しい人々と分け合わないのか」

24歳のとき、同じラテンアメリカのキューバで革命が起きました。当時のキューバも、貧富の差が激しい国でした。

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フィデル・カストロやチェ・ゲバラが銃を手に立ち上がり、革命に成功します。

「俺も、貧しい人々を救いたい」

そんな思いを抱き、1960年にキューバへ渡り、チェ・ゲバラの演説を聞きました。

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「どんなに平和的なデモや政治活動よりも、時として何より強烈で効果的なのが、しかるべき者への一発の銃弾だ」(チェ・ゲバラ)

ウルグアイに戻ったムヒカ氏は、銃を手に政府と戦う組織に参加します。

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それが、都市ゲリラ組織「トゥパマロス民族解放運動」です。当時、南米最強とも謳われたゲリラ組織でした。狙うのは私腹を肥やし富を独占する企業ばかりで、貧しい人々から支持を集めました。

ある日、銀行を狙う計画を進めていたところ、密告によって警察に踏み込まれます。仲間を逃がしたムヒカ氏は6発の銃弾を浴びました。

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「反乱者ムヒカ 銃弾を受け重傷」(1971年3月24日付 ウルグアイの日刊紙)

3か月の入院で一命を取り留め、刑務所に収監されました。

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しかし、その後ムヒカ氏は脱獄に成功します。すると政府は軍隊を投入してゲリラ壊滅作戦を行い、ゲリラと疑われた人間は無差別に殺されました。その凄まじさを、ムヒカ氏はのちにこう語っています。

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「ハエがたたきつぶされるように仲間が殺されていった」

難を逃れたムヒカ氏は、仲間とともに山の中へ向かいました。そこで、運命を変える出会いが訪れます。

「絶対に負けちゃいけないんだ」(ムヒカ)
「そう、私たちは負けない」(女性)
「君は?」(ムヒカ)

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その女性こそ、のちにムヒカ氏の妻となるルシア・トポランスキーでした。彼女は、貧しかったムヒカ氏とは逆に、裕福な家庭で育ちました。

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しかし正義感が強く、「貧しい人々を助けたい」とゲリラ活動に身を投じます。極限状態のなかで、二人は惹かれあっていきました。

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ルシア・トポランスキーさん

「私たちを結びつけたのは、一つの同じ想いです。国民のため、家族のため、ウルグアイという国を変えたいという想い。戦い続ける理由があるからこそ、人は生き抜くことができるのです」

そんな二人を引き裂いたのが、ムヒカ氏の逮捕でした。本当の戦いはここからでした。ゲリラの情報を得るため、徹底的な拷問にかけられます。暴力、電気ショック、水責め。拷問は連日のように続きました。

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とりわけ過酷だったのが独房での生活です。飢え死に寸前の食事しか与えられず、狭い部屋で誰とも話せない監禁が続きました。その期間は9年にも及びました。孤独と栄養失調が、ムヒカ氏の心と体をむしばんでいきます。

それでも正気を保てたのは、投獄10年目で許された読書と、手紙のやり取りができるようになったおかげだといいます。許されたのは自然科学の本ばかりでしたが、ムヒカ氏はむさぼるように読みました。”どうしたら革命が成功するのか”を考え続けていたのです。

「独房で本を読みながら、人間とは何なのか、何度も自分に問いかけた。人間はひとりでは生きられない、おかしな生き物だ。本人が自覚していようがいまいが、人間には他人や社会が必要なのだ」

「暴力で世の中は変えられない」。ムヒカ氏がそう気づいたのは、この頃でした。その決意を、ルシアさんへの手紙にしたためます。

「愛するルシアへ、ここを出たら一緒に農場で暮らそう ムヒカ」

ルシアさんからの返信。

「愛するムヒカへ、いいわ、一緒に農場で暮らしましょう ルシア」

一見、革命を諦めたように見えるこのやり取りには、武力ではなく別の方法で戦い続けようという二人の決意が込められていました。

そして1985年3月10日、ムヒカ氏はついに釈放されます。投獄から13年ぶりの自由でした。時の政権が代わり、どんな拷問にも屈しなかったムヒカ氏は、熱狂的な市民に迎えられます。

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このとき、ムヒカ氏は49歳、ルシアさんは40歳。13年ぶりの再会を果たしました。

釈放後、初めて市民に語った言葉は、のちの「世界でいちばん貧しい大統領」へとつながるものでした。

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「私は、たとえ私たちにひどい仕打ちをした人々でも、憎もうとは思わない。憎しみは何も生まないからだ。私はあの獄中生活の中で学んだ。人はわずかなものしか持っていなくても幸せになれることを……」

2016年4月7日 東京外国語大学でのムヒカ前大統領と池上彰の対談

池上)話を聞くと、「世界で一番貧しい大統領」というより、「世界で一番豊かな大統領」に思えるのですが、これは出版社の販売戦略ですかね?

ムヒカ)全く同感です。貧しい男にさせられましたが、実はとても豊かなんです。

池上)正式に(ルシアさんと)結婚したのは2005年ですが、大統領になることを意識してようやく結婚したのですか?どちらが結婚しようと言ったんですか?

ムヒカ)私です。

ルシア)その日彼はテレビ番組に出演していて、私たちの結婚を発表したんです。

池上)直接プロポーズしてないんですか?

ムヒカ)わざわざ言うまでもないだろうと……。実際、私たちの結婚式は、台所で挙げました。

池上)社会主義を目指してゲリラ活動をして投獄された、この時点で挫折を味わったのではないですか?

ムヒカ)そうですね、でも人生が教えてくれたのです。不可能に挑むことは、それなりの犠牲を払うものだと。だから粘り強く戦い続けなければならないということを学びました。

池上)刑務所の看守が、ムヒカさんたちをまじまじと見て、「この中から大臣が何人出るかな」という話を聞いたそうですが。

ムヒカ)悪い冗談を言うなと思いました。大臣ましてや大統領が出るなんて夢にも思わなかったですよ。でも、私たちが武力を持って闘争していた当時を知らない人々が、のちに私たちを信じて支持してくれたのです。なぜなら、国民も学んで成熟していくからです。信じられないでしょうが、投獄中の仲間2人が、のちに内務大臣と防衛大臣になりました。なんというストーリーでしょう。

池上)「今一番欲しいものは?」のアンケートで、日本は1位が時間、2位がお金でした。

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ムヒカ)日本ではお金が2位!16%以上ですか!世界第3位の経済大国なのに。嘘でしょ?ウルグアイはお金が4位です。7.7%ですね。これも嘘です。誰だってお金は欲しいでしょ?

池上)日本では、時間が欲しいと思っている人が多いですね。

ムヒカ)何のための時間でしょうか。問題は、何のために時間を使うのかということです。何をする時間が欲しいのですか?子どもと過ごす時間?家族と過ごす時間?友人と過ごす時間?あるいは自分の人生を生きる時間?それならOKです。それとも、もっと働いてもっとお金を稼ぐための時間が欲しいのですか?それは消費社会に支配されています。人生は一度きりで瞬く間に過ぎていきます。人間としての時間をどう使うべきか。人生は時計のようなものです。ぜんまいはやがて止まります。だから何に時間を使うのか、一人一人が自分に問いかけるべきなのです。なぜなら、生きることは死に向かうことだから。これは変えようのない事実であり、私たちの存在において最も大事なことなのです。

池上)仏教の高僧の話のように思えました。「足るを知る」という言葉があります。持っていなくても満足をする、それこそが幸せな生き方をするという伝統的な考え方が、日本にはあるんですね。

ムヒカ)私は、真新しいことは何一つ言ってはいません。昔からある思想を述べているだけです。富が幸福をもたらすと思わないでください。比較的豊かになると、失うことへの恐怖が生まれます。富を失うことへの恐れが……。そうするとお金があっても、幸せを感じられません。失うことを恐れるからです。これがまさに中流階級の苦悩なのです。目標に向かって前進し戦う者は、恐れるものがないのでとても幸福です。なぜなら希望があるから。幸せであるということは、生きていることに心から満足していることです。毎日太陽が昇るのを見て感謝する。幸せとは、人生を愛し憎まないこと。でもそのためには大義が必要で、情熱を傾ける何かが必要なのです。

池上)経済学者は、みんなが質素になれば経済力が落ちていくと批判すると思いますが。

ムヒカ)経済は、なぜ存在するのでしょうか。それは、不足しているものがあるからです。100年前には、水に経済は存在しませんでした。なぜなら水は豊富にあったからです。でも、今はその経済が存在しています。水が不足し始めたからです。経済というのは、不足している財をいかに分配するのかということ……。例えば、日本では高齢化が急速に進んでいます。一人暮らしの高齢者がたくさん孤独に苦しんでいるのです。以前のように家族は、高齢者を支えられなくなっています。日本はこういう高齢者に公共の施設を造るべきです。どれだけお金がかかっても。国は施設を造って住まいを用意し、孤独な老人をサポートするべきです。日本は先進国、だから国民と政府が一体となって行動すべきです。彼らに寄り添い、高齢者を置き去りにしてはいけない。そのために税金を使うべきです。これは社会全体で決めることです。個人も家族も一人では生きていけません。だから政治が必要なのです。

池上)日本では、若者の政治離れが問題になっています。

ムヒカ)同感です、だから深い見方ができるように手助けをするべきです。現状に不満があるのなら、何か行動を起こしてください。勇気を持って新しいことを提案し、立ち上げてください。それはあなたたちと、その後に続く世代のために。皆さんもいつかは子供や孫ができるでしょう。考えなければいけないのは、子供や孫が生きていく世界。彼らにどんな世界を残すのか?私は自分の言う事に責任を持ちたいと思います。政治の”病気”というのは、お金に執着しすぎることです。政治に利害関係がないわけではありません。あるのです。しかし、政治の真の利害は、お金ではありません。人々から慕われる名誉です。人生はお金が全てではありません。人々の愛情、名誉、そして人々が決めたこと、それはある人たちにとっては、お金よりも価値があるのです。問題は、お金の好きな人物が政治家になろうとすること……。これは非常に危険です。汚職の原因なのです。そういう政治家を見ると、国民は政治を信じなくなります。「結局、誰も同じだ」と思うようになる。でも、それは試合を捨ててしまうことです。この絶望感こそがまさに、汚職を可能にしてしまうのです。しかし、ゆっくりでも人間は、少しずつ良くなっていけるのです。ですから皆さん、どうぞ失望しないでください。若者は世の中を新しくする希望そのものなのです。ただ、肉体は若くても魂が老いていることがあります。これも危険です。

(了)

ムヒカ氏の死去と、日本に残したもの

ムヒカ氏は2020年10月、高齢などを理由に政界からの引退を表明し、その後は首都モンテビデオ郊外の農園で暮らしていました。2024年4月に食道がんの診断を公表し、2025年1月には肝臓への転移と治療の中止を明らかにしました。そして2025年5月13日、89歳で死去しました。

日本での初来日に密着したドキュメンタリー映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」(田部井一真監督)は2020年10月2日に公開され、死去後は各地で追悼上映が行われました。彼が日本の若者や聴衆に語った言葉は、いまも国を越えて読み継がれています。

文責:ライターズラボ編集部(2026年05月30日(土)06:49執筆)

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コメント

  1. ひろき より:

    素晴らしい記事をどうもありがとう
    自分の人生に価値を見出せるようになった

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